ネット中毒だなと、近頃の自分を見ていて感じます。

ブラウザのトップにはヤフーを置いている僕です。パソコンを開いてその日の売上げやら経費やらを記帳して、POPや注文伝票を作る必要のない日はその後ヤフーニュースを閲覧しまくります。次にメールを開きます。自分のブログにコメントがあればレスをして、その後は交流のある方のブログの閲覧。「今日は何を書こうかな?」というのは、もう決めてある日もありますが、そうでない時は、そのニュースと他ブログの閲覧をしている時に頭の中でこねくり回します。たまには休んでもいいのだけど、その間に何かしらの訴求欲求が湧いてくるのですね。


ただ、どちらかというと「訴求したいネタを探す時」が一番楽しい時間でもあるのです。

「これは書いとく必要があるな」「これは笑えるな」「ややっ?これは問題だ!」「あぁ、そういうこと自分にもあったよ!」などなど、様々な刺激を受けますね。しかし、そういう「えぇ?」とか「はぁ?」とか「ふうむ」などの刺激があっても、それを自分なりの文章に出来るかどうかが次の問題としてあります。

記事は記事として、またどなたかの体験は体験として既にあります。なぞっただけでは意味が無い。自分の中にあるものと、それをどう組み合わせてオリジナルな文章に仕立てるのか?それがうまく構築できない時は、刺激を受けたと言っても自分の記事としては書けません。その頭の中での「試行錯誤とこねくり回し」が楽しい。苦しむ時ももちろんあるけど、やっぱり楽しい。「何としてでもこれを記事にしたい!」という時は、それに付随する情報をまたぞろネットで探し回る事になります。そういうときには、着想から更新までに1時間を費やすのもざらです。苦労の末に記事を仕上げた時は、自分でも「よっしゃぁ!!」ってな気分ですね。


こういう状態を、「はまってる」と言うのだとは理解しています。他にやることあるんじゃないの?と自分に問い掛ける時もありますが、この程度の文章が書けなくてどうする?何てこともやっぱり考えてしまう。

「慣れればもっと早くなるさ」「訓練のうちさ」


継続は力ですね。僕は中学卒業の時に国語の先生からこんな言葉を頂きました。

「日に日に新た」

昨日と違う何かを、自分の中に見出す。または新しい成長の糧をその日どこかで見つける。

自分の中の考えや思いを、毎日何かしら『ひり出す』事で、新たな自分を得る。

ま、おおげさかもしれませんが、こつこつと続けていこうと考えています。