川越在住の清水香保里さんが渡辺市造さんに摑まったのは、この本だったそうです。
私の町に隊士の一人が眠っている・・・コレが清水さんの新選組魂に火をつけた。
茶色のダウンが清水香保里さんです。
場所は市造さんの眠る川越真行寺。
香保里さんは名前のイメージ通りで、川越という江戸の町が似合う細面美人なんですが、写真ではここまで。
香保里さんのうしろが、真行寺の副住職の奥様。
市造さんのことを再掘しようと真行寺訪れた香保里さんは、このお寺で奥様に会い、彼女も沖田ファンなのを知りました。
で、今回、久しぶりに会っても、10年近くのブランクが全く無いんですよね、この二人の会話には・・・。コレがいいんだなァ。
この時に取材された話を、香保里さんは『碧血碑』318号(2000年10月15日発行)に載せていらっしゃいます。
お約束の川越・時の鐘
維新後に市造さんが移り住んだこの町も、香保里さんが車を止めて、徒歩で案内して下さいました。
市さんは米俵の担ぎやをやっていたんだそうです。
この鐘の音を聞きながら、ですね。
これは明治にできた銀行で、今は埼玉リソナ銀のビル。
このあたりが、市さんと所帯を持った挽割り屋の末娘の実家があったところ。
ここって、当時でも町の中心じゃないの、スゴイわねぇ。
ああ、でも、やっぱり。
新政府側に逆らった人の、その後の人生って・・・。
岡村挽割り屋の末娘さんは、今で言う×1。
美男だった市さんは惚れられたんでしょうが、×1妻の親族からはなかなか受け入れらなかった。
新撰組くずれという言葉が、『共同研究新選組』の黄色い表紙から眼に飛び込んできました。
市さんは逆玉ではなかった。
・・・でもね、米の担ぎやをやりながら、賭博で儲けて金貸しもやって、三人の子供を立派に育て上げたのだから、やっぱり、幸せの隊士だーと、私は思いたい。
少しばかり影があるにしてもね。
川越道
この写真の右手が米町といわれたところで、米問屋がずらっと並んでたそうです。
市さんは米問屋裏の平屋に晩年まで住んでいました。
場所は栗原歯科の裏手あたりです。
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川越散策のついでに、市さんの墓参りをする方はこの真行寺の
写真を参考に。
市さんのお墓はちょうど本堂の裏。
お寺はマミーマートに隣接してるので、
駐車場も借りられます、タダで。
ピンボケですが、新らしくなる前の渡辺家の墓石。
香保里さんの写真を写しました。
「俺は渡辺七造さ」と、市さんは死ぬまで行っていたそうです。
最後に、この取材に協力して下さった清水香保里さんに御礼を申し上げます。
お疲れの中、ありがとうございました。