けたたましい拡声器の大音響。場所は広尾の有栖川公園の裏あたり。

「・・・こう、・・こう、・・こしょこ・・こう、・・はらしょうこう」

何じゃ?!と思いました。信号待ちをしていた僕のうしろのクルマが突然歌いだしたのです。ルームミラーを覗き込み、更に窓から首を乗り出して振り返ってまじまじと見てしまいました。

「あ・さ・は・ら・・・しょう・・・こう・・・?」

どうやら選挙運動のようです。いきなり妙チクリンな歌が始まるから、僕はビックリしてしまいましたが、うぅむ、選挙運動のようです。麻原彰晃。変な名前。姓名判断あたりで勧められて改名したんだろうな。そんな風に考えました。


当時、僕はタバコのルートセールスをやっていました。都内はどこへだってクルマで馳せ参じます。ま、その話は今回はなし。で、営業所は代々木にありましたが、本社は杉並区、荻窪でした。僕はそのあとクルマで走り回る仕事から本社勤務に変わったんですが、ここでまた彼らに遭遇します。荻窪駅前での一風変わった踊りと学芸会を思わせる稚拙なぬいぐるみ。そしてそう、あの聞き覚えのある「うた」です。何やら薄気味悪いものを、僕は一等最初に感じたのです。

選挙運動が派手に行なわれる事は承知しています。やかましく、しつこく、おおげさで、懸命です。それは仕方がないというか、そういうものでしょう。しかし、荻窪駅前における彼らのPR活動には、何かしら違う空気があったのです。これは明確な記憶ではないものの、運動員の彼らには、あまり笑顔がなかった気がします。どこか淡々としていました。そして或る日、いつも通り彼らをそそくさと避けながら家路を急ぐ僕の手に、1冊の小冊子があてがわれました。つい手にしてしまったそれを眺めつつ、電車の中で僕はおずおずと開きました。漫画が書かれています。そのおかげで比較的抵抗は薄れますが、眺めてみて「うぇっ」とのけぞりました。

「なんだよ。これ宗教じゃん」

インドの高僧だとか、もう忘れましたが修行とか、瞑想とか、宗教そのものです。だから不気味な、違うにおいがしたのです。教祖がパンツ一丁で汗をかいています。空中浮遊?「この人、どう見ても飛び跳ねてますが?」

僕はそれきりポイと網棚に置いて、「あぁ、ちゃんとゴミ箱に捨てなきゃ」と思いつつ、確か降りる時に忘れて来ました。


宗教は何を信じようとも個人の自由です。これは憲法にも保障されています。僕はといえば無宗教で、そのくせクリスマスにはケーキを買って、正月にはおみくじを引いて木の枝に結ぶという事をします。信じるものがあるとすれば、それは自分しかなく、善きにつけ悪しきにつけ自分を信じますね。


従って、オウムなるものが宗教である事を知ってからは、僕としては創価学会と同様に避けていました。世の中には、そういうものは他にもあります。おデコのあたりに手をかざして、ただ念じるという「ものみの塔」かな?一度だけ、「やらせて下さいお願いします」みたいに言われて、「な何を?」と好きなようにさせて見ていましたが、「で、だから何?」で、「はい、終了」です。それ以後はもう関わりません。学会さんとやらも、「話に付き合わされる状況」に陥ってさんざん聞かされたことがありますが、苦痛なだけです。

宗教には、「それを信じる人には」心の平安が訪れるもので、その事自体の有用性は認めています。が、「それを信じない人には」無価値です。時間の無駄です。もちろん、人生を生きていく中でいつか「そういう何かにすがる時が」自分にもやって来るのかもしれません。その可能性はあります。現に、ジンクスであったり、星占いであったり、何かしら「自分発ではない何かの力」の作用を疑う場面はいくらでもあって、何かを拠り所にする気持ちそのものは決して否定しないからです。だから宗教を全否定するつもりは全くないのです。


しかしです。オウムは恐ろしい団体でした。今更僕が書くような、書けるようなものはありません。夕方、TBSの「報道特集」でこの教団が取り上げられていたのです。地下鉄サリンから10年だそうです。1995年3月から、もう10年がとうに経過したのです。そして、現在は形を変えて今尚存在するアーレフ。残念ながら、番組の中身は来客で忙しくなって見れませんでした。気付いたら終わってたんで。


僕は事件発生当時、田舎に帰ってきていて東京にはいませんでした。しかし、ひとつ間違えばまだ在京していたかもしれなかった。僕は営業職で、その日によっては銀座線を使って客先に直行する事があり、その場合、あるいは事件に遭遇したのかもしれなかった。3ヶ月の差でした。あの団体が水面下で秘密裡に行なった前代未聞のテロ行為。10年たって思い出すだに、彼らが一体何故あのような事を行なったのか?そう考えると、今更ながら恐ろしく、不可解で、許せない気持ちが湧き上がってきます。あの事件と、もちろんあれだけではない数々の無慈悲な殺人事件は、日本という枠ををはるかに超えて、世界、いや人類史の中の特筆すべき事項です。その首謀者が日本社会の中から生まれ、その弟子たちがやはり日本社会から選りぬかれた若者であった事を思い起こすと、何とも言葉に出来ない陰鬱な気持ちを拭えません。


あぁ、そういえばあんな事があったと思って書き始めたら、いかんともしがたい暗い記事になってしまいました。食欲なくしますよね。お食事中または食事がまだの方がいたらごめんなさい。


この次はがんばります。って何を?