2009年以来のコント・ラフォン訪問。
ドミニク・ラフォン氏ご本人が応対してくださり、樽熟成中の赤15年のモンテリーとヴォルネイ・サントゥノ、マコンのラインナップ15年を瓶で(ヴィレ・クレッセは熟成が長いのでこれから日本に出荷される14年を)、続いて樽熟成中の白15年をムルソーから順にすべてのプルミエクリュ、モンラッシェまで!

流石にモンラッシェでは誰もが言葉を失い、一日中でも続きそうな余韻の美しさと戻り香の勢いにうっとり。。。

 

98年に所有畑全体をビオディナミに移行してから、ワインには明らかに違いが生まれたそうです。ドミニク氏曰く、
「ピュアさがいっそう引き立ち、畑の個性がよりくっきりと現れるようになりました。ワインが生き生きとして瑞々しく、余韻の伸びがちがってきました。」

 

2015年は暑く乾燥した気候から一般に重たくなりがちですが、ラフォンのワインはまったく違います。
「重たいワインは個人的に嫌いです。何杯でも最後まで美味しく飲めるようなワインにしたいと思っています」
と、酸を綺麗にとるために収穫は8月に開始。
そのため、15年らしいふくよかさとタップリした飲み心地に、フレッシュな爽快さが加わって、絶妙なバランスになっています。

 

それにしても、今日もっとも驚いたのは2016年の素晴らしさ!
「1週間前に樽詰めしたばかり」のヴォルネイ・サントゥノは、まだ濁りも落ちていない、もちろんマロラクティック発酵も始まっていない、まさに「ブドウそのものの質」を素顔で見せている基盤のワインでしたが、
「果実の濃さと強さ、滑らかで口解けのよいタンニン」
と、ご本人も思わず笑顔を見せるほど。「繊細さの意味では15年を上回るかもしれない」とのことで、苦しい仕事の末に、玉手箱を開けた瞬間、夢のように流れ出した、まさに飲み手を誘惑するワインでした。

 

試飲したワイン:

 

赤ワイン

◆ モンテリー 15年 (来年2~3月ごろ瓶詰め予定。)

モンテリーはもともとタンニンや野性味が出やすいので、抽出し過ぎないよう、他のキュヴェに比べて仕込みを短めに。瓶詰めも少し早めにしているそうです。

◆ ヴォルネイ・サントゥノ 15年 (来年7月ごろ瓶詰め予定)

甘美な、精妙な、絹のような、官能的なといった表現がピッタリのワイン。

◆ ヴォルネイ・サントゥノ 16年 (一週間前に樽詰めしたばかり!マロラクティック発酵と熟成はこれからです。)

厳しい自然条件に耐えた選りすぐりのブドウによるキュヴェ。果実の強さとタンニンの柔らかさに特徴づけられる酒質。将来が楽しみ!

 

白ワイン

◆ マコン・ミリー・ラマルティーヌ 15年

ミリー・ラマルティーヌはマコンの村の名。いくつかの区画を合わせたキュヴェ。15年らしくタップリとして飲みやすく、それでいて喉越しもよいワイン。1年後(2017年)がちょうど飲み頃とのこと。大樽(3分の2)と、600リットル入りのドゥミ・ミュイ(3分の1)、新樽ゼロで翌年の収穫直前まで寝かせるキュヴェ。

 

◆ マコン・シャルドネ 15年

シャルドネは、マコンの村の名。15年らしくタップリとして飲みやすく、それでいて喉越しもよいワイン。1年後(2017年)がちょうど飲み頃とのこと。大樽(2分の1)と、600リットル入りのドゥミ・ミュイ(2分の1)、新樽ゼロで翌年の収穫直前まで寝かせるキュヴェ。

 

◆ マコン・ミリーラマルティーヌ クロ・デュ・フール 15年

クロ・デュ・フールは、ミリー・ラマルティーヌの区画を分けて醸造、熟成した結果、最も優良と見極めた畑で、単独キュヴェにしている。すべて600リットル入りのドゥミ・ミュイで熟成。

 

◆ ヴィレ・クレッセ 14年

先の3つのキュヴェが、ブルゴーニュ・ジェネリックを造る産地なら、ヴィレ・クレッセは村名に相当する産地。プイィ・フュメに似ていて、複雑性が高いため、熟成期間も長めにとり、他3つと比べて、ヴィレ・クレッセは1年後にリリースされる。(つまり先3つの15年と同時にヴィレ・クレッセの14年がリリースされる。)

 

マコンの畑も99年からビオディナミに移行しはじめ、2002年に完全にビオディナミに転向。醸造所は現地にあり、若干32歳の女性エノログ(キャロリーヌ)とともに意見を交わしながらワインを造っているそうです。

 

