『これからの人生。bice特集』 文字起こし | GreenCherries'Diary

GreenCherries'Diary

biceのこと、自分のこと。
思い出したこと、思い出したいこと。

これからの人生をあなたはどう過ごすのですか。
これからの人生の北・南・西・東。

これからの人生で私はひとつだけ、あなたにお願いがあります。
これからの人生を私と過ごしてほしいのです。



『小西康陽 これからの人生。』



◆小西康陽さん
みなさんこんばんは。

『これからの人生。』
今夜は2年前に突然亡くなったシンガーソングライター
biceさんを偲ぶ特集をお送りします。
僕はある時から彼女の音楽の大ファンになったのですが、
知り合ってからまもなく、彼女は亡くなってしまいました。

今日は生前 彼女とおつきあいのあった多くの方に
彼女の思い出を語って頂きます。

番組が終わって日付が変わると7月26日。
biceさんの三回忌ということになります。
それではみなさん、最後までごゆっくり。


http://www.youtube.com/watch?v=VbxgHxbhjyU



◆SUGIZOさん
ミュージシャンのSUGIZOといいます。
そうですね、biceが亡くなって2年が経つとは信じられないね。
訃報を聞いた時 僕はアメリカのボルティモアにいたんですよね。
そこのイベントの出演時にbiceのこの件を聞いて
すっごくショックを受けたのを覚えてます。

彼女と出逢ったのは、何年だ…1998年とかだと思うんですけど。
biceがデビューする直前の頃で、
スタッフづてに『このコをプロデュースしてほしい』って、
彼女の音をもらったんですよ。
で『どれどれ」って聞いてみた時に、もう完成していて
『この人をオレがプロデュースするなんてめっそうもない』
逆にファンになってしまって、紹介してもらって、
そこからお互いのミュージシャンとしてのつきあいが
始まってですね。

ま、とにかく彼女のありとあらゆるね、
音楽の要素をごった煮にして、
でもbice流にソフィスティケイトした用の音楽がとても好きで。

で、彼女は自分でシンガーとしては
全然自信を持っていなかった…みたいなんですけど、
でも実はまたbiceの声が素晴らしくて、
オレみたいなすごく、音楽オタクのようなやつが聴いて、
とってもグッとくる。
でも実は全然マニアックなものでもなくて、とてもポップで、
さらりと生活の中で聞けてしまうような
そんな魔法を持った彼女の音楽が、本当に好きでした。

で、実は一緒に活動をしていたりとか、
ごはんを食べてたりすると、
結構ね、男っぽくて、サバサバして、
すごいいい感じのね、友達でしたね。
結構お互いズケズケ本音でしゃべれるような
なんか一緒にいるとね、野郎同士のような
うん、そういう気をつかわない雰囲気を醸し出してくれるような
とっても素敵な人でした。

彼女の音楽が、オレ今でもすーごく好きで、
例えば「The Girl In The Letters」という曲があるんですけど、
その辺は実は今 僕のアコースティックのライブで
カバーさせてもらったりとかしているんですよね。


http://www.youtube.com/watch?v=_irTIdvX8eQ



◆吉見雅子さん
biceの妹の雅子です。

姉は私が物心ついた時にはピアノが上手でした。
歌もよく歌っていました。
童謡からピンクレディーまでなんでも歌っていました。

発表会とか人前で弾く時も、姉は間違えずにさらっと弾いていました。
母いわく、練習では間違えていたのに本番では間違えたことがないそうです。
『発表会ならなんでもおまかせ賞』というのを学校でもらっていました。
あまり緊張するところとか見たことがありません。

小学校3年生ぐらいからオフコースファンになって、
家族でよく聴いていました。
母と私がピアノの前に呼ばれて、一緒に歌うこともよくありました。
姉が各パートを弾いて聴かせて、
すぐに『はい歌ってー』という感じで始めるのですが、
母も私もなかなかできなくて、何度も練習させられました。

その頃から姉があまり外で遊んでるイメージがありません。
フルートを吹いたり、ピアノを弾いたりしていたように思います。
とはいえ、学校でも学級委員とか生徒会とかをしていたので、
わりと目立つ人だったと思います。

