過去記事に書いたような気もして探してみたが、そのものについてはどうやら書いてなかった。原因がよくわからない耳の「うずき」に悩まされた時 の事は書いていたようだ。

今回は、実際に左耳の聴力がはっきりと落ちて入院した話を書く。浜崎あゆみがそのような状況になってしまってとうとう左が聞こえなくなったそうで、だがニュースを賑わしている時はなんだか乗っかるみたいな気もしたので控えていた。


それは店に入る以前の話で、6年ほど前のこと。

当時、僕はパソコンの講師やら設定やらメンテナンスやらの仕事をしており、その日によってあっちにいったりこっちにいったりの不規則仕事だった。勉強することも日々かなりあるし、人と関わりつつ教えつつ、ストレスもまぁそれなりにあったと思う。そういう時に、母の知り合いからある仕事を依頼された。大正琴の教室をなさっている先生が、教室の生徒さんを集めた発表会をするから、それを手伝って欲しいという。結婚式披露宴なんかもやってる大きなホテルのホールを使って総勢500人くらいの人が集まる記念式典を兼ねた発表会なのだ。かっこよく言えばプロデュースになるが、要するに段取りその他の取りまとめが必要だった。発表会のプログラムの作成と、当日までの様々な段取りや裏方の手配に、当日の進行役。そんなに難しい仕事ではないが、機材関係の調整や他のスタッフとの打ち合わせもあって何しろ時間に追われた。自分の仕事もきっちりやりながらのことだったせいもある。


そんな時、「やること結構あるなぁ」とやや頭を抱えていたその真っ只中に異変が起きた。自分では頭が少し混乱しているかもなどと感じていたが、ずっと左側に頭痛を抱えている事を意識していた。で、そんな折、電話をしている時に気づいたわけだ。

電話が遠いなと感じて、ふと右にそれを持ち替えた。ちっとも遠くなんてなかった。左が聞こえてなかった事にはじめて気づいた。聞こえないというより、雑音に邪魔されていて、それはずっと左側から離れない耳鳴りのせいだった。耳鳴りにかき消されてとっても聞こえにくい状況。それをはっきりと意識してからが大変だ。もう感覚が傾く傾く。常に左耳から耳鳴りが離れない。てんで聞こえない。焦った。なんだこりゃ。

だが、気づいたその日は発表会本番の前日だった。病院に行く余裕はなかった。仕方がないので当日は不安と居心地の悪さをこらえながらどうにか仕事をこなし、後始末なんかも片付けてから日を改めて病院に行った。


いつもと違う場所に頭痛が襲っているのかな?程度の認識だったんだが、それはちょっと甘かった事を病院で知る。

診断は突発性難聴。原因はよくわからないときたもんだ。毛細血管がつまって起こるケースだろうと言われ、クスリを出しておきましょうと医師は言った。

処置は発症からだいたい1週間くらいが目途で、10日過ぎると症状が固まってしまって改善の見込みが極めて薄くなりますと言われたが、まぁクスリで収まるだろうと割合呑気に構えていた。

が、クスリを飲み始めて丸3日が経過し、ちっとも収まる気配がないことに僕は苛立ち、医師に見通しを聞いた。クスリを飲み始めたのは発症から3日目で、トータルで6日目になる。このままクスリだけで治るのか?治る気がしない。

すると、「ひょっとすると一生治らないかもしれない・・・可能性もあります」と言う。

ちょっとちょっと、それはとっても困るんですけど。が、医師は(突発性難聴の)原因がはっきりわかっていないし、微細な毛細血管を何らかの術式でどうにかできるものではないし、という現状をやたらと冷静にご説明下さる。まるで「この先ずっと左が聞こえない状況の受け入れ」を説得されているようで僕は我慢がならなかった。

そんな事簡単に受け入れられるわけがない。どうにか手はないんですか?!

そうしている間も、僕の身体はどうにも片方の感覚がやはりおかしくて、治らないかもしれない不安のせいもあるし、精神衛生上いらいらしてもうとても冷静ではいられないのだ。すると、点滴治療を試す価値はありますという。ただし、それは「入院が必要」という説明だった。


今日はここまで。次回にゆずります。