午後三時ちょうどに、ぼくは柚泉寺(ゆうせんじ)の前に立った。
何十段かの石段の先に鳥居が見える。
ここが柚泉寺とわかったのは、石段脇に「柚泉寺」と彫られた石塔を見つけたからだ。
丁度良い段数の石段をゆっくりと上がり鳥居をくぐると、苔の生えた石畳が現れ、その先に門がある。
苔を踏むとスニーカー越しにもその柔らかさが伝わってくる。
日差しが木々に遮られ、空気が心地良い。
蝉の鳴き声も聞こえない。
まるでここだけ別世界のような、不思議な感覚だ。
その門をくぐると境内となる。
蝉が鳴き叫んでいるから、ここはきっと現実世界なのだ。
ドラマや小説のように、お寺の関係者が都合良く境内の掃除をしていて声を掛けてくれる、なんて都合のいい展開になるわけもなく、ぼくは人を探して境内を歩き回った。
本堂の脇にまわったとき玄関らしき入り口を見つけた。
ぼくは引き戸を開け、「こんにちは」と叫んだ。
奥の方から声がして、間もなく現れたのは、団扇を携えた白髪の男性だった。
きっとこの人が柚原くんのおじいさんなのだろう。
しかし、白髪ではあるが、おじいさんとは言い難いほど若々しい。
「潮見と申します。
あの、柚原くんのクラスメイトです」
と、ぼくは自己紹介する。
白髪の男性は「あー」とか「へー」とかひとしきり感嘆してから「ちょっと待ってて」といって奥へ戻っていった。
柚原くんが現れたのは間もなくで、対面したぼくたちは口の中で「やあ」とあいさつを交わす。
ぼくたちは、どちらも口数が少ないのだ。
柚原くんは無言でぼくを外に促す。
ぼくは黙ってそれに従う。
玄関を出て本堂の裏手へと向かう。
そこは開けた広場のようになっていて、数十メートル先には鬱蒼と林が茂っている。
案の定、柚原くんはその林の中へと入っていく。
先程同様、林の中は不思議と空気が心地良く、蝉の鳴き声もしない。
しばらく獣道を歩いていていくと、道が開けた。
丸く空間が開けていて、一面に青い花が咲いている。
空間の真ん中には、崩れた灯篭が建っている。
かつて、何かの儀式が行われていた場所なのだろうか。
「青い花が好きなんだ」
柚原くんがいう。
「この花は?」
「リンドウ」
そういって柚原くんが青い瓶を差し出す。
ラベルにはサイダーと書かれている。
ぼくがそれを受け取ると、柚原くんは灯篭の脇に腰を下ろした。
ぼくもそれにならって灯篭に背を預けて腰を下ろす。
何から話そうか。
いまさらそんなことを考えていると気持ちのいい風が吹いてきて、目の前に咲き誇るリンドウたちが左右に揺れる。
カランカランとベルのような音が聴こえたような気がして、ようやくぼくは決心した。
「相談があって、今日はきた」
「そうだろうと思った。
ここなら誰にも聞かれることはない。
ぼくも落ち着いて話が聞ける」
「ぼくの話ではなくて、」
と、ぼくは一旦言葉を止めた。
瑠璃花さんをどう説明しようか、迷ったのだ。
「今朝、中学の同級生に会った。
女の子なんだけど、夢の話をしたんだ」
「夢?」
「その子は凄い夢を観たといって、ぼくにその夢の内容を話してくれた。
確かに、ちょっと不思議な感じだった」
ぼくは、瑠璃花さんから聞いた夢の内容を柚原くんに話した。
若干記憶が曖昧になっているのは否めないが、粗方間違っていないはずだ。
『黒い影が降りてきて、わたしは闇に包まれた。
体の奥の方で何かがざわめくような感覚があって、気付くと虎柄の空間にいた。
でも、照明が点いているの。はじめはずっと赤だった。
しばらくすると青と黄色。次々と切り替わるの。 目まぐるしくて、わたしは目を閉じてしまった。
そして再び闇に包まれた。
黒い影がすうっと消えていくのを感じた。
そのときようやくわたしは眠気を感じたの。』
「その子は、どうして自分がそんな夢を観たのかを知りたがっている。
ちょっと無茶なお願いだとは思うんだけど、一緒に考えて欲しい」
「その子は、どうしてきみにそんな話をしたんだと思う?」
「どうして?」
「例えば、中学生の頃にも彼女にそんな相談をされたとか、きみ自身謎解きが得意だったとか」
「いや、ない。
話は、唐突だった」
「会う約束はしていた?」
「今日はたまたま早起きしたから散歩したんだ。
出会ったのは五ヶ月ぶり、偶然だと思う」
そういったとき、ぼくは手に握られているサイダーの存在を思い出した。
右掌は水滴ですっかりと濡れてしまっている。
蓋を外すと、すうっと炭酸の抜ける音がしてサイダーの香りが届いた。
口に含んだサイダーは甘くて、喉を通るとちょっと顔をしかめたくなるような、そんな味だ。
「その子の夢には色が付いているらしい」
「色、か…」
「ぼくの夢はモノクロなんだ」
「夢はモノクロだよ」
「そうなの?
じゃあ瑠璃花さん、の夢は?」
途中で気付いたが諦めた。
隠していても仕方がない。
それに「その子」といういい回しはとてもいいにくかった。
「色というのは光の反射で初めて再現される。
このリンドウだって暗闇では黒い花に見える。
カラーの夢というのは、記憶の後付けで得られたものだよ」
「後付け?
だから…夢にリンドウが出てきたとして、それが青い花と知っていれば、夢から覚めた後に、ああ青色のリンドウ綺麗だったなあ、ってなるってこと?」
「そう。
ちなみに、記憶の後付けということは、見たことのない色は再現できない」
そうなんだ。
相変わらず物識りだなあと思った。
でもぼくは、今柚原くんがいっていることが本当に正しいかどうか、判断することはできない。