エル・グレコに関する作品記事をいくつも書いてきたが、いつも「どうなんだろう」と思いながらなので、作品に対する愛情が僕は足りない。
ご存知のように「シモン家の晩餐」は、新約聖書では「マルコによる福音書14章1-11節」にある。
「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、晩餐の席に着いておられたとき、一人の女が、ナルドの香油の入った石膏の壺を持ち、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」とある。
おわかりのようにマグダラのマリア 。
エル・グレコの「シモン家の晩餐」は、マルコによる福音書によるものだ。ヨハネの福音書では、足に香油を塗り女がその髪でイエスの足を拭くという話になる。ルーベンスの「シモンの家の宴」 はヨハネの福音書。
ヨハネ福音書では、ユダがその高価な香油を貧しいものの給金と比べ咎めるが、イエスはその女の行為を美しいことだと喜ぶ。
さて、キリストの後ろにあるのはトレド大聖堂の八角礼拝堂(El Ochavo)に似ているというが、エル・グレコの息子ホルヘ・マヌエルの「トレド大聖堂八角礼拝堂のための設計図」は1625年頃のことらしく、実際にトレド大聖堂の建築に加わったのは1628年の頃で、トレド大聖堂のモサラベ礼拝堂もこの時期。
この作品に描かれているのは、エル・グレコの「聖ヨハネがみた無原罪の御宿り」(1585 サンタ・クルス美術館)に描かれている実際にあったと言われている寺院に似ている。
ティッセン=ボルネミッサ美術館に所蔵されている「無原罪のお宿り」(1608-1614)は、エル・グレコと息子ホルヘ・マヌエル・テオトコプリの二人の作品らしく、紹介した「シモン家の晩餐」(シモンの家のキリスト)と同じ時期によるもので、ティッセン=ボルネミッサ美術館の「無原罪のお宿り」(1608-1614)も、サンタ・クルス美術館の「聖ヨハネがみた無原罪の御宿り」同様に寺院が描かれている。
エル・グレコ自身はウィトルウィウスの「建築十書」(紀元前)を読んでいたといわれているほど、建築にも秀でていたから、この「シモン家の晩餐」(シモンの家のキリスト)にも寺院を描きこんだのではないだろうか。
つまりティッセン=ボルネミッサ美術館の「無原罪のお宿り」(1608-1614)と同じくエル・グレコ&息子ホルヘ・マヌエルの可能性もあり。
こちらはエル・グレコの「最後の晩餐」になる。WIKIでは1568年となっているが、ボローニャ国立美術館のサイトでは1567-69となっていて、次の「羊飼いの礼拝」と連作のような印象を受けた。
エル・グレコの羊飼いの礼拝といえばルーマニア国立美術館所蔵やサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ修道院のための「羊飼いの礼拝」だけど、縦横も違えば描き方も違う。
記事 サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ
エル・グレコのこの作品「東方三博士の礼拝」に似た構図がもう1枚あるが、この方がまだ、僕には好ましい。なんか色使いはエル・グレコっぽいけど、アカデミックな感じ。
エル・グレコと言われてみればエル・グレコだと思う作品。実際のところ工房作品なんていうのもあるし、フォロワーなんかの作品もある。
他のエル・グレコ作品は下記記事で作品記事にリンクしている。
XAI エル・グレコ オルガス伯爵の埋葬