外国語、好きなのを習ってなくて、良かった~……。 | レアさんのブログ

外国語、好きなのを習ってなくて、良かった~……。

今になって思うのだが。

 

私は最初、東洋大に行きたかった。目的は「哲学」。哲学が好きだったし、本気で習いたかった。

 

だが、残念ながら東洋大と言えば仏教系。それだけで親の許可が下りなかった。いちおう受けて通った、にも関わらずである。

 

その次は語学。英・国で偏差値90台になったこともある。根っからの文系。でもよく考えれば、あんまり外語大に行こうとは思わなかったなあ。姉が外語大に通っていたせいもあるか。それにアウトドア派でもなかったし。

 

しかし、語学は好きだった。早稲田ならタイ語やらタガログぐらいは習えるだろうと思っていた。

 

甘かった。

 

あるのは普通の外国語ぐらい。セミナー関連でも「ロマン語」だったっけ、ドイツ語となんかが混ざったような、よく分からない言語はあれども、東南アジア系統がない。

 

私は西原理恵子のマンガの影響を受けて、東南アジアに興味があった。犬を喰ったり、色々喰ったりと〝ごちゃまぜ感〟が好きだった。

 

そのときの二文は「いちばん〝古き早稲田〟に近い」というほど、カオスめいていた。授業も哲学から神秘学、新興宗教など。専攻もなく、医学からマンガ学まで自由に選択できた。

 

それならタイ語ぐらいあるだろう。――ない。タガログは? ――ない。……ヘ、ヘブライ語ぐらいなら――ない。

 

仕方がなく古典ラテン語をとった。もちろん披露する場所もなく、外国に行く気も失せていた。ちょうど誘われて法律をやりはじめたからなあ。

 

でも、今になって国際ニュースを見て、「ああ、平和呆けの日本人が背伸びしてなくて良かったなあ」と思った。

 

いまや、世界中の何処でテロが起ころうが不思議ではない。東南アジア系の語学ができれば貿易会社に就職できていただろうが、かなり危ない橋も渡らなければいけない状況になっていただろう。

 

今は日本の法律が変わるのを待って、法律本を次にいつ買おうかと思案しているところ。法律は簡単に実践できるし、知っていて損はない。でもいまは大転換の時期。憲法・民法・刑法、全部が大幅な変更をするかもしれないのだ。付随する法律、条例は言わずもがな。

 

爪は常に研いでおくのに越したことはない。テロの前に言語は意味をなさないが、日常的脅威に法律は多大な影響を及ぼす。

 

それにしてもタイもまた爆発テロかあ……。もう行くことはないだろうが、あの現場に自分がいたら、と感じると複雑な思いがある。

 

「それでも行きたい」ではなく、「それだから行きたい」という人間がジャーナリストに向いているのだろう。私は向いていない。

 

矮小な自分の性格を情けなく思いつつも、次の法律の〝ツール〟に注目している好奇心を頼もしくも思い、日々を過ごしている。なんにも縛られない〝遊学〟。私も二十年前か二十年後に存在したら良かったかもと思いつつ、日々、生きるには役に立ったり立たなかったりする知識を貪っている。