ファントムペイン(幻痛)という言葉をご存知だろうか?

サスペンス系の小説のタイトル(読んではいないが)にもなっているらしく、検索したらほろほろ出てきた。手や足を切断されたにも拘わらず、その、ないはずの部分が痛むという。既にない右足が痒くて仕方がないという。医学的に考察すれば、失った部分は神経もろとも消失していて、そこから生じる感覚などあるはずがない。しかし現にそういう感覚があるのだという証言が存在する。


ヤングサンデー(小学館発行)という青年週刊誌に「闇のイージス」という作品が連載されている。主人公は最愛の妻と息子を救出に向かうが、時限爆弾をセットされたその部屋はあと一歩のところで爆発してしまい、二人を死なせてしまう。助けられない。その際、彼自身も爆風で右腕を失う大ケガを負う。彼はその失った右手に鋼鉄製の義手を装着して、テロリストや悪なるものと戦うのだが、弾丸をはねのけてしまう強力な武器である右手は同時に弱点にもなる。めらめらと燃え上がる炎を目の前にすると、義手であるその右手が強烈に疼くのだ。そう、ファントムペインだ。


ファントムペインはどこから来るのか?

おそらく、生まれつきどこかを失っている人にはその部分の感覚は無いのではないか?そういう例を聞いた事がないからわからないけれども、もともとあったものだからこそ、その感覚が残っているのだと思う。つまりは脳が記憶している

痒かった感覚や、モノに触れた感触、その部分の痛み、全てを脳が記憶しているのではないだろうか?

それを想像するのにうなずける例がひとつある。


アメリカで脳死患者からの提供による心臓移植を受けた初老の婦人が、退院後は非常に活発に、まるで人が変わったように行動的になったという。単に元気であるなら結構な事だが、その婦人はヒマさえあれば自動車をドライブするようになった。しかも、猛スピードで。誇張でなく本当に人が変わった事に困惑した家族が、提供された心臓のドナーを探したところ、それは20代の若者だった。オートバイを運転中の暴走事故だったという。

つまりは心臓が記憶している


前に読んだ著作の中で誰かが言ってた話。探したのだがどうしても見つからない。だからおぼろげな記憶だが。

「われ思う。ゆえに我あり」「人間は考える葦である」と言ったのはパスカルだが、この哲学者の思想はヨーロッパの人たちの間で広く受け入れられ、「思考回路があってこそ人間だ」という考え方が広まった。これは、思考を司る脳を絶対視する考え方であり、脳こそが人格を司っていて、それ以外のものはパーツに過ぎないと。従って脳の機能が失われたなら、その人は既に人として(体温があろうが無精ひげが伸びようが)死んだも同然だと。これに、聖書の教えが絡みついて臓器移植が受け入れられたと考えられる。ヨハネによる福音書第15章13節には「友のために命を捨てること。これに勝る愛はない」とも書かれている。


しかしながら、上にあげたように、パーツであると考えられていたものが別の人の一部となったときに「自己主張」をする事や、存在しない右手に感覚だけが存在する例をどう説明したらいいのだろうか?


ご存知のように、移植には拒絶反応が厳然としてある。パーツである(と考えられている)他人の臓器を移植すると、レシピエント(移植された側)の身体は拒絶反応を起こして受け入れを拒む。これを緩和するまたは抑えこむ為に、免疫抑制剤の投与が必要となる。だいたい人間の身体は異物が入ってくると、それと馴染まず排除する働きがあって、たとえば腐った食物を食べると吐いたり下したりしてそれを体外に押し出そうとする。敏感な人は口にした時点で「あっ?この味は変だ」と気付いて食べるのをやめる。これらも一種の拒絶反応にあたり、こういう働きが失われたら身体は全身のコントロールを乱して命まで危うくなる。


そういうことを考え合わせると、臓器移植は先進医療でありながら、同時に人体が持つ本来の尊厳に土足で踏み込む技術とも言えるのかもしれない。本人がいやいやをしているところに、薬でだましだまし異物(レシピエントにとって必要な器官だとしても)を結合させようというのだから。


これまでは、「脳死の概念」そのものの危うさや「脳死判定」の乱暴さから来る、ドナーに対する「死の判定への疑義」という考察から文章を書いてきましたが、今回のものは、「移植は手放しで喜べるのか?」という視点で書きました。ややだらだらと書いてしまいました。

臓器移植に関する問題はまだまだたくさんあって、例えばドナーの死亡時刻はどの時点なのか?など刑法の問題。日本人の旧来の道徳観・倫理観は臓器移植をどう捉えるのか?というような欧米における教会を含めた宗教の問題。これは哲学とも絡むでしょう。こないだ取り上げましたが再生医療の問題。更に、表にはほとんど出て来ませんが、脳死者の臓器が商品として扱われようとしているという、ビジネスに絡む問題。山ほどあるのです。僕の浅薄な知識ではとても扱いきれませんが・・・可能な限り。