その後は聖子ちゃん風の髪型にするために、
くるくるドライヤーを使ってる姿とか、
中1の時にパーマをかけて、父に刈り上げにされたとか。
広島の田舎に住んでいたのに、おしゃれをがんばっていました。


http://www.youtube.com/watch?v=RkgvMKRQqKo



◆篠崎慎一郎さん
篠崎と申します。

bice、まぁ最初 中島優子、だったんですけども、
彼女がまだ20…、20歳とか21、大学出たばっかりの頃ですかね。
僕もまぁ…ちょっとアレンジみたいな仕事のアシスタントをしてたんですけども。
僕がついてたアレンジャーさんが中島優子のアレンジをしてまして、
そういうつながりで、ま 現場が一緒になり、
っていうところがスタートで。
ま、ちょっといろいろあっていつのまにか(笑)
僕がマネージャーをやることになったんですけども。

わりと当時あのガールポップという、
わりとこう業界全体で盛り上げようなんていう潮流の中で、
中島優子もやっていたんですが。
ま 彼女としてはそのガールポップ勢の中でも
わりと音楽、サウンドの方に興味があるコでして、
非常にラジオに出るのが苦手みたいな、
いろいろメディアに出るのが苦手みたいな、
ま 後半は逆になってくるんですけども。
それで非常にそのガールポップというエリアでやること、
自分がちょっと若干アイドル的に見られることを
すごく嫌って悩んでまして。

僕がマネージャーに就いたのが、中島優子の2枚目の出た後なんですけども、
ちょっとかなりレコード会社的にもその方向性に行き詰まっていて、
ま本人も行き詰っていて。
ま好きな音楽を話したところ、全く違うことをしているよねと。
というところで、わりとこう自由にやり方を変えていいみたいな話になって。

あれはどこだっけ…大阪かなんかのキャンペーンの時に、
まこのNHKの『真夜中の王国』という番組をやってて、
それをたまたま見てる時に、
当時 詩人の血が終わって、Oh!Penelopeという2人組になっていた
渡辺善太郎さんと辻睦詞さん、テレビ見てて、
『この2人かっこいいよね』bice的にも、あの前から気になってて好きだと。
で、この人たちなんか一緒にやれないかという話になり、
これなんとかやろうよというところで、
ま、レコード会社や当時の事務所の社長に直談判して
なんとか一緒にやりたいと。
で、連絡をとったところですね、快く引き受けて頂いて。

実は中島優子時代に、3枚目の、
ま、フルアルバムでいうと『charmless?』っていうやつなんですが、
それから結構biceにつながるサウンドに変わってきてるんですが、
その裏側っていうのはOh!Penelopeの
渡辺善太郎さんと辻睦詞さんのプロデュース。

彼女は地声に非常にコンプレックスを持っていて、
私の声はいい声ではない、と。だから売れない、と。
ま実際ちょっと心ないディレクターとかが
『サウンドは最高なんだけどおまえの声が』みたいなことを言われちゃったりとか
そういうことで悩んでいて。

そんな中、辻睦詞さんが『いや、いろんな声出せるよ』っていう
結構乱暴な言葉づかい、『おめぇはー』みたいなこと言うんですけども、
それでウィスパーボイスの歌い方を辻さん直伝で教えて…
ま、なんでしょうね、今でもこんなにオケに対してbiceの声、
中島優子からbiceに変わる瞬間だと思うんですけども…


http://www.dailymotion.com/video/xfo1bb_yuko-nakajima-happy-xmas_music




◆小西康陽さん
今お聴き頂いたのは、中島優子さんの「Happy Xmas」という曲。
ウィスパーボイスで初めて歌った、
中島優子からbiceに変わる瞬間ということですが、
今回この時代の作品を聴いてみたら、
biceさん本人がコンプレックスに思ってるほど
彼女の地声は悪くないというか、
やはり非常に魅力的なボーカリストだったと気づきました。

では中島優子さんの曲をもう1曲聴いてください。



◆辻睦詞さん
こんばんは、辻睦詞です。

僕は彼女がbiceになる直前の、所謂プリbiceの時期に、仕事で関わりました。
1996年当時、僕自身のグループ=Oh!Penelopeが、
彼女のCD2作をプロデュースしました。

特に歌の録音では、彼女の音楽と歌詞と歌唱を
一体化させようと試みました。
作業の中で、彼女の音楽にはウィスパー唱法が合うと気づいて、
とても長い時間かけて、組み立てました。

