AKB48 引き立て役 使い捨て 捨石メンバー クビ 映画 解雇 恋愛 | ЯαYの日記

ЯαYの日記

信なくば立たず

AKBの中で小嶋陽菜が一番ルックスが良いとは思います。
それをAKBファンの方々に話しますと「こじはる推しですね(^ω^)」と仰っておりました。
なぜそういう解釈になってしまうのでしょう(^ω^;)(;^ω^)

そういった文化が中々興味深くは思いました。
メディアで報道されてる通りもの凄く売れていてブームになっているので、そういった意味でも注目すべきなのかと思います。

AKBだけでなくアイドルそのものを「くだらない」「興味がない」で括ってしまって無視するのは簡単なのですが、特に最近僕はそういうことをしたくないと思うようになりました。
やっぱり自分の興味だけに従ってますと視野が非常に狭くなってしまうんです。
他人の興味というものに沿ってみますと、自分単体では気付かないようなことが沢山あるんですね。
つまり自分だけの判断ですと、価値があるものや面白いものを取りこぼす可能性があるんです。

それに「アレは興味ない。コレも興味ない。」みたいな興味の範囲が狭い人を拝見しますと何か優しさに欠ける印象を持つんですね。
確かに本人は興味がないかもしれないけど、他人はとても興味を持っているとします。
その他人にとっての「楽しさ」を理解もしないしする気もないというのは、逆に他人にとっての「痛み」を理解しないのと同じことだと思います。
多分他人の「楽しさ」は理解しないで「痛み」だけ理解するというのは無理だと思います。
こういった他人の「楽しさ」を理解しない人が、他人の「痛み」について理解を示そうとすると単にウザいだけになります。
多分これを読んでる方も自分が困ってる時に、一応同情してくれてるとしても寧ろ迷惑という経験があるかもしれません。

例を示せば更に解り易いでしょうか。
例えば友人や恋人に自分が視て凄く面白かったDVDを視て欲しいと貸してあげようとします。
エヴァンゲリオンだとしましょうか。コレをつまらないという人は少ないとは思いますので。
しかしその友人や恋人が「アニメはダサいし興味ねぇ」と言って拒否するとします。
そんな事言わないで視てみれば多分面白くてハマる可能性だってあります。
人生の楽しさの1つをここで失います。
更にエヴァを勧めた人は完全な善意ですよね。他人に貸しても多分何の得もないと思うんです。
大抵他人に勧める場合は相手にも楽しんで欲しいという優しい気持ちがあります。
それを理解せずそして視もせず拒否というのは優しさに欠ける行為ではないでしょうか。

僕がAKBネタなのにここまで書くのは、やはりこういった事実を認識して欲しいと思うからです。
でもそこから先どういった姿勢を選択するのかは一切関与する気はないですし、「こうして欲しい」というのもありません。

前置きが異様に長くなってしまいましたが、そんな訳でAKB48のドキュメント映画を拝見してみた訳です。
まず最初に気になった事。こういう部分を逃しませんっ(`・ω・´)

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AKB48ドキュメント映画の1シーンです。これらの子もAKB48のメンバでしょう。
どう見てもお顔は普通。正直驚きました。
アイドルとはお顔が可愛かったり綺麗な人がなるものだと思ってましたが、どうやら僕の大きな誤解があるようです。
多分上記の2人よりも容姿の良い子は沢山オーディションを受けてる筈です。でも選ばれない。その容姿の良い子達が「売れない」と思ったから選ばない。
事実選挙で2人で圧倒的な票を獲得してる前田敦子・大島優子両女史も決してAKBの中で特に容姿の良い2人という訳でもない事から、顔の良さがあるから必ず売れる訳でもないのが言えるのかもしれません。

ジャニーズもそうなのですが、アイドルグループに於いて全員お顔が良いというふうにはしないのではないでしょうか。
イケメンは1グループに1人、精々2人です。残りは引き立て役、良く言えば役割分担でしょうか。
これは例えばパソコンの心臓部マイクロプロセッサのビジネスモデルに似ています。それらは必ず上位モデルと廉価モデルに分れているのですが、実は工場で製造されてるものは上位モデルのみなんです。
態々上位モデルの性能を殺して廉価モデルとして売ってる。
全部上位モデルとして売ると廉価版に利益を圧迫されない分値下げが出来て、それによって売上数量が増える分の利益よりも、廉価モデルをかなり安くして上位モデルをかなり高くして販売した方が利益が大きくなるということです。
 
引き立て役が存在しないと本命も本命として輝くことが出来ないみたいです。
その意味では上記の娘さん達もそういった役目(引き立て役)なのかもしれません。
そしてAKBに於いてどうやら「引き立て役」はドンドン切られてく「使い捨て」的意味合いが強い気がしますが実際どうなのでしょうか。
AKBは実質上位7名か8名だけで稼いで、残りメンバは兌換可能な、それどころか実際捨て駒として上位8名を支える犠牲という構図が見え隠れしてるような気がします。
だから倫理的に悪いと言ってる訳ではありません。ビジネスというのはそういうモノだと思いますし。

やはりAKB48選抜総選挙の結果を見る限りでは、上位8名だけで総得票数の50%以上を占めています。
この総選挙はSKEやNMBや研究生も含みますから立候補者数は150名です。
上位のたった5.3%の人間だけで、投票数の50%以上を毟り取ります。
この事実を突き付けられて、勘の良い人はすぐに思い浮かぶかもしれません。
そうです、現在の経済システムに於ける富の配分と酷似しています。所謂「勝ち組負け組」の話ですね。
この選抜総選挙という制度もこれだけの規模でやったのは当然今までのアイドルでは初めてでしょう。
要するに年功序列の代わりに採用されるようになってる「成果主義」です。
AKBのシステムは現在の経済システムを意識的にそのまま反映させたものでしょう。多分サブミリナル効果を狙ったものだと思います。

