”逆日本史-4-⑪!!”-樋口 清之


『法隆寺に残された秀吉の落とし物-2



 織田信長による比叡山焼き討ちの強打を受けて武家恐怖症にかかっていた仏教界に、守護者として登場したのが秀吉である。その秀吉の訪問を受けた法隆寺の僧が日記に記すのは当然の務めだが、心柱の穴の中に扇が落下したことまで書き加えているそうだから面白い。


法隆寺の塔がなぜ1000年以上も盤石のように建っているのか、と目をつけて見学に来たのは秀吉の「古代の英知」に学ぼうとする態度の現れであり、さすがに並みの人物ではないことの証明だが、この些細な珍事が起こったときの秀吉と供回り、そして案内の僧たちの様子を想像すると、思わず微笑が湧く。


しかし、伏見城や方光寺は、すでに造られていて、この経験は利用できなかった。そのためか、秀吉の建てたこれらの高層建築物は、慶長元年(1596年)の山城大地震に耐えきれなかったのである。






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