思い出を少しお話しします。
中島優子時代のプロデュース仕事が終わった後の1996年9月、
僕は旅行先のパリで、中島と彼女の妹さんに逢いました。
お茶をしたり、レコードを買いに行ったりしましたが、
妹さんがとてもしっかりした方で、きっと旅行は安心だろうと思いました。

生前 中島に逢うと、僕はいつも厳しいコメントをしていたので、
彼女にとって僕は一番けむたい存在だったのかもしれません。
亡くなる1年前に彼女が僕のライブに来てくれた時も、
僕は彼女に厳しかった。

彼女は黙って僕の話を聴いていました。
彼女はとても意志がはっきりしていたので、
彼女の考えていることはよくわかりました。
誰からどんな言葉を聴きたいかさえ、僕にはわかっていたように思います。

だから『知っとるで』『わかっとるで』と言いたい。

さようなら、中島。 ありがとう。



◆渡辺善太郎さん
何から話そうかなぁ。

渡辺善太郎です。
biceさんの…まず出逢いは、もう随分前で
彼女がbiceって名乗る前にデビューした時の
アレンジというか、サウンドプロデュースをしたのが…
あれでもどれくらい前かなぁ?
たぶん15年…15年ではないなぁ。
16、7年(笑)になるのかなぁ? そのぐらい前で

その後すぐにbiceって名前に変わって、
その後何曲ぐらいかな?
ま、初期の…biceの初期の頃の方を
担当させてもらいました。

まだ…その亡くなったってことが、
えっとまぁ随分逢ってなかったっていうのもあるんですけど、
実感としては、ないですねぇ。

まぁ僕の記憶というか覚えの中では、
彼女はすごくいきいきしてて、
生命力にあふれてた感じなんで、
まだ、信じられない感じです。
それがずーっと続いてる感じです。

やっぱり彼女はピアノもギターも弾けるから、
ま、ギターも弾けるといってもうまくはないんだけどな。
やっぱ根っから…音楽が好きかどうかはわからないけど、
その…やっぱ音楽をするために、
こう…生まれてきたというか。
短い人生だったんで…
まぁ…結局音楽をずーっと追求している間に
逝ってしまったみたいな感じなんだろうけど…。

ほんとにこう…あふれてくる感じというか…音楽が、
短い人生だったけど、それは…その点はすごい充実してて、
幸せだったんじゃないかなと思いますね。



◆松井敬治さん
こんにちは、primroseの松井敬治と申します。

彼女がいくつかカバーした曲の中に、
「Time After Time」っていうCyndi Lauperの名曲があるんですけども、
それのアレンジを任されまして。
で、彼女が家でじっくりと弾き語りで、
ギターでポロンポロン弾きながら、
力の抜けた歌いようで、歌ってきたテイクを聴いて、
『あぁ、いいな。こういうなんかがんばらない
 歌い上げない「Time After Time」っていいな』と思いまして。

その頃僕はすごくチープな家に住んでまして、
窓もちゃんと閉まらない家で。
で、そこでアレンジをし、ギターを弾き、
ま、コントラバスも弾いたんですけども、
そういうある程度のたたき台を作って。

で、ある日彼女がじゃあ歌いに来るって言って、
で僕はまぁスタジオと呼んでたんですけども(笑)
そこへ彼女が来て、歌い始めようとしたら雨が降り出して、
僕の家はボロなわけで、雨の音が聞こえちゃうんですね、
マイクの中に。

そしたら『雨も一緒に録っちゃおうよ』って話に2人でなって、
『いいねー!』っていう話になって。
で、あの…あの曲をご存知の方はわかるんですけども、
最初に結構大きな雨音(あめおと)が、
それもなんか素敵な感じではなくて、
ザーって降ってるような雨音(あまおと)が入ってるんですけども。

そこから始まる「Time After Time」の1コーラス目、
彼女の歌が入って、
自分のギターと、彼女の弾き語りのギターと、
あとコントラバス、
それからエレクトリック…サイケデリックな感じのギターが始まってっていうところで
一気に最後まで見えた感じがして。

