艦は徐々に沈み後甲板が海水に洗われるようになったので、艦長は「総員退去」を発令、乗組員は次々に海に飛び込んだ。

 

 艦は間もなく艦首を水面上に立て、しばし合掌するような形で浮いていたが、やがて引き込まれるように沈んでいった。

 建造以来、日夜激戦を耐え抜いてきた強運の第13号海防艦の荘厳な最期であった。


 海に投げ出された我々は、こういう事態に備えて甲板上空所に積んであった木材等が浮いているのに掴まりながら泳いでいたが、一番恐れたのは、本艦の爆雷が沈んで行き、セットされた深度に達したとき、信管が働き爆発することであった。

 

 潜水艦の頑丈な船体を破壊するほどの威力を持つ爆雷が水中で爆発すると、泳いでいる人は肛門から入ってくる凄い水圧で、あたかも鉄棒を突っ込まれたように腸をやられるから、手でお尻を押さえて防がねばならないという戦訓があった。


 その通りにしながらも、爆雷の準備が「信管設定」まで進んでいたかどうかも分からなかったので、今にもドカーンとくるのではないかと気が気でなかった。

 しかし一発も爆発しなくて助かった。


 泳いでいるうち、香住港から出てきた多数の漁船が、決死的救助作業を行ってくれたので182名が救助された。

日本史と日本海が好き!-12鎮魂碑3

 *解説

 海防艦に爆雷は120個搭載できた。第13号海防艦内と海洋投棄したものとが爆発すれば、凄まじい威力でござろう。


 大戦中米軍は戦場で、潜水艦を浮上させて救助作業中の船を攻撃したり、泳いでいる人を銃撃した非人道的な例はいくつかあったゆえ、敵が近くにいるときの救助作業は危険であった。