翌朝艦長に「みんな意気消沈しているだろうから、しっかりするよう先任将校(小艦艇の副長のこと)から訓示しておけ」と言われた。


 私は「我々は大事な陛下の御艦を沈めてしまい罪万死に値する。この罪滅ぼしは一日も早く整備し、再び第一線に出ることである、終わり!」と高らかに訓示したが、その1時間後、ラジオであの終戦の詔勅が放送された。


 私にはなんとも格好のつかない結末であったが、自艦が沈没し海に投げ出されること3回にも及んだ身には、ああ、これで助かったと安堵したのは偽らざる本音であった。


 もう1日早ければ、両艦合計56名の戦死者を出さずに済んだのに残念でならない。

 

 香住町では、青年会議所が中心になり、香住の海が見える岡の上に第13号、第47号海防艦戦死者の慰霊碑を建てられ、慰霊祭を毎年、洋上慰霊祭を時々催されている。

 まことに奇特なことである。


 地元の方は「当時我々は中学生であったが、負傷者を支えながら隊伍を組んで駅まで行進していった皆さんの姿が目に焼き付いている。命を捨てて最後の最後まで戦ってくれた人々のことを忘れてはならない」と言っておられた。


日本史と日本海が好き!-中之薗氏

 2002年 中之薗郁夫著 海のパイロット物語より



 *解説

 香住沖海戦の翌日は8月15日つまり終戦日でござった。 

日本史と日本海が好き!-11海防艦慰霊祭1

 1977年、(社)香住青年会議所は多くの有志に支援していただき、岡見公園に戦没者慰霊碑を建立いたしました。 感謝申し上げます。

 それから毎年、戦没者慰霊祭を執り行い、英霊の鎮魂と供養をしております。


日本史と日本海が好き!-11海防艦慰霊祭2

 そして戦争を語り継ぎ、平和への祈りをささげているでござる。