室町幕府の安定期は、下剋上の時代の到来によって崩壊することになります。
こうして室町時代後期にあたる、戦国時代が幕を開けました。
戦国時代という名称は、中国の紀元前453年から秦の始皇帝の統一がなされた紀元前221年までを指す、戦国時代の呼称にちなんで命名されたものです。
この時代は、室町幕府から織田信長・豊臣秀吉の政権(=織豊政権という)への移行期であるだけではありません。
江戸時代に完成する幕藩体制や、村や町を基礎単位とした近代にも続く社会体制への大きな転換期になっているのです。
多くの戦国大名が各地域で覇権を競ったこの時代は、技術革新の時代ともいわれています。
鉄砲の伝来とその大量生産、鉱山開発、精錬技術の開発、木綿の栽培などが行われたほか、外国との貿易もさかんに行われました。
また、民衆勢力の台頭が著しく、山城の国一揆や加賀の一向一揆などに代表される動きは、この時代の民衆が政治的変革の主体として登場してきたことを示すとされています😲
また日本の伝統文化の代表とされる茶道・華道、さらには祇園祭などの地域の祭礼、盆踊りなどの生活文化が形成されたのもこの時代です。
武家政治の時代約700年間に興亡した3つの時代の中で、最も長く続いたのが江戸時代でした。
江戸時代は約260年間も続いた時代であったにもかかわらず、名称は唯一江戸時代でした。
これに対して、室町時代は約240年間であったにもかかわらず、3期にも区分されています。
みなさんはこの理由をどのように考えますか
説明の仕方はさまざまなのだと思いますが、やはり時代の性質が異なるのだと考えられます。
この時代の性質が異なる原因となったのが、将軍権力の盛衰です。
つまり時期によって、将軍の地位や権限に大きな違いがあるということです。
南北朝時代はどうでしょうか。
将軍権力が確立していたと言えるでしょうか。
室町幕府は北朝の政権として存在していましたが、吉野には後醍醐天皇によって形成された南朝の政権も併存していました。
室町幕府が各地に派遣した守護が大きな力を持って、地方支配を行っていました。
室町時代はどうでしょうか。
足利義満が登場して、南北朝を統一することで武家政権を安定させます。
将軍権力を脅かす有力守護勢力の削減にも努め、将軍権力の高揚をはかるのです。
第4代将軍足利義持は父義満の地位を受け継ぎますが、第6代将軍足利義教は有力守護に暗殺されるなど、将軍権力は早くも動揺し始めます。
この時期には民衆による土一揆が起きるなど、民衆が大きな革命勢力となる力を持っていることを示すのです。
そして第8代将軍足利義政の時代になると、応仁の乱が勃発するなど、将軍権力は失墜し、有力守護が京都で将軍の政治を支える体制が崩壊し、有力守護が自国へ戻っていくことで戦国の世に突入します。
戦国時代は先に見てきたように、主人と従者の間にとどまらず、さまざまな面で旧支配勢力と新興階級の交替がなされます。
将軍は存在してはいるものの、殺害されたり、追放されるなどして室町時代は終わりを告げたのです。
実に面白いと思いませんか❓
例えば、室町幕府の将軍と江戸時代の将軍は、それぞれ何人いたかご存知ですか。
答えは、ともに15人(15代)です。
江戸幕府の将軍は高等学校で使用する教科書の本文に、全員その名が記載されているにもかかわらず、室町幕府の将軍は全員記載されていません。
室町幕府の将軍の存在が、特に後半になるにつれて薄くなっていくのです。
将軍権力の未確立(南北朝時代)
↓
将軍権力の確立・安定(室町時代)
↓
将軍権力の失墜・消滅(戦国時代)
武家政治の長たる将軍の権力のあり方が、時代の変質と大きく関係しています。
室町時代は3期に区分されていることからわかる通り、社会がとても不安定な時代でした。
室町時代という時代は、「目まぐるしく変化する激動の時代」だったのです。
本日は、本校で卒業式🌸が挙行されます。
高校3年生が本校に別れを告げ、新天地へと羽ばたいていく日です。
心よりお祝い申し上げます。
自らの可能性を信じて、道を切り拓いていって下さい🙇