ま、終わる頃には雨はあがってたんですけども。
彼女それをとても気に入ってくれて。
最後に『チャイムを入れたい』っつって。
できあがったトラックの最後のところの、一番最後のとこで、
カーンカーンってチャイムを打ったんですけども。
『あ、これで完成だ』って思ったんですね。

あの歌詞の内容を今聴いてみると、
『私はちょっと先にいっちゃって、
 あなたの言うことがあんまりよく聞こえないけど。
 でも、もしあなたがどっか見失ったりとか、
 落ち込んだりとかしたら、
 私はあなたをつかまえててあげる』っていうような、歌なんですね。

悲しいけど、先いっちゃってるだけなんで、
彼女からのメッセージのひとつだと、あの歌は僕も思うし。
僕の中ではすごく大きな、思い出で…はい。


http://www.dailymotion.com/video/xj739b_bice-time-after-time-cover-en-sub_music




◆奥田健介さん
えー、NONA REEVESのギターの奥田健介です。

えっとbiceとはですね、
もうかれこれ…たぶん12、3年前になると思うんですけど、
僕らがデビューした頃と
biceがbiceっていう名前でデビューした頃がちょうど同じ時期で。
で、彼女の最初の方の作品で、
ギター弾いたり、手伝わせてもらって、
そっからのつきあいに、なってますね、はい。

で、たまにまぁ、お茶したり(笑)
あのー・・・わりといつも突然お呼びかかるというか、
全然半年とか、1年とか逢わないこともあるんですけど。
ある時急になんか『お茶しない?』とか、
『私のラジオ出て』とか、
急に連絡来るみたいなイメージがすごいあって。

で、ちょうど亡くなる年の正月に、
その前も全然逢ってなかったんですけど、
いきなり『新年会来ない?』って言われて。
正月の…えっと2日に行ったら、
えーっとbiceと、biceの旦那さんと、
旦那さんの同僚しかいないっていう(笑)新年会で、
すーごいちょっと戸惑った覚えがありますけども(笑)



◆小松シゲルさん
NONA REEVES、ドラムの小松シゲルです。

えーbiceと最初に出逢ったのは、1997年頃だったと思いますね。
最初に逢った時の印象は、
ハーフのコなのかなぁと思うぐらい、なんかフランス人形みたいな容姿…と、
ま、それとはうらはらなざっくばらんなせ…人柄が、
あまりにも対照的で面白いなっていう印象でした。

その後biceの最初のミニアルバムの
レコーディングに参加させてもらったんですが、
それ以降、bice本人の作品や、ドラマのサウンドトラック、
biceが手がけたたくさんの録音に関わらせてもらいました。

ドラマのサウンドトラックやCM音楽みたいな
ま、裏方の仕事もbiceは多数こなしていたんですけれども。
彼女のそういうプロフェッショナルな側面が一方にあったとして、
それとはまた違うbiceっていうひとりのアーティストとして、
えー、その音が頭の中で鳴ってしまって、
どうしてもそのまま表現したいっていう
なんかbiceのそういう静と動、
というかまぁそういう違うベクトルのものが、
面白いバランスでアルバムには、
繰り広げられているなっていう風に思いました。

ま、それどういうバランスかっていうと、
ま、最初にドロドロとしたbiceっていうアーティストの核みたいなのがあって、
それをできるだけ壊さないようにしながら
最後だけプロフェッショナルのbiceっていうのが顔を出してきて、
なんか推敲している…っていう感じですかね。
なんかそれを無意識にしてる風に、今聴くと僕はすごい感じます。


http://www.youtube.com/watch?v=M7Vt-ENscqQ



◆深井康介さん
音楽制作会社、作家マネジメントやってます、深井と申します。

ま、元々 中島優子っていう名前で彼女がデビューする
そん時に制作をちょっと…事務所側の制作ということで頼まれて、
アルバム1枚とシングル2枚かなぁ…、作ってたんですけども。

僕もまだ経験も浅かったんで、
なかなかいい結果も出せなくて、
1作でちょっと降りることになって。

で、4年ぐらい前かなぁ。
アニメの『けいおん!』っていう作品を手がけることになりまして、
ま、それでメーカーのプロデューサーと曲をたくさん集めてたんです。
でまぁうちの作家でほぼやってたんですが、
どうしても彼女みたいな作風の曲がなかったんで、聴かせたら、
ま、プロデューサーが非常に『これはいいね』っていうことで。
何曲もストックとか書き下ろしをたくさんもらったんですけど。

