関ヶ原の戦い その24 【丸山 黒田長政・竹中重門・生駒一正陣跡】 | 歴史の舞台に立つ!!

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関ヶ原の戦い その24 【丸山 黒田長政・竹中重門・生駒一正陣跡】

東軍の黒田長政・竹中重門・生駒一正が陣を構えた場所。



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【黒田長政人物紹介】

合戦前豊前中津(大分県) 18万石を所有していました。

5400人の兵を関ヶ原町丸山に集め 来るべき決戦に備えます。



【のぼり旗】


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【東軍として参戦するに至った経緯】
福島正則らとともに石田三成襲撃事件を起こすなど

三成嫌いであったほか 正室は家康の養女(保科正直の娘)といういきさつだったゆえ東軍での参戦となりました。




【竹中重門人物紹介】

合戦前美濃岩手5千石(岐阜県) 5千石を所有していました。

黒田長政の軍とともに関ヶ原町丸山に陣を構え 来るべき決戦に備えます。





【のぼり旗】


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【東軍として参戦するに至った経緯】


当初西軍に属してましたが井伊直政の仲介によって東軍に鞍替えします。

幼なじみでもある黒田長政軍に合流して来るべき決戦に備えます。



【生駒一正人物紹介】

合戦前 讃岐6万石を所有していました。

生駒一正は1800人の兵を関ヶ原町丸山に集め 来るべき決戦に備えます。


生駒一正は讃岐から持参した金刀比羅宮の御神像を松の枝にかけて戦勝祈願したといわれています。
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【東軍として参戦するに至った経緯】
讃岐(香川県)6万石の城主一正は 父・親正の名代として会津征伐へ出兵し、そのまま徳川家康に属して東軍として関ヶ原の戦いに臨むことになります。

ちなみに父生駒親正は西軍として参戦します。



【地図】


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【黒田長政・竹中重門・生駒一正陣跡へのアクセス】 関ヶ原町丸山

関ヶ原駅を降りると左側にこんな看板があります。

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この道を進み線路をくぐります。


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THKの工場に沿ってまっすぐ歩きます。

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瑞竜の交差点に来たら



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バイパスを突き抜け さらにまっすぐ。

山をのぼっていきます。

駐車場がありますので(写真右側)

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駐車場の対面から登っていくと

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丸山のろし場につきます。

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地図上では丸山のろし場として記載されています。