國體護持 第六章 第三節 (單位共同社會)-1
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
第六章 萬葉一統
第三節 自立再生社會の實現
(單位共同社會)-1
民度の向上が國(国)家の健全さの指標である。經濟(経済)統計上の數(数)値では到底認識しえないものである。
我が國において、神(神)道的な部民制の時代においては、祭祀の「齊(斉)(いつき)」を鎭守し、文化、教育、醫(医)療、治水、農業、漁業、林業、工業その他の産業に關(関)する技能や技術の習得については、職能別の專門集團(団)が徒弟制度などによるその技術の承繼(継)と教育を施した。これは、大政翼贊會(会)運動における「職域奉公」に通底するものがある。それが「部民」であり、「部(べ、たむろ)」は、場所と集團とが一體(体)となつた概念であつて、それが古代における自給自足の單(単)位となつて民度を高めてきた。
このやうな原始風景に導かれて、世界各國(国)が自立再生經濟(経済)に向かへば、將來(将来)は次のやうな理想社會(会)が出現する。即ち、家族全員は大家族で生活し、その家で電力その他のエネルギーや食料を自給し、水も汚水處(処)理して循環再生し、屎尿も肥料として再生處理して使用する方向へと向かふ。人々は、心身を鍛へ德器を磨き、公共・公益のための學(学)問と技術の研鑚(けんさん・深く極めること)に熱心であり、世界の隅々まで情報通信網は網羅され、いづれの人々も自立再生してゐ閉鎖循環系の自給自足社會が極小化した最小單(単)位としての共同社會(以下「單位共同社會」といふ。)に屬(属)してゐる。この單位共同社會は、水脈や地勢を基準として地理的、地政學(学)的かつ生態學的に決定される。水は、生活と産業において最も不可缺(欠)なものであり、山から泉が湧き、それが川となつて農村と都市を潤して海へと注がれ、その海から雲が起こり、やがて山河に雨を降らせ、山河はこれを水源として涵養(かんよう・水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること)するといふ「水の輪廻」を基準として、各閉鎖循環系の極小化された自給自足社會の最小單位となつた「單位共同社會」は構成されるのである。
人々は、原則として、その單(単)位共同社會(会)内で、その他の生活必需品の調達をし、醫(医)療、教育及び勞(労)働の機會を持つてゐる。そして、海も空も川も湖も澄んでをり、生きとし生けるものは山河と共生してゐる。この單位共同社會の地理的範圍(囲)は、我が國(国)を例にとれば、單位共同社會とは無縁の線引きで區(区)別された都道府縣や、その單なる組合せである道洲制とは根本的に異なる。豫(予)算爭(争)奪のための地方分權(権)などは些末で危險(険)に滿(満)ちた議論である。重要なことは、自立再生經濟(経済)への取り組みなのである。
それが方向付けられれば、すべての問題がこの方向で收斂(しゅうれん・集約)していく。たとへば、雇用問題も然りである。究極の雇用對(対)策とは、雇用生活者をなくすことである。つまり、自立再生社會(会)となることは、分業體(体)制から合業的統合へと向かひ、人を企業の被用者から自營(営)者へと轉(転)換させることであり、雇用關(関)係に伴ふ紛爭(争)や諸問題を質量共に縮小していくことなのである。
拜金(拝金・金銭を最高のものとして、極度に尊重すること)主義は霧散し、家族團(団)欒が復活して、「もののあはれ」が味はえる精神(神)的に餘(余)裕のある社會(会)の實(実)現し、せき立てられるやうな世知辛い暮らしを續(続)けることはなくなる。
單(単)位共同社會(会)の究極的な理想は、その單位が「家族」となることである。しかも、それは、核家族ではなく、歴史、文化、傳(伝)統などを傳承して搖籃しうる「大家族」である。大家族單位で自給自足の自立再生が實(実)現すれば、治安、秩序などにおいても諸問題は殆ど解決するであらう。
國體護持 第六章 第三節 (單位共同社會)-2 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10304871447.html