今月末にカレッジでファイナル(期末試験)があります。

今期の課題曲の中から私はハイドンのソナタを選んだのですが、なかなか手ごわく、あと1ページを残すのみなのですが、時間との勝負になってきました。


今日のレッスンで、またまた先生の名言がありました。


タイワニーズ(台湾人)の女性が前でソナタを弾きました。

とても慎重なタッチの人で、やわらかいハイドンでした。


先生は彼女にひと言、「Colourless」。

キビシ~。


私もずっと前にショパンを弾いたときに同じようなことを言われました。

いつもは途中で必ず止める先生が、何も言わずに黙って聴いているので、なんとなく不安になりながら最後まで弾いたら、先生は「退屈ね」。


つまり、フォルテもピアニッシモもたいしてコントラストがなく、一定の音量で弾いていた、と言うのです。


これはこたえたので、それ以来、かなりおおげさに強弱をつけて弾くようにしています。

何も言われないより、まだ注意を受けるほうがましなので。


タイワニーズの女性に注意をした先生は、なるほどな~、と思える話をしてくれました。


「Music is language」---音楽は言葉である。

「each note is an alphabet, phrase is word」---それぞれの音符はアルファベットであり、フレーズは単語だ、と。


メロディはセンテンス。


それぞれの単語にはストレス(アクセント)を置くべき場所があり、センテンスにはwaveがある、と先生は言いました。


そして、中国人や日本人はピアノをとてもフラットに弾くが、それは、中国語、日本語がそうだからだ、とも。


先生は中国語や日本語を理解しませんが、生徒たちが話す言葉を聞いているとそれを感じるのだそうです。

強弱のない言語だというふうに。


それが悪いというのではもちろんなく、それが、中国語や日本語の性質でしょう? と私たちに同意を求めてきました。


私たち日本人は、そうそう!って言ったけど、チャイニーズたちは「いや、違う。私たちの言葉にも強弱はある」と言い張っていました。


先生は、「英語の場合、必ず単語にはどこかにアクセントがあるし、センテンスの場合は音(発音)が上がったり下がったり、波がある」。

それは、ドイツ語もイタリア語もフランス語も同じだ、と。


だから、同じ曲を弾いても日本人はフラットに弾くし、ヨーロッパ人は強弱のメリハリをはっきり出して弾くそうです。


そうだったのかあ~、私は単に、アメリカ人は指先が不器用なのであんな大音量で弾くのかと思っていた・・・。


また、彼女はよく「メロディ・ラインを心の中で歌いながら弾きなさい」と言います。

「音楽は言語なのよ」と。

これをやらないと、全然感情のこもらない、聴いていても聞き手に何も響いてこない演奏になってしまうのだそうです。


私はこれまで、一部のピアニストを除いて、多くの日本人がクラシックピアノ曲を弾きこなせないのはヨーロッパの歴史を詳しく知らないし、育った環境がヨーロッパの風土とかけ離れているからだと思っていました。


それも理由のひとつらしいですが、ネイティヴの言語が比較的フラットな日本語だから、ということには全く思いがおよびませんでした。


今日、先生の指摘を聞いて、ひざを打つ気分でした。


これからは、英語を話す勢いでピアノを弾こうと思いました。