村名

◆ ムルソー15年

ムルソーの中心をとりまく4つの区画から成るキュヴェ(En la Barre, En Luraule, Les Crotots, Le Clos de la Barre)

◆ ムルソー クロ・ド・ラ・バール 15年

ムルソー、ムルソー クロ・ド・ラ・バールとも、いかにもムルソーらしい昔を彷彿させるコクのある豊かなムルソー。

 

プルミエクリュ

◆ ムルソー ブシェール 15年

空気感があり、繊細さとエレガントさが際立つムルソー。

◆ ムルソー ジュヌブリエール・デュシュ 15年

フランソワ・ジョバールのすぐ上の区画。

◆ ムルソー シャルム・デュシュ 15年

ソゼのコンベットのすぐ隣の区画

◆ ムルソー レ・ペリエール 15年

これはグランクリュと言いたくなります。アペラシオン制度が出来る前は「テート・ド・キュヴェ」に格付けされ、最高値でワインが取引されていた区画の一つです。

 

グランクリュ

◆モンラッシェ 15年

まさに最高峰。余韻の長さ、戻り香のリピートがとにかく圧倒的。午前中の試飲でしたが、午後もずっと口の中に余韻が感じられ、毎日晩酌する私もさすがにこの日だけは他のワインを飲む気持ちにはなれませんでした。。感無量。

 

今年の天気を象徴しているかのような空。

快晴の青と、雨雲の灰色が、ひっきりなしに追いかけっこ。

同じ空に、二つの天気が存在して、スペース取りに忙しい。

身体をつき差すかのような暑い陽光、かと思えば時に雷さえ伴う烈しい雨と肌寒さ。
雲が常に風に流されて、天気はくるくると展開していく。











ヴィニュロンたちにとって、花が結実する今、とても心配な時期。
それでも、暑い光を浴びたブドウたちは次々と実を結実させ、雷雨に振り落とされないよう一生懸命、実をふくらませようとしています。

房が葉っぱに隠れていることが多いのは、ヴィニュロンたちの配慮。
繊細な新生児たちにやさしく屋根をかぶせて、雹などの危険から守ってあげているのです。

もちろん、病気の発生を危惧して通気をよくしたいのは山々。
つねに駆け引き。
経験値を上回る、迫られる判断。
それが今年のブドウ栽培。 (厳しい春の遅霜の害に始まったことは、5月のブログに書いております。)

雷を聞きながら眠る夜は、外のブドウはどうなっていることだろうと、素人ながらにため息が漏れる。翌日、ちゃんとそこにあるブドウを見て、少しホッとする。。

ブドウは意外と強いんだって、ブドウに教えられることもある。
みんなそれを信じて大変な作業を続けているんだろうな。








いつのまにか大きくなって、5歳の末っ子はもうお友達の家に初のお泊り体験。
10日も前から指折り数えてこの日を待っている。

同じクラスの親友、ヴァランティンヌは、実は2軒先のお家の住人。
幼稚園帰りの二人をバス停で迎えて、我が家でおやつを食べたあと、少し遊んでバスタイム。
すっぽんぽんの二人も、なんだか愉快。











夜になるとヴァランティンヌのお母さんが迎えに来てくれて、末っ子の美幸は見送る私を振り向かずに歩いて行った。

ちょっと寂しいのは母親だけ?
生まれたときから妹をよく世話している長女の桜も、初めて心がチクチクしているみたい。
「お母さん、今夜は私と一緒に寝てね」と私の顔を覗き込む。

翌日は報告会とお礼を兼ねて、我が家でランチ。
夜はなかなか盛り上がったそうだけど、まあ何とかなったみたいで一安心。

チーズスフレ、ホタテとえびのグラタン、野生的に育ったビオの鶏を仕込んだコック・オーヴァン。デザートはいつものティラミスとリンゴタルト。(レパートリーに進展なし…汗)

最近はワインとの相性にとっても興味を持っていて、今回は前もって調べたり、人のアドバイスに耳を傾けたり。 その結果合わせたのは、ブルゴーニュのビール、シャブリ12年ラベル・ビオ(ジュリアン・ブロカール)、ジュヴレ・シャンベルタン10年(アンリ・マニアン)。

◆シャブリ12年(ラベル・ビオ) ジュリアン・ブロカール 
シンプルなヴィラージュにして酸と甘みのバランス、香りの豊かさが素晴らしい!12年はちょうどこなれて豊かに成長し、背筋となっているフレッシュさがあらゆる香りを引き立てています。白い果肉のフルーツ、オレンジピール、セイヨウサンザシのような白い花。ミントや干草の香りも。心地よ~く気張らずに飲める1本です。海鮮のグラタンにも合って大満足。