そん中から選んで、1曲…録って…、それは完成したんですね。
でもう1曲録って、歌入れの日に、来ないんですよ。
それでもう全部伝えて、その3日か4日前に電話で話して、
『レコーディング入るからよろしくね』つって。

で、来なくて。
電話してもつなが…出なくて。
しばらくしたらご主人からコールバックがあって、
『いや、実は昨日こういうことがあった』って
もうそれを聞いた瞬間、僕はもうちょっと…頭ん中真っ白になっちゃいまして。
現実としてちょっと受け入れられなかったですね、最初はね。

最初はデモテープを自分で作ったんですね、
そのデビューに向けて。
で、まだ打ち込みもそんなに発達してないですけど、
リズムマシンと自分のピアノで歌ってくんですけど。
それがね、非常にとがってて面白かったんですよ。
なんか粗いんですけど、なんかこうきらきらしてて、
で、その事務所の僕の友達が
その時のデモテープで『このコやろう』って、
メーカーさんもそれやっぱ聴いてやろうって。

ところがやっぱり表に出るとき、
周りでいじりすぎちゃったっていう。
ま、よくある話ですけど。



◆永田太郎さん
biceのライブとレコーディングもちょこちょこ
ギターで手伝っていた、永田です。

biceがちょうど『Nectar』っていうアルバムを
完成させた直後ぐらいに、知り合ったんですけど。
で、そこから…ライブはもう10年ぐらいずーっと一緒にやってて。

最初に出逢った頃に、
彼女のその…実家に小屋があってですね、
恐らくその初期の作品は全部そこで録ったって言ってたんで。
そこへ行ったことがあって。
ま、そこで何曲かギター録ったりしたんですけども。
その時の光景やっぱすごく覚えてて、
そういう、あの作品が出てきそうな部屋(笑)というか
なんていうのかな。
すごくこう…なんだろうな。
フィットしてたスタジオっていう感じなんですよね、biceに。

その時録ってた音が、実は後々…
えーと5年ぐらい寝かして、
セカンドアルバムに入ってたりとかするんですけども。
その時の作業の様子は、ちょっとすごく印象的でしたね。
なんか、こうやって、ここであぁ音楽ずっと作ってたんだーっていうのが
すごく実感できたというか。



◆カジヒデキさん
カジヒデキです。
biceさんが亡くなられて、2年が過ぎました。

最初に彼女を知ったのは、
僕が関西のFM局でDJのレギュラー番組を持っていた
1998年の初夏のことでした。

僕の担当のディレクターの方から
『女性版カジヒデキがデビューするんだよ』という風に話を聞き、
「スニーカー」というEP、そして「bice」というタイトルのEP、
その2枚を頂きました。
女性版カジヒデキということは置いといたとして、
とにかくその2枚のCDが本当に大好きで、
もうすぐに大ファンになってしまい、
急いで彼女のデビュー作でもある『Spotty Syrup』という作品を
CD屋に買いに行った覚えがあります。

すぐに僕は彼女に
アルバムでデュエットをしてほしいという依頼をしました。
僕の3枚目のアルバムで彼女に2曲デュエットで参加して頂き
そのアルバムの全国ツアーにも参加して頂きました。
その時のツアーメンバーは全員で10人、
9人の男性に混ざって、彼女は紅一点、
全国7ヶ所まわって頂きました。

本当に彼女が亡くなったことがとても悲しいです。
きっと彼女が60、70まで歌い続けていたら
Blossom Dearlyさんのようになっただろうなと、
いや、本当にそうなってほしかったと、心から思います。

彼女のご冥福を心よりお祈りいたします。


http://www.youtube.com/watch?v=RKYqyeWxiaY



◆越智政司さん
当時ですね、レコード会社のディレクターとして、
biceさんと関わっていた、越智と申します。

私のですね、初めてのbiceさんとの出逢いはですね、
小西さんが当時オムニバスで当時CDの制作をしていたんですけども。
その中でbiceさんの楽曲を聴きたいということでですね、
資料を渡して聴いて頂いたところ、
小西さんが非常に気に入られてですね、
一度逢ってお話ししたい、という機会がありまして。

