『病室を出て行くというのに こんなに心が重いとは思わなかった きっとそれは

雑居病棟の ベージュの壁の隅にいた あのおばあちゃんが 気がかりなせい

たった今飲んだ薬の数さえ すぐに忘れてしまう彼女は しかし

夜中に僕の毛布を直す事だけは 必ず忘れないでくれた

年とともに誰もが子供に帰っていくと 人は言う けれどそれはたぶん嘘だ

思い通りに飛べない心と動かぬ手足 抱きしめて燃え残る夢たち

さまざまな人生を抱いたサナトリウムは柔らかな陽だまりと 哀しい静けさの中』

サナトリウムは療養所の意


さだまさしさんの「サナトリウム」という作品の歌詞です。3歳上の姉の影響で、よくさだまさしを聞いていました。この歌は、僕の記憶の中にあるのですが、2番があったかもしれません。よく覚えていません。この歌詞も、実はうろ覚えです。

祖父に会いに行った後は、決まってこの歌を思い出しました。

特に、歌詞にある『思い通りに飛べない心と動かぬ手足 抱きしめて燃え残る夢たち』という部分が、僕の中に強烈に残っているのです。僕を認識していながら、思うように動かない身体になってしまった祖父。周りで起こっている事や、人々の会話、あんな状態でいながらも、祖父は大部分を判っていたのではないか?そんな気がしてなりません。

でも身体は動かない。言葉を発する事もできない。その悔しさを思うと、さぞ無念だったんではないだろうか?


脳死者は本当に死んでいるのか?

僕には、脳死に陥って、この状態は「死」ですと宣告されている人が祖父と重なります。