1911年 ヒマラヤ山脈の麓にて、中村天風先生とカリアッパ大聖との問答
天風先生
無念夢想ディヤ-ナの条件は、
カリアッパ大聖
オフコース(もちろん)!
天風先生
なら、なぜもっと静かな場所で修行させてくださらないのですか?
カリアッパ大聖
天風先生
あんな場所で心が、静まるはずありゃしませんよ。
カリアッパ大聖
あの場所で心が、静まらないようなおまえなら、
天風先生
でもそうおっしゃいますけどもあの水の音では…(天風さんは、カリアッパさんから巨大な滝の下での瞑想を命ぜられる。)
中略
カリアッパ大聖
私が特にあの場所をおまえのために選んだんだ,
天風先生
どういうわけなんですか?
カリアッパ大聖
ま、一口に言やあだな、天の声を聞かせてやろうと思ってよ!・・・・・ 中略・・
以上「盛大な人生」日本経営合理化協会編より引用させていただきました。
さーいよいよ天の声が登場しました。天の声とは、宇宙の実相の音のことです。
この音を聞くと五感が、実相を感知し、結果として無の境地に入ります。
普段我々の心は、仮想(幻)に対して反応しており、仮想(幻)への反応であるが故に、様々な悶心を、心の中に生じさせます。
我々の住むこの3次元と時間軸のある空間そのものが、仮想なのです。実相は、多次元帯であり、宇宙を成り立たせて いる根本は、エネルギー体なのです。 このエネルギー体の音が、天の声なのです。
さらには、このエネルギー体の分派が、我々なのです。元来我々は、造物主と同じエネルギー体と一体化した一つの存在でした。
その一つの存在としてのあり方では、すべてが完璧に存在しているため、悲しいとか、嬉しいとかがどういうことなのかを、体感することができないのです。こことそこという区別すら、その一つの存在の中ではないのです。
そこで、悲しいということが、どういうことなのか?嬉しいということがどういうことなのかを体感するため、一つのエネルギー体から分属した存在が、我々の正体なのです。
ある意味で、いろいろなことを体感するために、この地球を含めた現象界に降りてきた我々ですので、悶心が体感に、付随して生じるのは、当然といえば、当然です。
3次元の中で、物質という形で、自らを表現するときに、その物質を着るエネルギー体が我々の本質なのです。 着物に過ぎないこの物質が、我々の肉体なのです。 我々は、本来着物に過ぎないこの肉体を、物質的に存在させるために、心というものを肉体の脳という器官に備え付けました。 警戒心とか、疑心とかは、肉体の危険を察知するため、実際は危険な状態でなくても身を守るために生じます。
この悶心は、常に心の中に生じ、休むことがないのです。だから肉体として生きていけるのです。
しかしここで働いている心は、我々ではないのです。3次元で存在するための手段として、着物としての肉体に、付着した心であるに過ぎないです。
ほんとうの我々は、造物主のエネルギー体から分属したエネルギー体なのです。別名真我とか、アートマンと言われるものです。
この真我に、天の声すなわち造物主のエネルギー体の音を聞かせると、我々が元々いた完璧な状態に戻るのです。
この我々が元々いた完璧な状態が、無念無想すなわち無の状態を意味します。
造物主は、不完全な我々の住む現象界に、我々を細分化しました。と同時に、完全な存在と再度一体となりうる道を我々に残し、完全な存在としての思考・行動を、この不完全な現象界の中で実現することを可能にさせました。
その目的は、不完全な現象界の進化・向上です。
アインシュタインやニュートンさらにはガリレイたちは、この完全な存在としての思考を不完全な地球上でおこなったのです。
完全なる世界に不完全なもの、現象を持ち込むことはできません。けだし不完全なものを持ち込んだ時点で完全な世界でなくなるからです。
しかし不完全な世界に、完全なものを持ち込むことは可能です。特に思考とか、リズムとかシンクロニシティーといった目に見えない非固形物は、完全な存在として、この宇宙空間の一つである地球上に実現できるのです。
造物主のエネルギー体と私たちが、再度一体となりうる道が、神人冥合であり安定打坐密法なのです。
安定打坐密法と神人冥合は・・・・・・・ 以下次号へ続く。
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