國體護持 第六章 第二節 (自立再生社會の概要)-3
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
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(自立再生社會の概要)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10304854960.html
第六章 萬葉一統
第二節 自立再生論
(自立再生社會の概要)-3
いづれにせよ、實體經濟(実体経済)を健全化させることが當(当)面の課題ではあるが、これからの經濟政策は、消費を煽ることによつて景氣(気)浮上させるといふ幻想から脱却しなければならない。前に述べたとほり、このやうな政策は、質素儉(倹)倹を否定する不道德の奨励であるとともに、人も國(国)家も、成長が際限なく續(続)くことはありえないことを忘れたものである。經濟成長も然りである。いつまでも唯物論的に經濟が成長し續けると未だに爲(為)政者や經濟人は信じてゐるために、このやうな幻想を抱くのである。經濟といふは、所詮は物質的活動である。これ以上に一體(体)何が物質的に不足なのか。豊かになつたと云はれてゐるのに、それでも更にあくせくして疲れ切り、將來(将来)が不安なのはなぜか。それは、この際限のない成長幻想を抱いてゐるからである。世界には、飢餓に喘ぐ状態が未だに殘(残)つてゐるが、世界の經濟活動は、その救齊(斉)には向かはない。むしろ、その乖離(かいり・結びつきがはなれること)を深めるだけである。さうであれば、現在の經濟における需要は、原則として消費財の補充と生産財の維持の限度でしかありえず、これ以上の需要の擴(拡)大はありえない。これ以上のものを求めるとすれば、虚業經濟によるか、あるいは、實體經濟に拘るのであれば、それは戰爭(戦争)とそれによる破壞(壊)からの復興といふことを繰り返す戰爭特需以外にはありえないのである。
「倉廩(そうりん・米ぐらや穀物ぐら)實(実)ちて禮(礼)節を知り、衣食足りて榮(栄)辱を知る」(管子)の如く、見せ掛けの成長が止まつてから、人が人格の完成に磨きをかけるのと同樣(様)に、國(国)家もまた文化と民度の向上に努めなければならないのである。
ともあれ、再び再生經濟(経済)理論に話を戻す。まづ、資本主義の特性は、たとへ、消費(需要)がなくても、利益の獲得のために生産(供給)するところにあり、大量生産が大量消費を牽引するとして、それによつて擴(拡)大再生産が始まることになる。つまりは、放置すれば消費性向には限界がないことから、物があれば、あるだけを消費するに至るからである。
ところが、「再生」には技術的、經濟(経済)的に限界がある。從(従)つて、自然に再生される物や義務的に再生される物以外の「餘(余)剰」の廢(廃)棄物が環境等を破壞(壊)することから、この消費を「再生」に着目して限界付ける必要があつた。それゆゑ、これは、「再生できずに廢棄してしまふ製品を消費してはならない。」といふ消費の抑制原理である。勿論、消費量とその速度については、地球の再生能力の限界點(点)を超えられないことは前に述べたが、その限界點である消費總(総)量を總人口で除した値が一人あたりの消費量であるから、消費生活の態樣(様)は、その數(数)値を超えてはならないといふ他律的なものとなる。總人口の問題、すなはち人口問題については個人で解決できる問題ではなく、一人あたりの消費量の限界點も、このやうに他律的に決定されるとなると、個人が自覺(覚)的に取り組めるものにも限界がある。それゆゑ、國(国)家としては、これらを具體(体)的に數値化して、一人あたりの消費量の限界點を示し、消費量を抑制させること、いはば「消費量の配給制」といふ總量規制を導入する必要がある。人々は、その總量規制の限界の中で、個々の事情により優先順位を定めて消費の種類を選擇(択)し、消費の量を調整する。
そして、消費については、このやうに消費總(総)量の限界點(点)を算出し、また、再生についても、再生しうる再生總量の限界點を算出し、これらを比較して、いづれか少ない數(数)値を以て「消費の配給量」が決定することになる。
このやうに、消費と再生の限界を認識した上で、これに基づき生産と流通を限界付けたといふ理論がこの再生經濟(経済)理論である。いはば、これは靜脈産業である再生産業を産業構造上の中心産業と位置づけるもので、單(単)なる循環經濟理論のやうに、再生産のための生産部門のためにゴミを資源として考へると云つたやうな、生産といふ動脈産業を中心に産業構造を捉へるものとは全く異なる。ゴミをそのまま燃燒(焼)させて熱源とするやうな單純な循環ではなく、通常は「メビウスの輪」のやうに、ゴミの再生處(処)理によつて得られる資源を産業の起點(点)とした「循環無端」の再生循環經濟なのである。これは、生體(体)における自己完結型の「代謝」が雛形となつてゐる。
國體護持 第六章 第二節 (自立再生社會の概要)-4 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10304858072.html