ぶっこくど煩悩や苦しみを解脱した世界
お久しぶりです!ルビーです。今回はようやく、最後の世界です。前回の地獄のお話はいかがでしたか?罪人が行く地獄、こんな世界には行きたくないですね。今からでも心を改め、残りの人生を生きていきたいものです。今回お話する世界は、極楽浄土のお話をしたいと思います。浄土はひとつではないひとくちに浄土というが、仏様の数だけ浄土はあります。1番有名なのが「西方極楽浄土」といわれる阿弥陀仏の浄土で、文字通りはるかにしの彼方にあるといわれています。「東方妙喜国」は日本ではあまりなじみがないですが、阿閦仏の浄土とされています。これと混同される、薬師如来の「東方浄瑠璃国」という浄土もあるといいます。「法華経」の基づいて霊山浄土も出現しました。ほかにも観音菩薩が住むという「補陀落山」もあります。観音信仰が盛んになるにしたがって、インドや中国ではこの名がついた観音霊場ができたほどです。あの聖徳太子が信仰した天寿国もまた、浄土を意味して言えるといいます。このように昔から人々は死後、浄土へ行くことを強く願っていたことがうかがえるのです。仏が自らの力でつくりあげた世界極楽浄土は天界と混同されやすいですが、天界はあくまでも六道輪廻の世界であるのに対し、極楽浄土は輪廻しない世界のことです。この世界には、苦しみを生みだす煩悩から、完全に解脱できた人だけが入れるのだから苦しみはまったくないのです。そのために、「楽しみを極めた、浄らかな世界」つまりは極楽浄土と呼ばれるのです。この極楽浄土は、仏典によると「西方十万憶仏国土をすぎたところ」にあるといいます。仏国土とは、仏が自らの理想とする世界を、自分自身でつくりあげた浄らかな土地(浄土)のことです。従って浄土はひとつではなくて、仏の数だけあるということになりますその数多い仏国土の一つで、阿弥陀仏が建立したのが極楽浄土なのです。そのほか、薬師如来の建立した、「東方浄瑠璃国」毘廬遮那仏の「蓮華世界」などの有名な仏国土があります。日本では浄土といえば、すなわちこの阿弥陀仏による極楽浄土を指しています。無数にある仏国土全体、つまり輪廻しない世界がどこにあるのかはわかりませんが、私たちの空間や時間の概念だけは推しはかれないですが、いわば、はるか異次元世界と考えればいいと思います。では、その極楽浄土は、どのようなところなのでしょう。「阿弥陀経」によると、そこは樹木や川、池、そして宮殿等すべてが金、銀をはじめ様々な宝石で作られた夢のうような世界になっていて、住人もあらゆる装身具で飾り立て、光輝いています。池には車輪のように大きくな青、黄、赤、白とそれぞれの光を放つ蓮の花が咲き、清らかな芳香を漂わせているそうです。又、常に素晴らしい音楽が流れていると言われています。まさに楽しみを極めたこの世界の中で、一切の不安や苦しみをもつことなく、住人は仏の声に耳を傾けて、一心に修行に励んでいるといいます。極楽浄土は言ってみれば、仏道修行の場であり、雑事で修行道を妨げないように、仏によって最高の環境を用意された世界ということです。法身仏、報身仏、応身仏とはどんな仏?①法身仏・・・これはいわば、真理そのものと言えます。 大乗仏教でいえば宇宙仏だそうです。 姿、形は持ちませんが、永遠不滅の仏として久遠の過去から未来永劫にわたり存在しま す。 毘廬遮那仏や大日如来がこの法身仏だそうです。②報身仏・・・修行の報いとして、永遠に仏でありつづける仏のことです。 阿弥陀如来と薬師如来が有名です。 阿弥陀如来は、すべての人々が救われないかぎり、自分も仏にならないという決意を込め て、仏となる前に48の誓願をたてたのです。 阿弥陀如来が仏として存在して、西方極楽浄土を築いたということは、48の誓願が成就さ れ、すべての人々が救われることを意味しています。 薬師如来も同じく12の誓願をたてました。6番目と7番目の誓願が、特に病気の人々を救 うことを目的としていることから、東方浄瑠璃国には病を患うものは一人もいないということ です。③応身仏・・・釈迦がこの仏です。 私たち人間にとって、最も身近で、最もありがたい仏です。 法身仏の教えは直接聞くことが出しません。 また報身仏はこの地上にはないため、これも教えを聞くことができません。 しかし応身仏の釈迦は、わざわざ人間の姿になって、言葉を用いて教えを説いてくれまし た。 宇宙に存在する仏たちは三タイプ仏教とは「仏の教え」という意味と「仏になるための教え」という意味があります。「仏陀」とは真理に目覚めた人、という意味なのです。釈迦は真理に目覚め、仏陀と呼ばれました。つまり、私たちもまた、真理に目覚めれば誰も皆、仏陀になることができるのです。大乗仏教では、釈迦は宇宙仏の教えを人間に説くために遺和されたと説明をしました。従って、釈迦の前にも仏は存在し(過去仏)、未来にも仏となる存在(未来仏)があると考えます。宇宙には数限りない仏が存在し、仏は釈迦だけではないのです。