もしも明日生まれ変われるとするなら、僕はオダギリジョーになりたい。

第一に名前がいい。

のっけから「オダ」と、にごるところなんか力強いし、更に「ギリ」が来る。『切る』という字だ。名前に『切る』が入るなんて、なんて鋭くってたくましくって男っぽいんだろう。それもちゃんとにごって「オダギリ」だ。発音する時に「お」から始まって「だ」にアクセントをつけ、そうして鋭く「ぎ」「り」と降りてくる。ちゃんと苗字にお決まりの発音パターンがある。まずこのルールを外す人はいない。「おだ切り」などという切り方なんて存在しないが、それはあたかもひとつの必殺技にも聞こえるではないか。「オダギリです」と名乗られた時点で、相手は既に劣勢に回ってしまう思いに捉われる。

そして「ジョー」だ。「ジョー」と言えば、言わずと知れた『あしたのジョー』。日本におけるヒーローキャラクターとして知らぬものはない存在。真っ白な灰となって燃え尽きた矢吹丈は男性諸氏にとって永遠の憧れ。もちろん架空の人物とはいえ、勝利という栄光にわき目も振らず突き進んで文字通り完全燃焼し見るものを感動の坩堝に巻き込み、そうして、その一瞬の輝きを残してこの世を去って行った矢吹の姿はひとつの伝説となっている。「オダギリジョーです」と名乗られた時点で脳裏に矢吹丈が浮かぶ人の割合は決して低くないはずだ。完全無欠のヒーローを重ねる事はしないまでも、少なくとも別格な印象を抱く可能性は大いにある。

「はじめまして。オダギリジョーです。」と名乗った時点で彼にはそこはかとないオーラが漂い、一般市民とは違うフィールドからやってきたかのような特別な存在となるのだ。


もしもだ。アマノッチの本名が「オダギリジョー」だったとしたらどうだろう?

本人が「本当だってば!区役所に行ったらわかるって!アマノッチは芸名なんだからさぁ」などと悲痛に叫んでも、おそらく、誰もそれを認めないだろう。「ウソだね」と一蹴されるのがおちだ。アマノッチはやっぱりアマノッチでしかなく、「ひろゆき」というひらがな名前でないとしっくり来ない。ことほどさように、「俳優オダギリジョー」の名前は、「オダギリジョーを名乗る一人の俳優」にジャストフィットしている。


では、オダギリジョーはどんな男だろう。

オダギリジョーは俳優である。言うまでもなく一目でそれとわかる美形。数々の映画・ドラマ・CMに出演し、今やハリウッドにも進出した実力派人気俳優だ。

この期に及んでそれはないと思うが、彼が街角でもしもナンパをしたとすれば、果たして一日何百人の女性が骨抜きにされることか。

既に言葉はいらない。これと目をつけた女性ににっこり微笑むだけで、彼女はこくんとうなずくに違いない。あのルックスさえあれば、あとにも先にも何にもいらない。

そんなオダギリジョーとして一生を送れたら、それはどんなにか素晴らしいことだろう。一時期は同性愛者の噂もあった気がするが、あのルックスならオカマも黙ってないという、そういう事だと思う。つまり、老若男女を問わず、常に注目を浴び、うっとりとした視線を受け、その気になれば思いのまま。

セリフ覚えは大変かもしれないが、だってオダギリジョーだし、そのうち慣れるだろう。

もしも明日生まれ変われるとするなら、僕はオダギリジョーになりたい。




俺ってそんなに寂しいのか?

そろそろ秋風がそよぎはじめて、きっと今夜は人恋しいんだと思います。


※オダギリジョーが芸名なのか本名なのか、そんな事は知りませんのであしからず。

オダギリ