◆ジュヴレ・シャンベルタン10年 アンリ・マニアン
ブルベリーやカシス、白コショーの香りが勢いよく、まだまだ若々しい感じ。(個人的には2年後が最高だったかな、と思います。)それでも、アンリ氏の孫、やんちゃなシャルルさんが贅沢に造り上げたワインの酒質はホンモノ。今飲むなら、この力強さに負けない牛の料理が相性が良いかも。とはいえワインのスパイシーさと濃い果実が今日の料理にもマッチして、満足のいくマリアージュでした。





そして翌日、残りのコック・オー・ヴァンと合わせたのが、シモンビーズのサヴィニー・レ・ボーヌ09年。昨日以上に理想的なマリアージュ!(ふむふむ、サヴィニーをネットで調べると、確かにコック・オー・ヴァンとの相性もリストの上位に入ってます。)

◆サヴィニー・レ・ボーヌ ブルジョ09年 シモン・ビーズ
ビーズのワインはそうでなくとも美味しいけれど、天候が味方した09年とあれば、その力量は底知れず膨れ上がる。
スポーツ選手のしなやかな筋肉を思わせるボディ、 いつもより少し厚めのビロードの舌触り。
いったいどんなに素晴らしいブドウから作られたのか、思わずそのパーフェクトな熟度、健全な美しいブドウを彷彿してしまう。
赤やピンクの薔薇の香り、よく熟れているけど酸も綺麗な赤い小さな果実の香り、薔薇がハラリと花びらを落とし始めるときに強く発するスパイシーな香り。私が大好きな、でも滅多に感じない桜もちの上品な香り。秋の森で摘まれたばかりのフレッシュなキノコの香りもほんのり見え隠れ。
ヴィラージュにしてこの美味しさは嬉しい!しかもまだ安心して寝かせられる、今後も楽しみなワインです。










4月28~29日の夜に、マイナス4度(記事にはマイナス2度とありますが、実際にお会いしたヴィニュロンたちは口々にそう言います)にまで気温が下がり、シャブリからコート・シャロネーズ(マコネも少し)まで、広範囲に渡って重度の霜の害がありました。


ブルゴーニュに古くから伝わる「サン・グラス」は、5月13日ごろまで、まだ霜が降りる危険があるという格言。

春先に暖かくなって成長を始めたブドウ樹の芽や若葉が、夜間の烈しい気温低下で凍ってしまい、早期に死んでしまうのです。
これを gelées de printemps (春の霜の害)といって、希少ながら、自然災害の一つとしてヴィニュロンたちに恐れられています。


コントル・ブルジョンは、後から出てくる芽を言いますが、果実をつける確率は低いとのこと。


雹などに比べて非常に稀な「春の霜の害」。過去を遡れば、91年にも霜の害があり、収量は落ちたものの、後から出た芽が育って実をつけ、遅摘みの収穫を経 てなんとか品質をともなったワインができたと言われ、81年の霜の害はもっと酷く、コントル・ブルジョンが育つこともなかった、と言われています…。


先日の霜の害は、その81年よりも重症だと推定され、これからブドウ樹がどのように成長を続けていくか、現在、ヴィニュロンたちは心配そうに畑を見回っています。


「通常、霜の害はブルゴーニュやヴィラージュクラスの畑の方がやられるのに(丘の下の方が冷気が溜まりやすい為)、今年の霜はグランクリュやプルミエクリュに特に深刻な害を負わせた」
と、エマニュエル・ルジェさん。


グランクリュやプルミエクリュはそういった自然の害から守られ、ミクロクリマ的に恵まれているという歴史的実証のもとにも最上と区画されてきた畑。
今回の霜がなぜこういった畑に特に重大な害をもたらしたのか、理由は分かっていません。


また通常は霜の害を負うことのない、背丈を高く剪定したオート・コートも、今回は犠牲になっています。


アンリ・ジャイエの家の前の畑でブドウ樹をチェックしていたルジェさんがおっしゃるには、畑によって重症度はかなり異なるそうで、区画ごとに移動しながら様子を確認しているのだそうです。


赤く乾いてしまった芽を手のひらにのせ、それを軽くこすってみせてくれました。
中から小さなブドウが顔を見せ、赤く、張りもなく、完全に死んでしまっています…。


「今後、新たに芽が出て枝が伸びたとしても、その枝が果実をつけることは考えにくい」とのこと。


「霜が降りたあと、とても良い天気になって気温が上昇し、凍傷で脆くなっていた芽を陽光が焼いてしまったんです。40年のキャリアの中でこれほどの事態は経験したことがありません。」


その日の朝のことを私もよく覚えていて、早朝、家の周りを見渡したら小麦畑の穂が一面真っ白に見えて、農道の雑草が凍っていました。
「冬が戻ったみたいだ」と思いながら、子供たちを学校へ送ろうと家を出たら、すでに春らしい緑の景色に戻っていて、暖かい、とても良い天気になったのです。


