ダンスライブが終わると次は大学主宰の演劇の公演。

私は舞台美術部として参加していた。


舞台美術はそれなりに負担が重い部署で、小屋入り(実際の劇場で準備をすること)も他の部署より早かった。
日数にして2週間。尋常じゃない(笑)。


私だけダンスライブが終わってからの途中合流だったため、先輩の顔もあまり知らない上に仕事内容がなかなか掴めずストレスもあった。


それでも、自分が好きなことだから頑張れたし楽しかった。



キャストが小屋入りしてからの私の主な仕事は「上前介錯」、つまり上手(客席からみて右側)の客席にいちばん近い幕を役者が舞台に出る時に引くことだった。

その仕事の最大の問題点は



「暗闇」。


倒れて以来なんとなく暗いところが苦手だった私には苦痛だった。

誰もいない舞台袖で1人、痙攣や息苦しさに耐えていた。



でもでも、すっごく楽しかったんだ。


先輩がとってもいい人で
キャストとも仲良くなれて
プロスタッフさんの下で勉強できて

だんだん仕事も分かるようになり、先輩にも

「上手の小道具は俺より氷雨さんの方が分かるから」


「上手の小道具は氷雨さんに任せてるからね!」

と言ってもらえて本当に嬉しかった。


小屋入り中にこっそり心療内科に行って
「パニック障害の可能性がある」
という診断結果が出たこともあまり気にしなかった。


連日9時~21時まで劇場に籠りっぱなしで身体もキツかったけれど、あと1週間もないんだから頑張れる!と思っていたところだった。



だけど。



初日の2日前にして、自分でも「…ヤバい」と思うほど呼吸に違和感。

流石にまずいかもしれないと思いつつ作業を続け、無事にその日の作業を終える。


スタッフの皆と談笑しながらエスカレーターを降りる。

皆がいつも通りの行動を取るなか、私が1人後ろで座り込んだことに誰も気が付かなかった。


予想通り、過呼吸。


自分の身体が制御できなくなる恐怖

不自然に熱くなる頭

誰も来ない寂しさ



あー、このまま講堂事務のおじさんが来るまで1人ぼっちかなぁー

…なんて思い始めたころ、ようやくまだ残っていた先輩が私に気づいてくれて。



紙袋(らしきもの)を口に押し当てて、何とか治まった。



舞台美術部のチーフさんに

「この後のミーティング出なくていいからすぐ帰んな。明日も午後からでいいから」

と言われ、私だけ会場を後にし階段を降りようとしたら。


「氷雨さん」



階段下に他の部署の2年の男の先輩が立っていた。



「あ、りんさん…」



このタイミングでこの人と関わったことによって思いもよらない展開になることを、この時の私はまだ知らない。