新 薬 師 寺
( しん やくし じ )
東 門 ( 鎌倉時代 ・ 重文 )
奈良市高畑の東南部、高円山と春日山を望む地に、静かに建つ。
天平19年(747) 聖武天皇の眼病平癒を祈願して、光明皇后が建立。
当時は金堂、講堂、東西両塔など七堂伽藍が建ち並ぶ大寺院。
「新」とは「新しい」と言う意味ではなく「あらたかな」の意味。
南 門 ( 鎌倉時代中期 ・ 重文 ) 四脚門
本 堂 ( 奈良時代 ・ 国宝 )
創建当時の唯一の建物として残る本堂は、
奈良時代の入母屋建築の生粋で、横長
屋根の勾配がゆるやか ゆったりした安定感を見せる。
創建当時は食堂(じきどう)。
本堂内の円形土檀の須弥檀には、平安時代初期の代表作
像高191.5cm 木造の本尊・薬師如来座像(国宝)を安置。
左手に大きな薬壺を持ち、右手を大きく開き、
見開いた切れ長の大きな目 眼病平癒信仰の仏様にふさわしい顔立ち。
飜波式衣文(ほんぱしきえもん)が顕著な堂々とした素木(しらき)の木彫仏。
七仏薬師をなす薬師如来に化仏(けぶつ)を表した光背は珍しい。
サンスクリット語で「医者の長」という意味の名をもつ仏。
正しくは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい) 東方瑠璃光浄土の教主。
また菩薩だった時代に建てられた12の大願のなかに、
衆生(しゅじょう)を病から救うことが挙げられ、
日本でも古くから、病気平癒を願って多くの像が造られている。
平安時代「日本霊異記」(りょういき)に 眼病に霊験あらたか とある。
本尊を取り巻く灰色の十二神将像は、昭和時代に造られた1体を除き、
奈良時代の作の塑像11体が国宝に指定
憤怒の表情などで円陣を組み 本尊を護持する。
十二神将は 十二支守護神で、わが国最古のもの。
神将像は造立当時、
群青 緑 青 朱 金箔など 極彩色に彩られた実に華麗な像で、
廃寺となった近くの岩淵寺から移された (新薬師寺縁起)
本堂は天井のない化粧屋根裏で、周囲には窓はひとつもない。
本尊を中心に十二神将像がぐるりと居並ぶ本堂内の空間は
「日本の莫高窟」(ばっこうくつ)と言われる。
右手に剣を持ち、憤怒の表情で勇壮で動的な姿の伐折羅(ばさら)大将像は
十二神将像の中の傑作とされ、切手の図柄に採用された。
鐘 楼 ( 鎌倉時代 ・ 国・重文 )
元興寺にあったもので、鐘の周囲には無数のすり傷がついている。
この傷については面白い伝説がある。
敏達天皇の御代(572~585)、元興寺の鐘楼に毎夜鬼が出て人々を悩ませた。
元興寺で修行中だった大力の小僧(後の道場法師)が鬼を退治しようと鐘楼の上で待ち受けていたところ、
夜中に鬼が現れて大格闘となった。
大力の小僧にかなわぬとみて鬼は逃げ去ったが、格闘の時に鬼の爪痕が鐘についたものだと言う。
この鐘が吊り下げられている鐘楼には、弘安2年(1279)の棟札があり、
珍しい漆喰塗りの袴腰がついている。
大晦日の夜、奈良市街地に多くの寺院の鐘の音が鳴り響くが、
奈良時代の鐘の音を響かせるのは東大寺と新薬師寺の鐘と言える。
秋には境内に萩の花が咲き乱れ参詣者を楽しませてくれる。
鬼 瓦
窓のない本堂では 出入りする西扉に対し 東扉にステンドグラスの衝立を設置
瑠璃光を 浴びれるよう 2002年11月 文化庁から国宝建造物への特別許可が出た
.