3年つづきで雹害の大打撃を受けたコート・ド・ボーヌでは、残酷にも今回の霜の害が特に深刻らしい。あと10日くらい、ブドウ樹がどうリアクションをとるか、見守ることになるそうです。
ブドウ樹たちが、人間が思うよりもきっと強くて奇跡が起こるんだって信じたい…。


2016年のワインが激減することは残念ながらほぼ確実…。その少ない収穫にむけて、ヴィニュロンたちは、これから起こり得るあらゆる難題(ブドウ樹の病 気への対処、雹、乾燥、多雨等)を乗り越えていかなければなりません。この苦境をスタート地点とし、一連の作業に立ち向かわなければならないのかと思う と、本当に大変なことだろうと心中が思いやられます。


ここ数年来ずっと収量減が続いたうえに起きてしまった大惨事。ブルゴーニュのワイン不足がさらに深刻な問題に発展しそうです。




http://france3-regions.francetvinfo.fr/bourgogne/bourgogne-l-interprofession-confirme-que-les-gelees-de-printemps-malmenent-les-vignes-985900.html

4月と言えば、義理の父のお誕生日!


春は同時に、預けているワインの中から十分に熟成したワインを搬出し、新たに熟成させたいワインを預ける「ローテーション」の時期。

知らず知らずにスゴイ量になってしまっているので少し気が重かったけど、先日やっとローテーションを終えたばかり。だから今、セラーには楽しみな飲み頃ワインがいっぱいなのです♪


義理の両親は、食べるのが大好き。
とあれば、熟成したワインを開ける絶好のチャンス。


お誕生日を祝って、ガンバッテ昨晩から用意したのは、チーズのスフレとホロホロ鳥のファルシ。失敗してもいいように、地元で一番人気のポマールのシャルキュティエで、ジャンボン・ペルシエも買ってきました(保険保険、笑)
デザートはアップルパイとティラミス。
料理が苦手な私も、ワインを合わせたい一心で...今回はトクベツに頑張りました(^_^;)








アペリティフは、ゴッセのグランド・レゼルブ。お日柄もよく、明るい日差しを浴びながら屋外でいただきました。
フレッシュな喉越しに、口の中でほんわりと広がる甘みが優しくて美味しい!!義理の両親もニッコリ。
親子代々「ゴッセ命」のまじめな雇われ醸造長にお会いした時の思い出が、味わいとともに親しみ深く彷彿します。






チーズのスフレが焼きあがると同時に、アルザス旅行でフンパツして買ったピノ・グリ・グランクリュGloeckelberg 2008年。
熟成がすすみ、黄金色でトロッとしてきていて、見るからに美味しそう~だったのですが...


「...このワイン、すごく美味しいけど、チーズのスフレには全く合わないね。」
とお義父さん。


ガーン!!確かにまったく合わない。。。料理とワインが、「私たち、他人同士です」と、まったく拠り所がない様子。。


「...もしかしてジャンボン・ペルシエにも、このワインは合わないでしょうか?」


「なに、ジャンボン・ペルシエといったら、アリゴテだよ。伝統的に作られたジャンボン・ペルシエは、アリゴテで火を通すんだから。」

地元に住んで早10年以上...ジャンボン・ペルシエがアリゴテで料理されていたとは全く知りませんでした!


そこで予定外ではありましたが、
ブルーノ・クラヴリエの、アリゴテ2009年。
金色に熟す「アリゴテ・ドレ」という、主にブズロンで栽培される古来の品種の、ヴィエイユ・ヴィーニュ。
たかがアリゴテ、されどアリゴテ。
ビオディナミで丁寧に栽培されているということもあり、このワインの可能性をひと目みたくて、楽しみに寝かせ続けてきたのです。






うん、さすが、ジャンボン・ペルシエにすっごく合う!!それに、アリゴテとは思えない美味しさ!!アリゴテらしいフレッシュさを保ちながら、ふくよかな風 味が調和している。ビオディナミで楽しそうに造られたクラヴリエさんのワインはやっぱり美味しいし、09年という恵まれた年は何を選んでもキャパシティの 深さを感じる。。


それにしても、地元の人の意見に従うと、良い体験ができるなぁ。

「郷に入れば郷に従え」とは、よく言ったもの。






時間をかけてローストしたメインのホロホロ鳥のファルシには、レシュノーのモレ・サン・ドニ2009年を合わせました。
お義父さんにも予め意見をもとめたところ、GOサインを出してくれたので取り敢えずホッ...


