弓月城太郎の小説『神秘体験』を読んで | レアさんのブログ

弓月城太郎の小説『神秘体験』を読んで

これは、弓月城太郎という人が書いた『神秘体験』という名の、世にあって珍しい、神学とサイエンスフィクションを融合したような小説である。
神の栄光を顕す理想的人間像を描いたこの本は、高邁な人類の理想、英知、美学、恐怖までをもふんだんに取り入れて書かれている。
 学識だけではなく、テニス、スケートの見識も豊富らしく、テニス、スケート好きにはたまらない迫力のある描写が満載されていて楽しめる。テニスはサーブ、スケートはスピンとジャンプしか知らなかった私には、新鮮だった。
 弓月城太郎は神学の何処まで知っているのだろうか? かなり深謀遠慮して書かれた本だということに関しては疑いがない。
 特筆すべきは、著者が科学の諸分野に対しても博識で、将棋ソフトのアルゴリズムの話まで及んだ時には、弓月城太郎という人は、何処まで物事を知っているのだろうかと思ってしまうほどだった。まさに、「弓月城太郎」この人でなければ書けない作品と言えよう。
 この物語は「母の愛」を下敷きにしているところに意味があると思う。「母=愛、父=知識」といった具合だ。その上に「父なる神」という「全き愛」が「存在」する。
 ではこの本はカトリックか? と訊かれれば、それはNOである。進化論が説明されているのである。カトリックではありえない。とくに「原理主義」と称される人たちにとっては。それは「新エデン教会」のものとされている。
 しかも、この弓月城太郎の作品は冒頭にも書いたとおり、オカルト的な新宗教の作品にあらず、ましてや、よくあるような安物のSF作品ではない。
 神学から数学へ、数学から量子力学へ、量子力学から精神波量子脳理論(万物の究極理論)へとめまぐるしく変遷する本作は、最先端の科学のそのまた先を描いている。科学を超えた想像力を堪能するにはピッタリと言えよう。
 そして最後の、贖罪のシーンに至るまで、読者の目を離させることはない。百年後に古典となって残っているかもしれない、埋もれてしまってはいけない貴重な本なのである、本書は。
 未来の古典として、現代文学に退屈しきっているあなたには、ぜひ一読をオススメする。