昨日は39回目の息子の日(月命日)でした | わんこと一緒に歳を重ねて 

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当たり前では無い毎日を大切に、お空の息子の事も時々。。

昨日22日は次男の39回目の息子の日(月命日)でした。
沢山の写真を写真立てに収めてちょっとホッとしています。
同級生の皆とキャンプに行ったり飲みに行ったり食べに行ったりその後カラオケに行ったりして楽しい時間を過ごしていたのが分かります‼
それを見て天気の日は笑って見られるのに雨の日は辛くなり泣けてきます。。
そんな時はタラレバの気持ちでいっぱいになります。

もし今も元気で居たらコロナで仕事も大変だっただろうと思ったり、向こうの世界はコロナは無いだろうと思ったり、写真に話し掛けても当たり前ですが返事は有りません。。

これから先は今さらどうしようも無い事や当時の事を長々と書いてますのでスルーして下さって構いません。

年末次男の体に異常が有る事は朝起こしに行った時分かりました。
目付きがおかしかったのです。
母親ですから分かります!
この後夫に助けを求めた事を書きましたが消しました。
情けなくなったからです。

今思うとその後も気付く事が何回か有ったのに見過ごしてしまった事悔やんでも悔やみきれません。。
その時はまさかそんな大変な事に成ってるとは思ってもみませんでした。
一人になった時色んな思いがこみ上げてくるのです。
なぜあの時行動しなかったのか、もう少し傍に居て様子を見てやれば良かったのにとか…
病名が分かって正月に連絡が来て救急病院に行ったら主治医の先生が私に立て続けに色々聞くのです。
返事に困る位に!
先生が家族から色々聞きたいのは分かります。
でもずっと傍に居なかったので分からない事も有りました。
そして先生は
[もっと早く連れて来てくれてたら良かったのに、いや早かったら分からなかったのですよね]と。
詳しい話は後で脳外科の先生に聞きました。

救急病院には夫と長男、末っ子の三男が付き添って行ってたのです。
私は風邪ひいてたので長男が家に居るようにと三男のお嫁さんと家に残ったのです。

小さい子なら抱っこして無理に連れて行く事が出来るけどそうはいきません。
毎日病院に行こうと言っても本人が絶対に病院には行かないって聞かなかったのです。
それでも嫌がっても、引き摺ってでも連れて行けば良かったと何度想った事か!
往診を頼めば良かったとも!
色々考えたら昨夜はなかなか眠れませんでした。
私が気になった時直ぐに行動してたら今頃はひよっとしたらまだ元気で仕事してるかも知れないのに…
全部私のせいだと思ったら次男に申し訳無くて仕方有りません。。
私が命を縮めたのではないかと。。

急変したのはくも膜下出血のせいでした。
10時間以上の手術しても目を覚ます事は有りませんでした。。

脳死状態になっても奇跡を信じて通いました。
次男の好きだった本を読みました‼
聴覚だけはずっと有ると聞いてたので毎日昼夜2回耳元で読みました。
本を読み始めると次男の目から涙が‼
夫が毎回そう言ってました。
最期の前の晩も涙を流してくれました‼
その涙はいままで有り難う、そして先に逝ってゴメンねの涙よって姉が言いました。。

私は次男に有り難うの言葉しか見つかりませんでした。
お母さんの子供に産まれて来てくれて有り難う幸せだったよ、ただそれだけでした。

25日は40歳の誕生日です‼
死んだ子の歳を数えるって言いますが本当にそうですね。

40歳のオジさん(同級生がそう言うので)になった次男を見たかったです。
25日にはあの子の好きなチョコレートケーキを買って来なくては。

書いてたら日付が変わりました。

長々と書いてしまいました。

読んで下さって有り難うございました。