果実のピュアさがまだ生き生きとして若々しいながら、熟成期間を経て複雑味が増し、文句なく美味!!
レシュノーはドメーヌでワインを直売しないのであまり買うチャンスがなく、家で開けることも滅多にありませんが、やっぱり美味しい~と改めて実感。


ホロホロ鳥に詰めたソーセージ肉と豚肉のミンチには、カルヴァドスに漬け込んだ干し白ブドウとリンゴが少し混ざっていたので、その隠れた淡い酸味に、09年の寛容なワインの旨みと甘み、繊細で熟したチョコレートのタンニンが調和して相性はバッチリでした。


とはいえ初めて作ったホロホロ鳥のファルシと、チーズスフレ...料理上手にはほど遠し。。ワインの御蔭で助かりました!

イランシー村で行われたサン・ヴァンサン・トゥルナント(巡回祭)のブログに続いて、ちょっとした豆知識をご紹介します。



村単位の『サン・ヴァンサン祭』と、ブルゴーニュの村が持ちまわりで行う『サン・ヴァンサン巡回祭』

 

‐ 村単位の『サン・ヴァンサン祭』

 

毎年1月22日に(村によっては22日に近接する土曜日に)、村毎にブドウ栽培者だけでサン・ヴァンサン祭が行われています。

各村に一体のサン・ヴァンサン像があり、それをヴィニュロンたちが御輿に担いで教会に祀り、ミサを行います。その後、サン・ヴァンサン像は前年預かったドメーヌから翌年預かるドメーヌへと運ばれます。新たに預かるドメーヌで、生産者同士でワインと食事を囲んで盛大な宴会を行い、互いの志気と連帯感を高め合います。

 

 

 

‐ ブルゴーニュの村が持ち回りで行う『サン・ヴァンサン巡回祭』

 

1月22日に村ごとに開催されるサン・ヴァンサン祭に対し、毎年1月最終週の土日に二日間に渡って行われるのが、サン・ヴァンサン・トゥルナント(巡回祭)です。

ブルゴーニュのどこかの村が立候補し、祭りを管理するシュヴァリエ・ド・タストヴァンの事務局が許可を出します。

毎年幹事の村が変わり、20年に一度、それ以上待つこともあります。サン・ヴァンサン巡回祭は、村単位を越えて、ブルゴーニュ全体の生産者同士、結束を強化するものです。

 

幹事となった村はブルゴーニュ中の生産者や愛好家たちを迎え入れ、その村の様々な畑や造り手のワインを飲んでもらって(または共同生産のワインを飲んでもらって)、評判を広範囲にもたらしてくれるのを期待しています。

 

 

何故、ブドウ栽培農家の守護聖人に「サン・ヴァンサン」が選ばれたのか…。

 

「ヴァンサン」は、そもそも304年1月22日に十字架にかけられ死去した、スペイン出身の聖職者の名。実は彼の生涯はブドウ栽培やワイン造りとは何も関係がないようです。

神への忠誠を誓うばかりに「拷問で圧搾機にかけられブドウのように血を流した」とウワサする人もいますが、そのようなことは地元では全く耳にしません…。

 

1789年フランス大革命を期に、人々が集団をつくることが禁じられ、ルイ・ナポレオン・ボナパルトの時代になってやっと、中世にすでに存在した、職業ごとの助け合い自治団体の再生が認められました。各職業で自分たちの好むサン(聖人)を選び、ブドウ栽培者たちは「サン・ヴァンサン」を守護聖人に選びました。

 

どうして「サン・ヴァンサン」を選んだのか…。

つまり単純に、名前がヴァンサン Vincent だったから。Vin(ヴァン)=ワインと、sang (サン)=血から、ブドウ樹の血と解釈することができるからです。 

 

また、1月22日は生理学的にも、ブドウ樹のサイクルが、前年度のサイクルから今年度のサイクルに切り替わる時。つまり、ブドウ樹の今年の成長サイクルのスタート地点と言える日です。

 

また、ブドウ生産者たちがあまり顔を合わせない冬に、敢えて皆で集まってミサを行い、食事会をひらくこの行事は、生産者同士の連帯感や志気を高め、助け合いの精神を確認し合うのにピッタリです。ブドウ樹の好スタートを願って、サン・ヴァンサン像をたたえるのです。

 


祭りを担う、サン・ヴァンサン相互救済組合

 

ところで、『サン・ヴァンサン相互救済組合』とは、そもそもどんな機能を持つのでしょうか?