ただし日本は上位5%で国民所得の50%を占める所までいってません。
なぜかというとAKBと違って所得比率を調整する政府の存在があるからです。
例えば累進課税といって多く稼いでる人にはより多い割合で税金を支払わせるような事をします。
極端な言い方をすれば低所得者は無税に対して、高所得者からは7割8割の税金を負担させれば、大分所得のデコボコを減らせます。政府というのはこういう事をするのもその役割の1つです。
逆に言うと政府が介入しなければAKB総選挙と同じことが起こります。
経済システムというのは国家が介入を何もしないと、ごく少数の人間が富を独占するようになってるんです。
これは例えば近代経済学の「アローの不可能性定理」というのもそういう事を言ってると僕は理解してます。
数学的にこの事を論証してしまってるので、首是せざるを得ないのがこの理論の特徴です。多分正しい。
富の集中に関しては他の例えば経営学の分野でも論証されてるのではないでしょうか(どなたかご存知ならお教え下さい)。

だからAKB主催者が前田敦子女史だけ売れるように仕向けてるというよりは、何も介入しなければ自然に独裁アイドルが生まれるというのが寧ろ正確な分析だと思います。
前田女史が秋元氏に大変気に入られている(から贔屓されている)とかそういう噂をかなり耳にしましたが、そんな邪推をするエネルギーがあるのなら色んな学問に接してみるのをお勧めします。もっと正確に事態を把握出来ると思う。

しかし本来ならば前田独裁体制になる筈なのですが、ほぼ同じ位の得票数を得て双璧体制としている大島女史のポテンシャルは凄いということになると思います。
彼女は多分カリスマ性を持ってる訳でも容姿がある訳でもないので、人間性や努力の部分が多分ハンパないに違いありません。
長い目で見れば、芸能界で生き残る可能性は前田女史よりも高いのではないでしょうか。

このように経済システムは放置しておくと極端な貧富の差、極端な不平等を引き起こします。
マルクスが提唱した共産主義というのは、その経済システムに政府が大きく介入し、貧富の差を無くそうという試みだったのです。
しかし政府が介入し過ぎたが故に経済システムを壊してしまいました。それがソビエト連邦及びその衛星国の共産主義崩壊の原因です。政治や民衆の動きの結果ではありません。それらは寧ろ原因でなく結果でしょう。
北朝鮮の経済が完全に崩壊してるのは、政府が無能というよりも共産主義システムが経済活動を阻害してるからなんですね。
ということは、共産主義程ではない介入を行っているアメリカや西欧や我々日本も、経済システムにダメージを与えていて、いずれ経済システムが崩壊するという言い方も出来ます。
そういう面が散見出来るのを否定する方は今ではいらっしゃらないのではないでしょうか。

因みに「規制緩和」という言葉は随分以前から巷間言われていますが、共産主義・社会主義国家の政府による介入が経済システムを壊してしまうのを受けて出て来た思考です。
規制というのは政府が経済活動に対しての介入ですから、これを無くして経済システムの邪魔は止めようということです。
しかし規制緩和してしまうと今度は貧富の差が拡大してしまうというのが必然で、それが現在なんです。
介入を緩めた分だけ近代国家は延命するかもしれませんが、それは平等そしてそこから得られる公平(特に子供達に対して)を犠牲にしてのものです。
これは延命治療に於ける選択と似ています。
ボロボロになってまで延命するのか、それとも苦痛だけ薬で減らし残った人生を豊かに生きるべきか。

グローバル経済という概念も規制緩和同じ自由化の流れの一環です。
これも予想つくと思いますが、市場が国内経済だけに縛るなら外国のどんなに良い製品でも入って来ない。入ってきても関税をかけて馬鹿みたいに高くする。
ところが貿易が自由化されるとドンドン入って来てしまう。結果国内産業が競争に負けて潰れる。その象徴がアメリカの自動車産業なんだけど、もう駄目なんだけど流石に自動車だけは日本のコメと一緒でアメリカ文化の象徴なので多大なコストを支払って維持しています。
政府が介入しなければ本来自由競争市場というのは上記したように精々数社が独占するようになってます。
それが国内市場だけなら国内で数社生き残ります。ところが自由化しますと全世界で1つの産業が数社だけ生き残るとなります。結果全世界的に会社が減って雇用が無くなるのは必然ということです。
現在の先進国の失業率の高さや貧富の差はこれが原因の1つです。
第二次世界大戦前の世界経済が分断されてブロック化されていたのはこれを恐れてなんですね。
ところがそれをやると戦争は避けられないんです。だから戦後は連合国も枢軸国も貿易の自由化を推し進めてきました。

戦争を避け、経済システムを壊さないようにしていくと著しい貧富の差と高い失業率に帰結します。
各国の経済学者も政治家も、いや恐らくは人類全体がその矛盾に苦しんでいます。
我々の歴史的地点というのは、もう少し皆真剣に考えても良い所にあるのではないでしょうか。

長くなってしまったので次の日記に続きます。

論理についての日記はやたら書くのに時間がかかるので、またいずれまとまった時間が取れた時に書きます。