気を取り直して、自分史の続きを書こうと思います。
「気を取り直して」というのは、2006年から2007年くらいまでの
私の人生のなかでは「政治の季節」とでも言うんでしょうか
霞ヶ関、永田町の周辺に、あれほどご縁のあった時期はありませんでした。
この頃のことを思い出して詳しく書くのって、
実はちょっと辛い作業になるのです。
昨年12月の選挙で自民党が圧勝して、安倍さんが首相に返り咲いた時
私には軽いPSTDの症状が出ました。
街を歩いていて、自民党のポスターや、安倍さんの顔を見ると
身体が固くなり、呼吸が浅くなるのがわかりました。
ちょっとこの反応は異常かもしれない。 何でだろう? と、
自分の内側をフォーカスしてみると、いろんなことが蘇ってきました。
ひとつは、今から6年前の2006年に関わっていた共謀罪反対運動のときの記憶。
あのときのことがやはり大きなトラウマになっているようです。
当時、周囲にいた人たちは、長年反体制派として鳴らしてきた人や
大企業や警察などの不正をテーマにしたり、
戦場にも取材に出ていたジャーナリストといったツワモノたちで、
身体を張って政府に物申してきた人たちでした。
※ 参考
当時仲間たちとこんなブログ立ち上げてました。
共謀罪ブログ
「共謀罪に反対する表現者たちの会」メンバーからのメッセージ
そんな彼らに対しては、なかなか弱音を吐けず、
私は自分の感情を抑圧していたのですが
毎日のように国会議事堂に行き、院内集会に出たり、
国会の専門委員会を傍聴したりしているうちに公安警察(らしき人物)に尾行されたり、
仲間が目の前で逮捕されそうになったりする体験は、
やはりトラウマになるには十分だったようです。
そのときの首相が安倍晋三氏で、
当時の衆議院も自公で320議席という圧倒多数を占めていました。
その当時を振り返って、またその状況が再現されるかもしれないという不安のなかで
自分に行使される権力を信頼できないということは、
こんなにも大きな悲しみなのだと 実感しました。
しかし、こうした経験を通じて
左も右も、これまでのジャーナリズムというものは、
「社会の木鐸」的な意味で、公権力を「信頼できない」根拠を見せていくような
役割があったと思うのですが、私はそれはもう古いと感じました。
それよりも、どんな状況のなかでも、少しでも希望を持つこと
それを未来につなげていくことを訴えることの大事さが身に染みました。
今年の夏の参議院選もまた、自民党が圧勝しましたが、そのなかでも
脱原発を訴える 山本太郎氏 が当選したり、三宅洋平氏が健闘したり
新しい、希望が持てる動きがあったことも事実です。
また、先日も、経済優先で自由化を推し進めてきた小泉元首相の
脱原発発言があり、その意図の裏を読む動きもあるけれど
ここは真っ直ぐ受け取ろうと思っています。
だって人はいくらでも変わるのだから。