 

『サン・ヴァンサン相互救済組合』とは、ブドウ栽培とワイン造りをしている農家たちが自分たちで運営している助け合い組合のことです。例えば足を折って仕事ができなくなってしまったヴィニュロンがいれば、他のメンバーが手を貸しピンチをしのぎます。また機材を貸し出すこともあります。薬代や年金を出したり、葬儀さえも場合によっては組合費で賄われたといわれます。

こういった同業者間の助け合い団体は、中世のころからあらゆる職種に存在し、革命の時期に禁止されて一時期消滅したものの、ルイ・ナポレオン・ボナパルトの時代になると、次々と再生しました。パン職人なら「サン・トノレ Saint-Honoré」、シャルキュトリ職人なら「サン・タントワンヌ Saint-Antoine」というように、ブドウの同業者のそれは『サン・ヴァンサン相互救済組合』と銘銘され、メンバーから集めた少額の会費によって運営されています。

 

今でこそ、各生産者が所有畑をもち、独立して問題解決するようになってきましたが、それでも尚助け合いの意識は同業者の職人たちにとって大切です。サン・ヴァンサン像を祀ることが信仰的なものなら、ヴィニュロンたちが掲げている刺繍入りの旗はまさに助け合いの団結心の象徴。この旗はサン・ヴァンサン像以上に歴史が古く、その多くは中世のころに作られたもの。そのため旗には「サン・ヴァンサン」という文字や絵はまだ現れず、それ以上に歴史の古いものが描かれています。

 

現在、ブルゴーニュには80以上のサン・ヴァンサン相互救済組合が存在します。


汗知ってビックリ!


ちなみに、ブドウ生産をしていない村も合わせて、ブルゴーニュにはこんなに沢山の村があります!

 

《ブルゴーニュの村の数》


 

コート・ドール県:707

 

ニエーヴル県:312

 

ソネ・ロワール県:573

ヨンヌ県:454


役場のある村のみの集計、つまり小さな規模の集落を数えずにこれだけあります。現在でも2つの村が結合したり分離したりという例がありますので、正確な数値を捉えるのはとても難しい…!



朝6時30分、夜明けとともに赤と金の衣装をまとったシュヴァリエ・ド・タストヴァンと各村のサン・ヴァンサン組合代表が集合。


それぞれ自分たちのサン・ヴァンサン像を担いで、まだ暗いブドウ畑のあぜ道を、延々1時間半あるきつづけてイランシー村の教会に向かいます。


寒さ厳しい冬の朝。ヴィンテージものの古いラタフィアをひっかけ、身体を温めて互いの笑顔をほころばせる…


去年の葉を落とし、眠っているかのように見えるブドウ樹たち。

50体以上のサン・ヴァンサンの像と、歴史的にそれを遥かに上回る刺繍入りの古い旗を掲げ、男たちは白い息を吐きながら大地を踏みしめ静かに進んでいきます。


シンと透き通った冬の空気に、神聖な祈りが舞い降りるかのよう。そして、土壌とワイン造りの文化を受け継ぐヴィニュロンたちのメッセージが、やがて来る春に新たな芽吹きを待つブドウ樹たちに伝わっていくようです。









朝、9時15分、ミサ開始。

 

「サン・ヴァンサン巡回祭」に因んで、ブドウに纏わるお祈りをするのでしょうか?

 

今日は特別に司教を招待してのミサでしたが、特に豊作を願ったり、ブドウ栽培の無事を願うようなことはありませんでした。

歴史を辿れば、現代のような技術はなくもっと苛酷な状況にあったでしょうから、そういったお祈りもしていたのかもしれません。でも今日では礼拝堂でブドウの豊作を祈願することはないそうで、そこに集まった敬虔な信者たちのため、「助け合いの精神」を髄にいつも通りのお祈りを捧げるのだそうです。

 

ミサの間、一堂のサン・ヴァンサン像が教会脇に置かれます。

地元民にとってもこれだけのサン・ヴァンサン像を一度に目にするのは滅多にない機会。村ごとに風貌の異なる一つ一つのサン・ヴァンサン像をしげしげと眺め、写真をとっている人たちが沢山いました。








ミサ終了とともに、サン・ヴァンサン像のパレード開始。

関係者だけの早朝の静かな行列とは異なり、こちらは華やかなパレード。観衆が見守ります。音楽隊が音楽を奏で、いよいよ祭り開始の合図です!









10時 試飲カヴォーオープン!

(ミサもカヴォーも、土日で開始時間が異なりますのでご注意。)

 

15ユーロで、イランシー村のロゴ入りグラスと首掛けポシェット、試飲7回券を購入します。






村のあちこちにカヴォーと呼ばれるブースが11箇所設けられ、そこでチケットと引き換えにワインを受け取ることができます。

 

当然ながら、祭りでは開催村のワインが振舞われます。

今回はイランシー村ですので、ピノ・ノワールとセザール(最高10パーセントまで)の赤ワインの2013年から1996年までのヴィンテージと、クレマンの白、ロゼワインがブースで提供されていました。

 

今回の祭りで話題を呼んだのは、ここ数年来のような共同キュヴェでなく、34の生産者たちが自分たちのワインを振舞ったこと。

 

