聖書の生まれるのたとえ | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

今の時代を知って欲しい クリスチャン専用のブログ
終末におけるクリスチャンへの裁き、悔い改め、聖書の喩えをおもに書いています。
お勧めメッセージです。
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ヨハネの福音書 3: 3

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

3:4              

ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母のにはいって生まれることができましょうか。」

3: 5

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。

3: 6

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。


ここでは肉の母から生まれる、第一の生まれと 水と霊によって生まれる二回目の新生(クリスチャンになる)

事が書かれています。妻のたとえが教会であるから。エペソ5:22~32 胎という言葉も実は新生する前のいる場所、まだ新生していない状態の事であると理解できるのです。


「胎」で検索しますと 沢山あります 


ヨブ 3: 1

その後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日をのろった。

3: 2 

ヨブは声を出して言った。

3:3

私の生まれた日は滅びうせよ。「男の子がに宿った。」と言ったその夜も。

3: 4

その日はやみになれ。神もその日を顧みるな。光もその上を照らすな。

3: 5

やみと暗黒がこれを取り戻し、雲がこの上にとどまれ。昼を暗くするものもそれをおびやかせ。

3: 6

その夜は、暗やみがこれを奪い取るように。これを年の日のうちで喜ばせるな。月の数のうちにも入れるな。

3: 7

ああ、その夜は、はらむことのないように。その夜には喜びの声も起こらないように。


実はヨブもクリスチャンの困難の時、もっといいますと「夜」の時代に新生したのです、そして主の目にあって素晴らしいクリスチャンです。しかしこのヨブが周りから苦難を受けているのです。


ヨブ3:11

なぜ、私は、から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は、生まれ出たとき、息絶えなかったのか。

3:12

なぜ、ひざが私を受けたのか。なぜ、私の吸う乳房があったのか。


ここでは何故新生し、すぐにクリスチャンを止めなかったのか

御言葉の乳をのみ、成長してしまったのか が書かれています(これから起こる事、そして結果も友人たちとの会話で「たとえ」で書いてあります、(教会の事)


ヨブ 21: 7

なぜ悪者どもが生きながらえ、年をとっても、なお力を増すのか。

21: 8

彼らのすえは彼らとともに堅く立ち、その子孫は彼らの前に堅く立つ。

21: 9

彼らの家(教会)は平和で恐れがなく、神の杖は彼らの上に下されない。

21:10

その牛(クリスチャン)は、はらませて、失敗することがなく、その雌牛は、子を産んで(新生)、仕損じがない。


主につく教会クリスチャンが苦難に会い(ヨブの型)、彼らが栄える事を憤ってます。


ヤコブ書

5:10

苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。

5:11

見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。


という事で、ヨブが先に苦難にあったのでそれの過程と結末を今の時代に「たとえ」で悟ることが出来るのです


詩篇22:9

しかし、あなたは私を母のから取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。

22:10

生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。

22:11

どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。


そうするとこの箇所も教会の事であると、見えてきましたか?たとえで
luke 21:23

その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。


身重の女と乳飲み子 身重(まだ新生していないクリスチャンの人のいる教会)

乳飲み子 見言葉の乳しか飲めず (霊的に)硬い食べ物を食べれないクリスチャン


イザヤ 66: 1

主はこう仰せられる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。わたしのために、あなたがたの建てる家(教会)は、いったいどこにあるのか。わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。

66: 2

これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。――主の御告げ。――わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。

66: 3

牛をほふる者は、人を打ち殺す者。羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。穀物のささげ物をささげる者は、豚の血をささげる者。乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者。実に彼らは自分かってな道を選び、その心は忌むべき物を喜ぶ。


おかしくなってしまった教会の現実 


66: 4

わたしも、彼らを虐待することを選び、彼らに恐怖をもたらす。わたしが呼んでもだれも答えず、わたしが語りかけても聞かず、わたしの目の前に悪を行ない、わたしの喜ばない事を彼らが選んだからだ。」

66: 5

主のことばにおののく者たちよ。主のことばを聞け。「あなたがたを憎み、わたしの名のためにあなたがたを押しのける、あなたがたの同胞は言った。『主に栄光を現わさせよ。そうすれば、あなたがたの楽しみを見てやろう。』しかし、彼らは恥を見る。」

66: 6

聞け。町(家が集まって町になります)からの騒ぎ、宮(主のおられる所教会の型)からの声、敵に報復しておられる主の御声を。

66: 7

彼女は産みの苦しみをする前に産み、陣痛の起こる前に男の子を産み落とした。

isa 66: 8

だれが、このような事を聞き、だれが、これらの事を見たか。地は一日の陣痛で産み出されようか。国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。


66:9

「わたしが産み出させるようにしながら、産ませないだろうか。」と主は仰せられる。「わたしは産ませる者なのに、を閉ざすだろうか。」とあなたの神は仰せられる。

66:10

エルサレム(霊的アブラハムの子孫の住む所、12部族と12弟子 御心の教会のたとえ)のとともに喜べ。すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。すべてこれのために悲しむ者よ。これとともに喜び喜べ。

66:11

あなたは、彼女の慰めの乳房から乳を飲んで飽き足り、その豊かな乳房から吸って喜んだからだ。


主が教会の中の敵の報復した後 クリスチャンが増える事の預言です。


シオン ガラテヤの手紙4:24 アラビヤにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。


ヨブ 4: 7  さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。
4: 8  私の見るところでは、不幸を耕し、害毒を蒔く者が、それを刈り取るのだ。

4:9  彼らは神のいぶきによって滅び、その怒りの息によって消えうせる。
4:10  獅子のほえる声、たける獅子(悪魔が吼えたける獅子のように ここでは悪魔の事です)の声は共にやみ、若い獅子のきばも砕かれる。
4:11  雄獅子は獲物がなくて滅び、雌獅子の子らは散らされる。

過去の事のようですが未来の預言でもあります。


いぶき 聖霊

創世記2:7

その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちのを吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。


聖霊の事です つまり、最後に聖霊の大きなそそぎがあり それで敵が滅びる事と思われます。

水もヨハネの手紙で聖霊の事とわかります

人に害を加えない水 生き返るような恵みの雨=聖霊  人に(クリスチャン)害を加え、雹(ひょう)ノアの洪水のようなのは聖霊ではないです。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/    エレミヤの部屋を参照にしてくださいね 一緒に聖書の隠された事を聖霊とともに見て行きましょう。