今日は5月31日です。

2002年5月31日韓国で開幕して6月30日の日本での決勝戦。2002年FIFAワールドカップは日本中が盛り上がりましたね。

日本や日本サッカーを世界のサッカーファンに知ってもらえたのも2002年FIFAワールドカップ🏆ではないかな。

ワールドカップを開催したことも大きかったけど、ワールドカップ開催地に立候補してから日本サッカーの魅力を世界中に広げてくれたサッカー界のレジェンドや海外メディア、サッカー関係者への感謝を忘れてはいけないですね。


写真は
Sir Bobby Charlton🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿
Pele 🇧🇷
Gary Lineker🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿

サッカーの歴史に名前を残されているレジェンドたちが日本サッカーの魅力を世界中に語ってくれたことで、日本という国や日本のサッカーを知ってもらえたのは本当に嬉しかったです。

Jリーグが出来たことや各年代の日本代表の活躍、そして世界中のサッカーを愛する人たちに協力してもらえたことで日本サッカーは大きく成長しました。

海外から日本に来てプレイしてくれた選手や様々な戦術や指導方法を持ち込んでくれた指導者にも感謝をしています。

日本サッカーが成長していく事で、お世話になった人たちにお恩返しをしていきたいですね。
スポーツ界が動きはじめています。

ラモスも準備しています⚽️😊👍




もちろん、安全、健康を最優先‼

まだまだ、終息していません。

油断することなく暮らしましょう。

緊急事態宣言が解除されて、いろいろな事が動き出している感じがします。
ですが、まだ終息はしていないです。
油断せずに生活をしましょう。

試合や活動再開に動き出しているスポーツ界。
プロサッカー選手に期待されているのは試合での一流のプレイ。

その期待に応えるには練習と入念な準備。

サッカー選手の練習は、練習のための練習ではなく、試合のための練習でなければいけない。

選手のみなさんは、安全、健康を最優先にしながら、再開に向けてよい準備をしてくださいね。


今週もサッカーの試合がない週末ですね。

ですが、報道では希望を感じる話も出ていましたね。

これまでと変わらず油断することなく安全、健康を最優先にした上で再開に向けて進んでいくことを願っています。

再開は無観客になるとか、制限があると思うのですが、サッカーを楽しめる日が戻ってくることを楽しみにしましょう。

私が来日した頃は観客がほとんどいない競技場で試合をしていました。

1984年くらいからビートたけしさん、明石家さんまさん、木梨憲武さん、椎名桔平さんたち芸能人のみなさんが、一緒にサッカーを盛り上げてくれて、スタジアムに人が来てくれるようになって、日本代表の活躍、1992年のJリーグカップで一気に盛り上がりました。

1993年のJリーグではエンターテイメントの中心にサッカーがある感じでした。

満員のスタジアムでたくさんの声援や歓声の中での試合で選手のモチベーションは高くなりプレイが変わりました。

そういった変化を体験してきたのでファン、サポーターの声援、歓声の力を知っています。

そして、スタジアムで声援が送れなくてもファン、サポーターの気持ちは選手に届き、パワーになることも知っています。

距離ではないです。
ハートです。

もう少しの間、遠距離恋愛ですね。

リーグやクラブは、ファン、サポーターの思いを選手に届ける方法を作り出してくれることを期待します。

もちろん、メディアのみなさんの協力がなければプロスポーツは盛り上がりません。

メディアのみなさん、よろしくお願いします。

1977年に来日して、読売クラブに入団。

日本サッカーリーグ1部のデビューは1979年の開幕の古河戦。

日本サッカーリーグには210試合出場しました。


200試合以上出場したのは.....。
スタッフに調べてもらったら17 人。

一番多く試合に出場したのは、272試合の古河の永井良和さん。サッカー漫画の主人公にもなったスター選手です。

次に267試合で三菱の落合弘さん、そして、251試合アジアの神様、ヤンマーの釜本邦茂さん。

三菱|斎藤和夫 248試合

読売|戸塚哲也 239試合

ヤンマー|今村博治 230試合

古河|桑原隆 215試合

読売|加藤久 215試合

古河|菅野将晃 210試合

読売|ラモス瑠偉 210試合

古河|前田秀樹 209試合

読売|松木安太郎 208試合

読売|都並敏史 205試合

ヤンマー|堀井美晴 204試合

フジタ|渡辺三男 201試合

日本鋼管|藤島信雄 200試合

日立|碓井博行 200試合

海外からたくさんの選手が日本でプレイしましたが、ここに名前を残すことができたのは、私ひとりでした。

苦労もありましたが辛抱強く、必死に努力して取り組んできたことと、素敵な人たちに助けていただけたことがすべてです。

ブラジルから来た選手から「あなたが日本で活躍してくれたおかげで、私たちが日本でプレイできる機会が出来ている。もし、あなたが日本で好意を持たれていなければ私たちは日本からのオファーはなかったかもしれない。」と感謝されることがあります。

私のサッカー選手としての地道な努力が日本とブラジルの架橋になっているのであれば嬉しいです。

そして、日本サッカーにファッションを持ち込んだのはラモス瑠偉👍

アマチュアリーグの時代。
素敵な紫色💜
もちろん、素足です。