ただ、7枚のチケットは2013年、12年、10年、09年、08年以前、ロゼ、クレマンといった具合にそれぞれ指定されていたので、古いヴィンテージばかり飲むことはできませんし、ブースで好きな生産者を指定することもできませんでした。(あくまで村全体の団結と販売促進を狙うものですから、生産者個人のワイン目当てで行ってはいけないようです。)つまり、平均的に消費されるよう、上手く構成されていました。







地元料理やクレープなどの屋台も出ているので、ワインを飲みながら食べ歩くことができます。


また、毎年恒例の行事として、祭りの実行に活躍した開催地のヴィニュロン数人が、観衆の前でシュヴァリエに叙任します。

 

栄光の3日間に続いてブルゴーニュで大きなイベントとなるサンヴァンサン巡回祭は、1938年にシュヴァリエ騎士団によってシャンボール村で開催されて以来、戦中戦後は控えたものの、今回で72回目になります。そのうち、シャブリで開催されたのは、1975年、1999年、2016年です。


ここ、イランシー村で開催されたのは、今回が初めてです!








…コソコソ話。

ここは車でしか来られない場所。

テロの関係で村のあちこちに武装警官がいましたが、7clに注がれるワイン杯分なら、飲酒コントロールにもひっかからないのだとか。お祭りの日は流石に優遇処置を受けているようです。
言われてみればたしかに、セキュリティのための荷物チェックはあっても、飲酒運転のコントロールは一度も見かけませんでした…


さて、気になる2017年の開催地は?

来年はメルキュレー村で開催!

そして、2020年にはジュヴレ・シャンベルタン村で開催されることが決まっています。ジュヴレの生産者たちは09年からすでにブドウを提供しあって、代表のヴィニュロンが共同キュヴェを着々と造って寝かせています。


2015年はその恵まれた天候から、すでに上質なことが騒がれている。

でも、「豊作か否か」という質問には、20~40%減という答えが返ってくるばかりだった。
…「このドメーヌ」を訪ねるまでは。


モーリス・エカールがネゴシアン・ベジョに売却されてから、私も久しくドメーヌに足を運ぶことがなかった。

父、モーリスから僅か4ヘクタールの畑を引き継ぎ、限られた機材と資産で一から妻と築き上げたドメーヌ・ミシェル・エ・ジョアンナ・エカール。
その小さな蔵を、先日やっと訪れる機会を迎えました。


初めてお会いした彼、ミシェル・エカール氏は、愛好家に伝えたい嬉しいメッセージであふれていました。

その第一は、2015年の出来がとにかく最上で、そのうえ「豊作」だったから。


「豊作?意外でした。収穫期の畑を見る限り、サヴィニーの辺りはブドウのつきが割合少ない印象がありましたが」


「そうです。ここの産地全般的にはね。でも私のところは違う。樽を高く積み重ねなければならないほどの豊作でした。嘘じゃない。見ていくかい?しかも、その酒質は2005年の100倍もいい!」

生き生きとした表情で、自分の喜びを素直にぶつけてくる。


話がはずんで特別に開けてもらったバックヴィンテージの05年は、この10年間ポテンシャルをもてあまし閉じ続けていたものの、今、まさに怪物に変貌しつつある。


2009年の優雅なエレガントさも半端ではない。


エカール家の歴史を担う「セルパンティエール」の個性を、彼はよく「ダンサー」に例える。
日射を満面に浴びる南向き斜面。どんなヴィンテージでも明るさと軽やかさが身を包み、しなやかなボディで舞いながら優しく手をとって飲み手を誘い出してくれる。長い余韻が幻想の中にそのままそっと居させてくれる。


「果実、果実、果実。それが私がワインに求めるスタイル。
つまり、熟成してもまだ、果実が存在しつづける。熟成香も複雑性も、あくまで果実主体に纏まっていくんです。」


サヴィニーの地に深刻な雹がおそい、10月に寒い収穫を強いられた難しい13年にも、彼のワインには硬さが見られない。果実がピュアに醸し出されている。

「13年は特に難しい年でした。だからこそ、この年のワインの出来を自負しています。成功したのは、やるべきことを、《考えながら》進めたから。」




ワインの奥深さと彼の熱意に誘われて、2015年のワインを体験しに醸造所へ。

10年前にエカール家から独立して、手元に残った機材を利用してはじめた、決して近代的とはいえない小規模な設備。新樽の数も極めて少ない。


それでも華やかに誇り高く、2015年のワインは4段という高さに積み上げられていた。


「あなたの同業者が誰も豊作が叶わなかったのに、どうやってこれを実現したのですか?」


「2003年には痛い目を見ました。今はただ造る時代ではありません。皆、考えながらやっています。
乾燥した暑い気候から、ブドウ樹をそのまま放置し、葉を沢山残してブドウに影を作ってやることを考えました。
とにかく耕作を繰り返して、土壌にフレッシュなミクロクリマを取り戻させました。


