國體護持 第六章 第一節 (現代産業社會の限界)-3 | らすログ☆

國體護持 第六章 第一節 (現代産業社會の限界)-3

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(現代産業社會の限界)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10283325462.html



第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (現代産業社會の限界)-3



 政官財(業)は三位一體(体)となつて國(国)際貿易を推進してきたが、これらの制を支へる多數(数)決原理の民主主義が形骸化し、官僚統制家(全主義家)に陷(陥)つたために、思考が硬直化してゐる。そのため、これらの諸問題を效(効)率良く解消しうる理念や、その解消のための總(総)合的政策が立案されず、刹那的政策又は無策による混迷と無明が續(続)いてゐる。これは、日本だけに限らず世界共通の事態であり、このままの状態がけば、問題はさらに深刻となり世界各は悉く破局を迎へる危險(険)が迫つてゐる。



 さらに、産業構造を支へる基盤においても變(変)化が生じてゐる。マルクスが指摘したやうな、資本家が勞(労)働者(プロレタリアート)を搾取し、働者が窮乏化するといふ一方方向ではなく、その後の資本主義社會(会)は、働者が「消費者」となることによつて、働者は單(単)なる搾取の對(対)象ではなくなつてきた。資本家に支配され搾取される働者が、その得た賃金を以て商品購買力を持つ消費者として資本家の前に登場し、商品のより高い付加價(価)値を求めることによつて、逆に資本家の活動を支配するといふ循環的な協力關(関)係が構築された。この循環の中において働運動は終息し始める。しかし、このことは、資本家と協力係を構築する富裕層の働者を生み出したものの、新自由主義(市場原理主義)が席卷(巻)することによつて、增(増)大する絶貧困層を大させ、この絶貧困層は次世代働者を供給することが不能となつてゐる。新自由主義經濟(経済)下で不安定な雇用係や働状況にある非正規雇用者や失業者を、precario(不安定な) Proletariato(無産階級)といふ意味のプレカリアート(伊precariato)といふ造語で總稱(総称)することがあるが、これは、まさしく新たに大しつつある絶貧困層のことである。結婚、出産、育兒(児)といふ過程をて、次世代働者を社に送り出す母體(体)となる家族を設けて生活することが貧困のためにできない。これは將來(将来)における働の供給不能といふ側面もさることながら、「倉廩(そうりん・米ぐらや穀物ぐら)實(実)ちて禮(礼)節を知り、衣食足りて榮(栄)辱を知る」(『管子』)ことができず、延いては家族の崩壞(壊)といふ由々しい事態を招く。そして、その貧困層の老齡化による社福祉費の大によつて、資本家と富裕働者層との協力循環の規模は縮小し、働運動は絶貧困層についてのみ生き續(続)け、より過激な方向になるであらう。「格差社」といふのは、働者層の二極化のことであり、マルクスが豫(予)測しえなかつた新たな「窮乏化理論」が登場しうる社となりつつあるのである。



 ところが、前述したとほり、經濟學(経済学)は、これを是正するための經濟(経済)思想や經濟(経済)理論を放棄してゐる。そして、新自由主義(市場原理主義)に對(対)する齒止めがないまま、生産至上主義がさらに增(増)殖し續(続)けるのである。



(生産至上主義の修正と破綻)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10285251493.html