その時に私と含めて数人で、
当時確か恵比寿のホテルだったと思うんですけども、
ホテルの喫茶店で初めてお逢いしたというのが、
最初だったと思います。

その時ですね、いろいろ音楽的な話含めて、
約1時間ぐらいだったと思うんですけれども、
小西さんとbiceさん…聞いていて、
いろいろな音楽の好みの話ですとかされていたという風に
覚えております。

その後ですね、アルバムの方を制作するにあたってですね、
いろいろと関わらせて頂いたんですが。
えーその時に、ジャケット撮影ですとか、
PV撮影の時も立ち合わせて頂いて。
特にPV撮影の際にはですね、とある公園の中で、
風船ですとか、そういうのを含めて用意してですね、
踊っているbiceさんだったり、
そういうのを全て撮影の時に見させて頂いたんですが、
非常に、なんていうんですか、
レコーディングの時とは違うかわいいキャラクターを持っている方だなぁ
という印象を、当時持っておりました。

えーその後ですね、リリースした後に
全国の主要都市…7大都市の方にですね、
えーインストアライブ含めて、一緒にですね
私とbiceさんと2人でいろいろな場所に行ったんですが、
正直場所によってはなかなかお客さんが
少ない時などもあったんですが、
その中でも非常にそういうお客さんひとりひとりに向かってですね、
えー真摯に音楽を伝えようとしているbiceさんの演奏と歌というのが
非常に今も鮮明に残っております。


http://www.youtube.com/watch?v=EvOy8xvaszU



◆塚田耕司さん
塚田耕司と申します。

最後のアルバムとなってしまいましたが、
『かなえられない恋のために』のレコーディングとミックスを
全曲担当させて頂いておりました。

えーbiceさんの印象なんですが、
第一印象はとにかくかっこいい女性だなーというのが、
第一印象です。
女性アーチストで、かつセルフプロデュース、アレンジ、
えーそれから楽器の演奏まで、ひとりでこなすというスタイルは
なかなか少ないと思うんですけれども。
かなり的確なビジョンをお持ちになっていて、
こちらとしてはとてもやりやすい仕事というか、
ま、彼女の的確なディレクションをこなしていくという感じで、
とてもスムースに仕事ができたという印象があります。

ご本人は職業作家を目指しているという風な…
あの自分のことをそういう風に、表現してたんですけれども。
僕の印象としては、その枠にはおさまらないタレントであったりとか、
キャラクターをお持ちの方でした。



◆一十三十一さん
一十三十一です。

biceと私…の出逢い?は「粉雪のシュプール」っていう
私のシングルの時からの、お友達ですね、はい。

biceと私…といえば、夜中の電話…っていう感じですね(笑)
あとまぁbiceといったら、私は結構 卓球バーっていうのを…
まぁイメージ。
行ったことないんですけどー(笑)
いつか行こうと思っていて、
結構 夜中の電話で卓球バーの話を、よくしていて、
中目にある…らしい…
あの全然行くつもりでいたんですけど、
はい、夜中の電話でその話をよくしていて、
2時とか3時ぐらいに、よれよれ話してたのは…
すごく…思い出です。



◆もりばやしみほさん
bice…、ビーチェびーちぇ…
biceとの思い出は…

最初はね、mayutanに連れられて、
えーとね、biceのインストアライブを観に行ったんですよ。
そんで初めてbiceが歌ってるとこ見て、
お人形さんのようだと思って…
もう見た目も声も、本当にかわいくて、
えー感動したのを覚えてます。

それからなんだかんだmayutanとかと時々お茶したり、
なんか…(笑)くだらないガールズトークをしてたり、
よくしたんですが。

あ、そうそれでなんか、なんかあの頃
『着物きたい、着物きたい』って着物ブームだったので、
『じゃあなんか着物きてやるバンドやろう』とか言って、
えーBM2というお遊びのバンドをやり出したんですがー。
えっと(笑)もう完全にお遊びで。

もうとにかくまだbiceが死んだというのが
ぜんっぜん実感が…わかなくて、
なんかね、今でもひょこっとこう
沖縄あたりとかに『遊びにきたよー』とか言って、
遊びに… 来そうな… 感じが… します。(笑)

