ブログへ書くことで、心の中、頭の中がまとまります。
このままじゃいけない・・・とは思ってるんだけど、前へ進めない。
自分の背中を押すためにも、ブログへ残させてください。
告知されたとき、
案外冷静だった。
私の人生、こうきたか・・・って思った。
旦那との帰り道、「私、死ぬかもね。。。再婚しないでね・・・」
これが、告知一発目の言葉か・・・って、自分でも疑う言葉・・・(笑)
時々テレビなどで、「私がいなくなったら、再婚して幸せになってね」なんて素敵な夫婦愛をみかけるけれど、私の本性には、
それはないってことが分かった(笑)
旦那との結婚生活も19年目、
平凡な中にも、山あり谷あり、泣いたり笑ったりの19年だった。
そして、旦那、子供、仕事、、いろいろなことが、やっと落ち着いた、、、って時の告知だけに、
悔しくて、悲しくて、
この言葉を発しながら、一筋の涙が頬を伝った。
旦那の前で涙を見せたのは、これが最初で最後。
なぜだか涙を見られたくなくて、必死で我慢したから、見られてないかも知れない。
落ち込んだり、不安になったりしたときは、案外涙はでない・・
ってことが、今回の病気で分かった。
心配で、不安な時は、頭の中でいろいろなことが駆け巡り、泣くことにならないのだ。
そして、一番重大なのは、病気のことを自分の親にどう告げるか。。だった。
母親は過度な心配性。
娘が、癌・・・なんてことを知ったら、心配で心配でそれは大変なことになってしまう。
ショックを受ける母親を見るのが辛い。ってのもある。
しかし、親というものは、娘のことが心配なのは皆同じだと思う。
そして、親に心配をかけたくないという娘の心境というのも皆同じだと思う。
辛い感情を押し隠し、娘の病気を受け止めて、辛さを共有し、一緒に進んでいってくれる・・・ってのが
親じゃないかと思うんだけど(私の理想論かもしれないけれど)、
私の母親は、心配で心配で辛い・・・っていう感情を、病気の私に100%ぶつけてくるだろうと予測された。
逆に、私が一生懸命慰めなくてはいけない。
当時の私には、それを受け止めるだけの心の余裕がなかった。
言わないことが、心配をかけないための優しさだとは、決して思ってない。
ただ、私は逃げてるだけってのは分かってる。
でも、まだ言えない。しんどい。
自分が、「癌」であるという事実だけで、いっぱいいっぱいだった。
自分の中で癌になったことが、消化できないうちに、あれよあれよと入院が決まり、
自分の職場や、子供関係でお世話になっている人への告知、身辺整理などで費やし、
結局、入院の時点では自分の親兄弟には言えずにいた。
手術の結果が分かってから、親が安心する材料を少しでも揃えて報告しよう・・・とその時は思っていた。
そんなとき、手術前夜、実弟から電話が入った。
「母さんが、調子が悪い。救急車を呼ぼうと思う・・・姉ちゃんも、来てくれないか?」
「実は、ガンセンターに入院してる。明日、手術・・・。ごめん。行けない・・・」
手術前夜のタイミングでの、弟からの電話・・・やはり血のつながりを感じた。
ここで、弟、父親にはカミングアウト。
「とりあえず、元気だから、心配しないで。お母さんに会いに行けないけど、よろしく」と伝えた。
自分の手術と、母親の救急搬送が重なり、不安度もピークに達した。
母親の入院は、長引き、転院を経て4か月に及んだ。
私は、術後退院の日、直接母親の見舞いにいった。
癌・・ってことはおくびにも出さず、明るくふるまった。
母親も入院して10日足らずだったため、まだ意識朦朧としていた。
母親よりも私のほうが先に、普通の生活に戻れた。
そんなこんなで、私の母親へのガン告知はタイミングを逃し、結局、まだ言えてない。
言わなくちゃいけないと思ってる。
一年近くたった今、やっと、心の整理もできつつあり、取り乱した母親を受け止めるだけの
ゆとりができてきている気がする。
今の私の課題は、「母親への告知」です。
心配する親を見るのは辛いし、親不孝だけど、乗り越えなくちゃいけないと思ってます。
お読みいただきありがとうございます。
明日は、病院受診の日・・・
リュープリン、ブスっとやってきます(泣)