4:3まことに主は、ユダの人とエルサレムとに、こう仰せられる。「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。
ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行ないのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」
こんばんは、どこもかしこも 私の知る限りですがどうも いばらの中に種を蒔いてるようなので 気になっています
4:3まことに主は、ユダの人とエルサレムとに、こう仰せられる。「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。
マルコ4:18
もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞いてはいるが、
そして彼らにこう言われた。「このたとえがわからないのですか。そんなことで、いったいどうしてたとえの理解ができましょう。
4:14種蒔く人は、みことばを蒔くのです。
耕地に種が蒔かれます、収穫するためです、耕地とは種を蒔かれる所で「教会のたとえ」と思います。
はじめの説で 「イスラエルよ。もし帰るのなら、――主の御告げ。――わたしのところに帰って来い。もし、あなたが忌むべき物をわたしの前から除くなら、あなたは迷うことはない。
と書かれています、 帰って来い とは、近くにいない事がわかります それと、 あなたが忌むべき物をわたしの前から除くなら と言う事で、主の御心が行われていない事も知ります、一体なぜでしょう?
そのヒントとして 「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。 が書かれていいるように感じます
4: 4 割礼を受け、心の包皮を取り除け 見かけの割礼ではなく、心の割礼を受けるよう書かれています
み言葉を「いばら」世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望
に蒔かない事を命じられているのです、一見世の事、人の世の事、世の仕事や健康の事にみことばを蒔くということ、それ自体 感謝なのですが、世の心づかい がみことばをふさぎ、実を結ばないのならクリスチャンとして注視するべき箇所なのです。 それが4: 4 割礼を受け、心の包皮を取り除け ここで言わんとしている事と感じます
クリスチャンなのですから、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望 意外に祈り、みことばを蒔く事を言わんとしていると感じます (周りの人が世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望 だと、それに影響されそれら(世の事が邪魔をして、霊的なみことばをふさいでしまう原因の一つとして考えています)ルカ11:52
4: 4
ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行ないのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」
人の義を求めるが、神の義を求めない、子供の事を心配するが兄弟姉妹のことを心配しない、父母を敬うが、天の父、教会 信仰の父母を敬わない からだを気にするが、キリストのからだを気にしない、病、傷にきをつけるが、霊的病、傷にきをつけない 偶像を礼拝しないが、クリスチャンに似せた者をを崇拝する 金銭に執着せず、霊的富に執着する 姦淫をしないが、霊的姦淫をする 汚れてはいないが、霊的に汚れている これらが心に割礼を受けていない人たちです、おそらく・・・(これらは一部です)
あなたがたの悪い行ないのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」
心に割礼を受けていないと、熱い火の事を見ますが、聖書の中では 霊に燃えて と言う箇所があります
ここでは、私の動画にあったように「悪霊に」燃やされてる人の「たとえ」でしょう
なぜ永遠に燃えるのか、永遠の命があるのはクリスチャンなのでクリスチャンに注意する為に書かれたのではないでしょうか ともあれ、心に割礼を受けてください。 エレミヤの部屋でhttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/
イザヤ 32:20
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
新改訳で「いばら」を探しますと52説あります ここから主にあって霊的な目を開かせていただきましょう。