昨日の続きで、ヒプノセラピーのお話しです。
ヒプノセラピーとは、催眠療法を利用する心理療法で、人の感情や行動パターンを左右する潜在意識にアクセスして、行動や意識の気づきや変革をもたらすものだそうです。
ヒプノセラピストの玉田先生にきいたら、前世でも、自分の記憶にない幼かった頃にも、未来の自分にも(‼︎)会えるということで、さて、今日の私が受けるのは一時間のミニヒプノセラピー、テーマを決めてどこまで見れるかなぁ~、とスタートしました。
テーマは、末っ子との関係。
なんだかしっくりこないこの子とはどんなつながりがあるのか、何か学び合う関係なのか(どんな相手とだって学び合う関係ではあるのだけど、この子とはどうしてかいつもちぐはぐになってしまうのです)。
先生の優しい誘導の言葉で、目を閉じます。意識ははっきりしていて、あれ、私大丈夫かな、ちゃんと催眠かかるのかな、って少し不安になります。
まず見えてきた、というか感じたのは両足の重さ。私は岩のような硬い平らなものの上に寝せられているようです。両足は岩ともう同化しているように感覚もなく、固まっているようです。私の目線から見える自分の膝のあたりには、藁のようなゴザのようなザラザラしたものが見えています。
たぶん27、8くらいの女性の私。
息苦しく、自然とはぁー、はぁー、と息がもれます。
でも、特に感情はなく、ただそこにいるだけ、のような感じです。
次はたぶん十代後半くらいの私。なにか動物を追いかけるように走っています。楽しかったり喜んで走っているようではなく、いつものこと、いつもの日常のようです。
動物は家畜なのかな。これは仕事なのかもしれません。
たんたんと、私は走っていました。
そして次のシーン。
夕暮れ。薄暗い家の中。窓から見える外はみるみる暗くなっていきます。
テーブルの向こうで背を向けていた彼が振り向きます。私のおじいさんのようです。
私は10才位。二人きりです。
私とおじいさんは、たぶん夕食の支度をしているのだと思います。
このおじいさんが、末っ子なのかもしれません。
おじいさんは、私を心配しています。
彼は年をとっています。私がひとりぼっちで残されるのをとても心配しています。
そして彼も、私を育てなくてはいけない、ということで、自由を奪われてもいます。
私はおじいさんのことを、特に大好きでも嫌いでもなく、ただ、当たり前の日常として、ただ、ふたりでいるだけです。
おじいさんの心配など全く知らず(こどもはみんなそうですよね。私はこどもです。)、ただ暮らしています。
そこで、急に涙があふれてきました。
おじいさんは私を心配している。胸が締めつけられるように、私のこの先を案じていて。でも、彼にはどうしようもないのです。
ただ自分が生きている間、ふたりで暮らしていくだけ、なのです。彼にはそれしか選べない。
そして私はそれを知らない。
どんどん涙が流れていきます。
おじいさんのせつなさが私の胸に流れ込んでくるようです。
そして、私のこの一生が終わるようです。
私はひとりです。
何も、思いません。怖くもなくさみしくもありません。ただ、死んでいくだけ。
私はたぶん、30才位。
この一生について思ったのは、うっかりしてるとすぐに人生なんて終わっちゃうんだな、もう少しなにかしてもよかったな、って位でした。
それも、特に強く思ったわけでもなく、なんとなく感じた位。
そして私は前世から戻ってきました。
今回みた前世は、全体的に淡々としていて、もっと激動の人生を想像していた私(笑)は意外に感じました。
きっと前世なんて、誰でも山ほどあって、その中からチラッと覗いたほんの少しの私の一場面。
でも、きっとたくさんのシーンの中から今の私に必要なシーンを見てきたんだと思えます。
幼かった私は、彼に確かに、大切にされていた。
そしておじいさんが末っ子の前世だったとしたら。
ヒプノセラピーは、受けてからしばらくの間、思い返してさらに気づきが深まるそうです。
面白い体験をさせていただきました。
おじいさん。
私には、実際に、とても私を愛してくれていたおじいさんがいました。
私が高校生の頃に亡くなってしまったけれど。
そのおじいさんについても、つい先月の瞑想会で気づきがありました。
この頃、おじいさんづいている(笑)私のようです。
またその事は書かせてくださいね。
読んでいただいてありがとうございました^ ^