もりばやしみほでした。


http://www.youtube.com/watch?v=7XUsPCRBYAM



◆来嶋勇人さん
来嶋勇人です。

今日ですね、NHKのスタジオにいるんですが、
原宿駅から歩いてきたんですけど、
ちょうどあの横の方にですね、渋谷区役所があって、
ちょうどここで一緒に籍を入れて…ってのを思い出しました。
それが4、5年前ですね。
その後はもう向かいにある安いイタ飯屋でですね、
指輪を渡したのを思い出しました。

最初ですね、結婚した直後とかは、
渋谷の方に住んでまして、一緒に、
で、1部屋をスタジオにしてて、
そこでよく彼女 曲をですね、
あのパソコンと、前にキーボードがあって、
ギターやマイクの機材があってですね。

で、会社から帰ってきたらですね、
人が…エンジニアの方とか、ギタリストの方がいたりして、
仕事があった時は、そうやって忙しかった彼女を見たのを覚えてます。

実はあのーあんまり言ってなかったんですけど、
体調があんまり優れてない…くてですね、
まぁあんまり人に言ってくれるなっていう感じだったんで
僕も特に言ってなかったんですけど。
結構無理をしてやってる中で、
本人はま…フルアルバムを2枚出した後に
たぶん3枚目のアルバムが出せるとは思ってなかったみたいで。
そういう意味でなんか…小西さんと出逢いがあって、
やってきた…やれたっていうのは本当によかったなぁと思いますし…。

今日のまぁこういったラジオ放送もそうなんですけど、
なんかすごいこう人に愛されてて、
なにかしら声がかかったりとか…してるような人でした。
なんで…彼女の人柄が、まぁかわいがられたからかなぁと
今になって思います。

普段はすごい静かで、音楽的なことも全然僕には…
僕もあんまり訊かなかったこともあるんですけど、
自分から話したりってことはほとんどなかったですね。
今にして思うと『この曲はどうやって作ったの?』とか
訊いとけばよかったなーなんて思うんですけど。
普段は音楽については、話はしなかったですね。

まぁああいう風に、ちょっとおしゃれな感じだったんで、
ま、あのままなんですけど、意外にですね、
あのー将来の方向性とかも悩んでたような感じがあって、
ミュージシャンとして『あたしはなんか…』
前になんか『綾戸智絵さんみたいに、演奏家で歳とっていけばいいのかな』とか
なんかミュージシャンとしてどういう風になっていこうか、みたいな。

ま、このラジオ番組の『これからの人生。』ではないんですけど、
ほんとにbice、もなんかやっぱりそういうことは、思いながら
生きてたんだな、と今思います。








◆吉田 豪さん
あ、もう、もういいんですか?

プロインタビュアーの吉田 豪と申します。
biceさんとの関係は、ま、ほんとにただのファンですね。
えーとメジャーデビューの2ndシングル「スニーカー」を聴いてはまって、
過去作品を全部買って、すごいいいっていうんで、
その後も全部リアルタイムで買い続け、
えーと他の人に提供した作品等も全て網羅しました。

で、インストアイベントとかも行ったりもしてましたね。
で、そうだ原田真二さんの曲をカバーしたら
あの許可がとれなかったみたいなことを言っていて
インストアでちょっと披露すんのを聴いて、
『うわすげぇいい曲だからこれ出せばいいのに』
と思ったりとかもしてました。

で、だんだんリリースが減ってきてさびしくなってきた頃に
小西さんがアルバムを出してくれて、
僕その頃小西さんに取材した時に
『とにかくbiceを復活させてくれてありがとうございます。』と
感謝の気持ちを伝えたことがあり。
その後小西さんとbiceさんが
渋谷のHMVでトークイベントやった時も行きましたね。

で、亡くなられて…
亡くなった時に、あの新聞の報道とかが
『けいおん!』の作曲家として出たのがすごい寂しくて、
あれもほんといい曲ではあったんですが、
本人にもっと、本人の活動になんか脚光を浴びないのが寂しいなと思って。
その後も思い出すとなんかね、
動画のリンクをtwitterに貼ったりとかの地道な活動をしております。

曲もとにかくいいし、声の質もいいし、
ルックス…なんかもう全てちゃんと揃ってて、
しかもそれ自分で作ってるって、なにこれと思ったのは大きいですね
で、カバーのセンスも素晴らしい。

