レイニーらじお

2010年7月某日「特発性拡張型心筋症」と診断されました。

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特発性拡張型心筋症
医師からそう診断され、これからの生き方を考えるのだけれど・・・



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甥っ子から第二弾の頂き物。
 
さて何だ???ミミズが這ったような文字は???
甥いわく「切支丹の文字が確認できる」とのこと
むむ・・・確かに切支丹。
これをヒントにこの古文書が何なのか調べてみました。
日本にキリスト教が伝来した1549年フランシスコ・ザビエルによって
伝わりました。学校で教わった記憶がよみがえる・・・
当初漢字の書きは「吉利支丹」だったそうだ。
これがキリスト教禁止令によってよくないものとなる。
五代将軍徳川綱吉の時代より「吉」の字にはばかって
「切支丹」と書くようになったのだそうだ。
そうなるとこの古文書は1680年以降の物と察する。
 
もう一度、全文を見直していると「あった!」
宝暦五年乙亥七月 西暦でいえば1755年
なんと260年以上前の古文書でした。
さらに読み取れる単語がところどころに見当たる。
「五人組」「大小百姓」「仕置」「組代」などなど・・・
そしていきつくところ、これは「五人組仕置張」と判明しました。
国家の統制を目指して村単位で五人組がつくられていた時代です。
五人組は5戸で一組をつくり、地主、組頭、百姓代という三役が置かれ
犯罪防止、警察、納税などの連帯責任をとらされた。
そうなるとお互いを警戒しあうこととなり、支配者にとって好都合な訳である。
「五人組仕置張」はその規則文書ということである。
名主の箪笥に永久保存されたそうなので、
現存しているものはそういうところから出てきたものになるそうだ。
近世の庶民の研究資料として貴重なもので、
状態の良いものであれば5万円~8万円の価値があるようだ。
残念ながらこれは肝心の表紙が紛失していました。
本文が全て残っているかどうかは追々、
時間の余裕ができたら調べていきたいと思います。
 
余談ですが「五人組」と同じような組織形態として戦前、
「隣組」というのがありました。その名残りが現在の回覧板
となるわけですね。
うちのマンションではもう回覧板はやめてしまいました。
生活形態が多様化し、共働き家庭が増え、又土日祝日に勤務など
まとまって何かを行うことが困難となったためです。
はたしてこれが良い事なのか悪い事なのか・・・
私ももう一度改めて考えたいと思います。
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あけましておめでとうございます

 

年末年始は実家で過ごしました。

骨董好きな甥っ子から以下の様なものをいただいてしまいました。

江戸時代~昭和初期の古い書物、封書、絵葉書などなど・・・

一般的には

「何それ?汚い、気持ち悪い、臭い、どうでもいい」

などと言われてしまう。

私はと言えばこういうものは嫌いではない。

いやむしろワクワクしてくるんです。

その中に一つ気になるものが・・・「隆基館」?

田沢切手3銭が貼られており、

櫛型日付印は大正14年3月10日

あて名は

「甲州東八代郡相興村  隆基館 小澤 滋 様」

とある。

現在の山梨県笛吹町一宮北地区あたり。

そこで調べてみると・・・あった。

笛吹市職員の市民活動サークルが

地域再発見ウォーキングマップを作成しており

その中に「旧小澤邸」が紹介されていた。

製糸工場があって「隆基館」と呼ばれていたそうである。

残念ながら建物は現存していない。

ネットで調べられた唯一の出来事として

昭和3年10月に隆基館製糸工場にて女工150人の

ストライキがあったことが山梨の歴史に載っていた。

 

裏面の差出人を見てみると

「横浜市辨天通壹丁目 蠶絲貿易商 中澤商店」とある。

これはそのまま現在の横浜市中区弁天通り一丁目だろう。

もちろん現在の弁天通りはビルが立っているだけである。

蚕糸貿易商だから蚕からとれる生糸を扱っていたと

推測される。

横浜は幕末からすでに全国の生糸を集めて取引が行われていた。

明治12年の記録によれば全体の60%以上が

東北地方と上州(群馬県)、信州からであり甲州は7%となっている。

 

さてさて封書の中にある便箋はあまりの達筆でほとんど

解読不能・・・であるがなんとなくあまり良い内容ではない

ことは伺える。

 

時代背景からしてもそれは納得できそうだ。

大正9年は大不況で輸出の停滞、糸価の暴落が起きている。

さらに大正12年は関東大震災。

横浜ももちろん見る影もなく潰れてしまったようである。

この封書は震災から2年後の大正14年であるから

復興の途中であったと思われる。

ちなみに新しい生糸検査所及び帝蚕倉庫が完成したのは

大正15年となっている。

 

なんとなく手にした一通の古い手紙から

私の生まれる前の当時の出来事をあれこれ調べていると

 

隆基館はどんな建物だったのだろう?

当時の女工さんたちは何に怒っていたのだろう?

震災後の横浜はどうな状態だったのだろう?

 

などと想像の世界に入ってしまう。

まあ、それが古物の面白さなんだけどね。

わかるかなぁ~わかんね~だろうなぁ。

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初日

 

午後に到着してループバスに乗る

縮景園~広島城~原爆ドーム~平和祈念館

↓やたらに静かなところです。

↓路面電車

↓広島城

↓初めて来ました原爆ドーム

↓日本人として見ておくべきだと思ったので・・・

↓外国の方がほとんどでした。

↓オバマさんの寄贈した鶴

↓さて飲みに行きますか

↓牡蠣フライ

↓純米酒 亀麗(きれい)がうまかった

 

二日目

呉にある大和ミュージアム~てつのくじら館~江田島~

呉の高台~竹原の竹鶴酒造

↓大和の縮尺模型だけどでかい。

↓零戦

↓一日限定30食のカレー

↓海上自衛隊の「てつのくじら館」

↓船に乗って

↓江田島へ

↓すぐに呉に戻って高台まで歩いた歩いた

↓呉から1時間かけて竹原へ

↓竹鶴酒造

↓西方寺

最終日

広電~広島港~宮島~宮島口~

岩国~錦帯橋~岩国城

↓広島優勝したんだよね

広島港から船で宮島へ・・・これ以外と早いから便利

↓さて上陸

↓焼き牡蠣うまし!

↓錦帯橋

↓岩国城天守閣から見た錦帯橋(かなりズーム)

↓さて帰りますか(夜の広島駅)

 

 

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