チェルノブイリ視察で実感した里山汚染の深刻さ~再開できぬ原木シイタケ農家の怒りと哀しみ | 民の声新聞

チェルノブイリ視察で実感した里山汚染の深刻さ~再開できぬ原木シイタケ農家の怒りと哀しみ

原木シイタケの露地栽培農家も、福島第一原発の爆発事故で甚大な損害を被った。汚された里山、叶わぬ生産再開…。「福島県原木椎茸被害者の会」メンバーで、仲間とともにチェルノブイリ視察を行った宗像幹一郎さん(63)=田村市=が胸の内を明かした。安全・安心ばかりが喧伝されるなか、「再開の目途が立たない原木シイタケ農家のことを忘れないで欲しい」と訴える。



【風評被害以前の問題だ】

 「風評被害以前の問題なんですよ。栽培が再開できていないんですから。再開の目途すら立っていないのですから…」

 宗像さんの視線の先には、2011年5月4日に撮影された写真があった。キャプションは「〝山アワビ〟と称された厚肉シイタケ4トンの廃棄場所」。

 山の斜面に木を組んで植菌。商品として出荷できるまでに、早くても2年を要する。夏の暑さも冬の寒さも乗り越えたシイタケは「アンパンくらいの大きさになる」(宗像さん)。それが福島第一原発の爆発事故から1カ月後には出荷停止処分が下り、全量を里山の一角に埋めた。36年間、田村市でシイタケの露地栽培にこだわり続けてきた宗像さんの哀しみはいかばかりだったか。

 「今はハウス栽培も多くなってきて、震災の時点で福島県内の原木シイタケの栽培者は500人くらいだったかな。でもね、味が全然違う。やっぱり自然の中で育つのと人工的に刺激を与えるのとはね。だから露地栽培にはこだわりがあるんだ。僕のシイタケは2000円/kgと決して安くは無いけれど、その分、味の付加価値をつけて届けていたんだよ」

 かつて、日本でも有数の原木産地だった福島県。宗像さんも全国にファンができた。原発事故後、「汚染されていても良いから売って欲しい」という声さえ届いた。販売したくてもできない苦しい胸の内を、写真とともに「シイタケ君の独り言」という便りを添えて届けた。
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原発事故で、シイタケも原木も全てを失った宗像さん。

「もう一度おいしいシイタケを届けたいが再開できる環

境ではないことを分かって欲しい」と話す

=郡山市桑野の「和cafe ろっきい茶庵」


【「除染?そんなもの無理ですよ」】

 福島第一原発の建設が始まると、地元の人々が次々と建設作業員として働いた。これまでの仕事に比べてはるかに日当が良い。「その意味では、いろんな面で原発の〝恩恵〟を受けた」と宗像さんは振り返る。その後、都路村(現在の田村市都路地区)を含む30km圏内が交付金対象となった。宗像さんの暮らす船引町は40km。「原発に対する認識は甘かったね。そもそもきちんと管理されているものと思っていたし、仮に事故があっても40kmにまでは影響が無いだろうと考えていた。まさかこんなことになるとは想像もつかなかった…」。

 管理する里山の汚染は、2~4万ベクレル/㎡に達する。シイタケだけでなく、保有していた6万本ほどの原木もすべて廃棄処分。里山の一角に、除染で生じた汚染土のように仮置きされている。事故後、会津地方から1万本の原木を購入したが、これらも同様に汚染されていた。汚染の影響で原木不足となり、単価が1本140円から400円に高騰した。現在も栽培は続けているが、あくまで東電への賠償請求のため。その賠償金も、合意に至ったのは2011年度分のみ。本来なら一律で賠償されるはずが、他県の生産者への賠償金との間に開きがあり、それが被害者の会結成に至らせた。

 仲間8人とチェルノブイリ視察を行ったのは昨年9月。スポンサーもなく全て自費。知人のフォトジャーナリストを通じて調整し、ウクライナやベラルーシなどを巡った。里山が危険な状態にあるという話は出てくるが、詳しい情報が得られない。今後、福島で原木シイタケ栽培が可能なのか、農家たちはどうすれば良いのか分からない。「それならば実際にチェルノブイリに行って自分たちの目で確かめて来ようということになったんです。ほんの思いつきだったんだけど、本当に行っちゃった」(宗像さん)。
 視察の最大の目的地「ベラルーシ森林研究所」では、所長以下の歓待を受けた。日本からは学者は一人も来ず、取材が来た程度だったからだ。ラフな服装の福島の農家が大会議室に通され、次々と説明を受けた。中でも印象に残っているのは森林除染に関する言及だという。

 「除染?そんなもの無理ですよ」

 現地では森林除染はせず、逆に植林をして汚染を封じ込める方策をとっていた。山火事が起きて汚染が拡散するのを防ぐために定期的にヘリコプターで薬剤を撒く。現在は森林火災による汚染の再拡散防止が課題となっていた。
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宗像さんらがまとめた「チェルノブイリ視察報告書」。

現地では森林除染はせず封じ込める方策をとって

いたという


【もう一度、美味しいシイタケを届けたい】

 原発事故から30年近くが経ち、いまだに汚染拡散防止に取り組むベラルーシ。その現実を目の当たりにし、宗像さんは「阿武隈の里山を以前のように利用するには、画期的な処理方法が開発されない限り、まだまだ長い年月がかかるだろう」と語る。

 「もう一度美味しいシイタケを届けたいんだ」。再開したい、でもできない…。消えぬジレンマ。「僕らは頑張っている農家の足を引っ張るつもりはないし、流通している農産物は100%安全だと胸を張れる。福島のものは食べて欲しい。でも、現実も知って欲しい。30年先まで再開のめどが立たない農家のことも」

 掛け声ばかりの空虚な「安全安心」は要らない、と話す宗像さん。報告書には、ベラルーシ森林研究所主任研究員の興味深い述懐が記されている。

 「南ベラルーシからすべての人々を避難させると国民の間に恐怖心が拡がり、国のイメージが損なわれてしまいます。そのために、避難対策は政治的にならざるを得ませんでした。当時、ソ連という国の体裁を守るために情報は隠され、避難対策に問題を残しました」

 これはあの時の日本と同じではないか。


(了)

※写真展は4月30日まで、郡山市桑野2丁目の「和cafe ろっきぃ茶庵」で。営業時間は11時から17時。木・日曜日が定休日。問い合わせは同店☎024-932-2569まで。