あの僕 個人的にあのー女性ボーカルの曲とかが本当好きで、
それこそアイドルも含めて、
アイドル・声優も含めて山ほど買ってるんですが。
あの、理想の女性ボーカル…ベストぐらいにいってましたね、
biceさんのことは。
それぐらいにファンでした。

できればなんかね…
あの…ベスト&レアトラック集とか出せればいいのにな…とか
そういうことあるんだったらいくらでも企画するのになぁ
協力できるのになぁとか、考えております。
以上、吉田 豪でした。


http://www.youtube.com/watch?v=FNDEkP-Vl6c



◆西寺郷太さん
NONA REEVESボーカル西寺郷太ですー。

僕、そのお葬式…というか、
彼女の送る会にも地方にいて、
NONAのメンバーは行ったんですけど、僕は行けなかったんで、
だからいまだに、なんかそのー亡くなった実感が自分になくて、
だからこういう風に陽気にしゃべれてるところもあり。

彼女がやっぱり半年とか1年に1回電話かけてきて、
『郷太くん作詞教えてー』みたいな
ほんで『BAD歌ってー』とか、なんかそういうことに慣れていて、
なんかそれが、今も現実の中でも…
なんか続いてるような…気が、しているというか。

彼女、との接点が、深い部分もあったんですけど、
タームが空いてるっていうのが多かったので、
そんなこともあって、いつも人に、結構biceのこと思い出したりする時に、
ほんとに信じられないというか亡くなった気がしない、
うんいつもなんか…突然そういう連絡が来て『なんやねん』って言うてる
そのまんまな気がするなぁ。

…っていうのが、僕の印象で。

だからこそこういう番組に呼んでもらえて、
あの、より一層その彼女の不在っていうのを、
今感じてるというような…想いがあります。


http://www.youtube.com/watch?v=XhBlFMseggE



◆小西康陽さん
『これからの人生。』

今夜も最後までお聴きくださいまして、ありがとうございました。
コメントをくださったゲストのみなさん、どうもありがとうございました。

なお、番組の中で使用したbiceさんの声は
2008年9月9日、FM NORTH WAVEで放送された
『MUSIC DEN』の音源を使わせて頂きました。
https://vimeo.com/26829353

番組を編集しながら、
僕は改めてbiceさんの音楽の素晴らしさに驚いてしまいましたが、
みなさんはいかがでしたでしょうか。

もちろん、初めて聴いたという人も多いかもしれません。
ひとりでも多くの人に、彼女ののこした音楽が届いてほしい。
そう思っています。




『小西康陽 これからの人生。』

番組ホームページへのメッセージもお待ちしています。
http://www.nhk.or.jp/konishi/request.html
番組のホームページには、オンエアした曲のリスト、
小西さんのコラムもありますので、ぜひご覧ください。
http://www.nhk.or.jp/konishi/onair.html
http://www.nhk.or.jp/konishi/column.html

次回の放送は8月29日 水曜夜11時からお届けします。
ではまた来月。小西康陽でした。



-------play list-------

M1. K-garden  (Album『Nectar』)
M2. An apple a day (Album『Nectar』)
M3. The Girl In The Letters (Album『let love be your destiny』)
M4. コスモス (Album『Nectar』)

M5. Happy Xmas (Love is all over)  (Album『Charmless?』)
M6. Color of Orange  (Album『Charmless?』)

M7. Walking in the rain (Album『let love be your destiny』)
M8. Time After Time  (Single『スニーカー』)
M9. How deep is your love  (EP『Spotty Syrup』)

M10. ごはんはおかず (けいおん!)
   ~like someone in love -ドキッ・ドキドキversion- (きみはペットOST)

M11. Deep (Album『Nectar』)
M12. Talk Talk        
  ~Blossom Diary  (Album『let love be your destiny』)
M13. レッドバルーン (Album『かなえられない恋のために』)
M14. like someone in love -main theme- (きみはペットOST)

M15. 悲しいくらいほんとの話 (V.A.「pure voice ~J-COVER~ 」)
M16. ナイト・ソング (Single『ツイオク』)
M17. 嵐が丘  (Album『Nectar』)

M18. lily on the hill (Album『かなえられない恋のために』)


番組で使用された曲のメドレー (静止画)


番組では3曲しかかからなかった名曲メドレー (動画)