レストランの三人の客...計算の意味(1) | Chandler@Berlin

Chandler@Berlin

ベルリン在住

English version

しばらく前,友人が Berlin を訪ねてきた時のことです.λ計算に関連した話の最中に計算ということとその意味の話になりました.λ計算では,人間の考える「意味」というものを考えることなしに,計算というものを手順のみで定義するという目的がありました.とはいえ,何を計算しているのかという意味は日常生活では,大きな関心事です.興味深いことに,私の場合,意味を考えないということを深く考えることで初めて計算の意味についてよりよく考えるようになった気がします.なくなってはじめてわかる有り難さのようなものでしょうか.

Paper moon という映画 があります.この中での詐欺の手法は計算自体はあっているのですが,その意味をとり違えてしまう好例になっています.同じ手法が「壺算(以前の記事でへっつい盗人と間違えておりました.Suzukiさん,どうも御指摘ありがとうございます.)」という落語にもあったかと記憶しています.また,Surely You're Joking, Mr. Feynman! という本(邦訳:御冗談でしょうファインマンさん)には物理学者が計算と(物理的)意味をいかに強く結びつけているかという興味深い話があります.

このレストランの三人の客は有名な話ですが,私の友人 (計算機学者) ですら,かなりの時間頭を悩ませたものです.ちょっと考えてみて下さい.

あるレストランに三人の客がいた.彼等はコースの食事をすませ支払いをすると,三人で 3000円であった.客が去った直後に,丁度店主が「今日は開店記念の日なので,コースは 2500円だ」と言った.ウェイターは客を追いかけて 500 円を返そうとしたが,500円は 3人で割るには半端であり,「開店記念なので,300円引きです」と300円を客に返した.客は割引があったことを知らせてもらって満足そうであった.ウェイターは 200 円をチップとして誤魔化してちょっと良心が痛んだが,忘れることにした.しかし,ウェイターが考えてみたら,変なことに気がついた.客はそれぞれ 900 円づつ支払いをしたので合計 2700円をレストランに支払った.ウェイターが客から誤魔化したのは,200 円である.2700 円に 200 円を足すと 2900円であり,100 円足りない.いったい100円はどこに消えたのだろうか.

実は私はこれは日本語だから上手くいくのかと思っていたのですが,英語でも上手くいきます.また,今回友人と話してわかったのは,ドイツ語でも上手くいくということです.何がおかしいかわかったとしても納得の行く説明は簡単ではないかと思います.もしこの話をしらなかった方は考えてみて下さい.