収穫期に自分の畑に実ったブドウを見たとき、本当に嬉しかった!ここにも、あそこにも、沢山の美しいブドウが生っていたんです。」


熟考してたどり着いた自分の方策が、まさに的を得て、成功した喜び。それでこんなにも「伝えたい」気持ちでいっぱいなんだ…。


「2015年は、先ほども言ったように群を抜く世紀のヴィンテージです。でも、私は敢えて値段を下げますよ。」
と、嬉しいニュースを投げかける。


今までずっと不作つづきで、年々値段を高騰させるしか手段がなかったとのこと。そういった苦境を理解し買い続けてくれたお客様に、何年越しかの豊作の喜びを伝え、感謝の意をこめて値下げを試みるのだそうです。


14年の出荷は来年の春。もうちょっと待てば、日本市場でも必ずそれが明らかになる。本人もそれが消費者に伝わるのを心待ちにしているよう。


「モーリス・エカールはもう存在しない。買収されてから、ネゴシアンが名前を使っているだけ。私たちは栽培にも造りにも、何も関与していない。もはや工場産のワインです。」


たしかに、ミシェル・エ・ジョアンナ・エカールのワインは、モーリス・エカールの心臓部を宿し続けている。
自分たちこそが継ぎ手である。
そして果実主体の自分のスタイルを完成させた。
彼には今、愛好家に伝えたいことが沢山あるようです。


「日本には行きたいけれど、痛めてしまった腰の引き金をいつ引いてしまうかもしれません。残念ながら飛行機の長旅はこの先も当分できそうにありません。でも、いつかきっと行ってみたい。そう思っているんです。」


ヴィニュロンの仕事は、達成感や充実感が深い。けれど、その厳しさから肉体的代償が否が応にもつきまとう。一年のうち300日は畑に出ているとのこと。ワインの90パーセントは畑で決まります、と彼は断言する。



今年の紅葉は、取り分け色合いが濃く、陰影がはっきりしている。

地元の人も嬉しそうに、
「コート・ドールはやっぱり、コート・ドールの名に相応しかった」
と、収穫後の秋の風景を愛おしそうに眺めている。

今年はブドウも最上の出来だったから、喜びも一際。
ヴィニュロンたちの安堵と幸福を象徴し、樽に詰められた2015年のワインの
美しい熟成の行く先に韻を奏でているかのようにも思える。


1789年のフランス大革命後、地方整備委員会が設立された。
他の大多数の地方と同様、この地にも川に因んだ名前が想定されていたという。

ディジョン出身の代議士の一人が、秋のこの景色を眺め、
「コート・ドールこそ、この地の名に相応しい」
と、個性をやどした名が銘銘された。


朝日や夕日を浴びるとき、雲がながれて再び光が射しこむとき、
表情ゆたかに金色に輝く一面のブドウ畑。

今年のように色が濃く、一気にローブを一転させた丘は、その名のとおり黄金の丘を体現し、
コート・ドールたる所以を人々の胸に考えさせる。

ブルゴーニュの長い歴史の中で、今も昔も大切に守られてきた丘。





















学校のない水曜日の午後は、できるだけ家族で過ごしたい。

秋晴れにさそわれて、ノレイのおばあちゃんの果樹園に出掛けることにした。


昔おばあちゃんが住んでいたその家には、今は知らない人が住んでいる。
それでもおばあちゃんの果樹園はそのまま残っていて、私たちは自由に出入りすることができる。


数年間手付かずの果樹園は、うっそうと茂る背丈の高い草で覆われていた。

パパが先頭を切って剪みでバッサバッサと道をつくり、
子供たちは探検気分で嬉しそうについて行く。











あっという間に籠は捥ぎ立てのリンゴでいっぱいになった。




服でこすって、がぶり。






胡桃やクロイチゴも頬ばる。

最近では冬支度のリスが、世話しなく胡桃を集めている。木を上ったり降りたりして、胡桃を一度に2個もかかえて走っていくことさえある。










帰り道、この辺では珍しい大きな橋をみつけた。昔はこの上を列車が通っていたらしい。

その高さと壮大さに向かって、子供たちが思い切りジャンプ。
小さな小さな子供たち。届くかな。






橋の上の景色が見たくなって、急な坂を登っていった。視界は一気に広がって、そこに光が集まっている。








欄干にもたれて遥か下の自分の影を眺めていたら、黄色いタンポポがパッと目の前に差し出された。

「はい、ママ。」
いつのまに、どこで見つけてきたんだろう。

まるで、隣のトトロ。

学校がお休みの水曜日の午後、娘が私にくれた陽だまり。




遥か下にうつった、私と娘の影。こんなちっちゃな影の中に、私たちの今日の一ページがある…。