【母子避難】母の涙「今まで決断できなくてごめんね」~中2の娘と田村市から兵庫県へ | 民の声新聞

【母子避難】母の涙「今まで決断できなくてごめんね」~中2の娘と田村市から兵庫県へ

母は目に涙を浮かべて言った。「今まで踏ん切りがつかず、娘には本当に申し訳ない」─。田村市の母娘が間もなく、被曝回避のため兵庫県へ母子避難する。原発事故から2年5カ月を経ての避難。その背景には、親の看病などやむを得ない事情があった。娘は言う。「福島は人が住んではいけない所。将来は、放射能の危険性を伝える仕事をしたい」。新天地での被曝の危険性のない新しい生活が、いよいよ始まる。


【微量検出でもショックだった尿検査】

 原発事故から半年後の2011年秋。当時、小学校6年生だった娘の尿検査の結果がフランスの検査機関から届いた。放射性セシウム134、137が合算で「0.8ベクレル」。ショックだった。数値上は微量。しかし、母親には娘の被曝回避のために全力で取り組んでいるという自負があった。小学校までは徒歩でわずか10分の距離ながら、無用な被曝をさせまいと毎日、車で送迎した。外遊びは禁じ、外出する際はマスクに長袖。帽子もかぶらせた。校庭での体育の授業は休ませ、食事にも徹底的にこだわった。それなのに…。「そこまで取り組んでいるのにセシウムが検出されて本当にショックでした。東大で受けたホールボディカウンターでの検査は下限値(1ベクレル)以下だったんですが…」と振り返る。
 その年の夏休みには、娘を京都へ単身、保養に送り出した。真宗大谷派の寺院での10日間の保養プログラム。冬休みには母娘で保養に参加した。その時の出会いが、今回の母子避難につながっていく。

 昨年、娘が中学校に進学するのを機に田村市の実家へ移った。田村市は比較的、放射線量が低いが、それでも実家周辺は今でも0.3μSVを超す。しかし、住環境を総合的に考えれば、郡山市内で生活し続けるよりは被曝の危険性は低いと判断した。「私が一番守らなければいけないのは娘です。原発事故はまだ収束していません。そんな中で郡山に住み続けると、被曝のリスクが重なりますからね」

民の声新聞-21世紀記念公園

郡山市の「21世紀記念公園」。手元の線量計は

0.56μSV。除染作業は終わったが、依然として

高い数値だ=郡山市麓山



【小佐古参与の辞任会見で〝目覚める〟】

 母親は田村市出身の40歳。結婚を機に、郡山市内で暮らすようになった。原発事故当初は、その重大さに気づいていなかったという。

 「山下俊一氏の言葉を鵜呑みにしていました。事故の翌月、娘の通う小学校に文科省の役人が来て、年間被曝線量を20mSVに引き上げるための説明会を開いた時も、意味が良く分からなかった。あるお父さんが年1mSVを順守するべきだと声高に主張していたけれど、ずいぶん熱い人だなと、冷めた目で見ていたくらいです」

 転機になったのは、テレビで見た記者会見。小佐古敏荘内閣官房参与(東大大学院教授)が、辞任と引き換えるように涙を流しながら年20mSVの撤回を訴えていた。そこから被曝の勉強を始めた。わが子を被曝から守ろうと集まった母親グループにも参加して、娘の周囲に被曝の危険が多く存在することを知った。湧き起ってきたのは、原発事故直後、娘の防護に取り組んでこなかった自分への反省だった。食材も水も、福島県外の、それもなるべく遠い産地のものを買うようにした。

 震災の年の秋。娘の通う小学校が校庭で運動会を実施しようとしていることを知ると、「こんな放射線量の高い校庭で実施するなら娘を参加させられない」と校長に直談判した。結局、学校側は保護者へのアンケートを実施。市内の体育館で運動会を行った。「校長先生がきちんと対応してくれたおかげで、娘は最後の運動会に参加できた」。しかし、室内での運動会はこの時だけ。昨年からは再び、校庭での運動会に戻った。「まだまだ放射線量が低くないのに、校庭でお弁当まで食べて…」と表情を曇らせる。
民の声新聞-芳山公園
いまだに0.3μSV超の芳山公園。郡山市内は、

子どもたちを取り巻く被曝のリスクが高い


【「放射能の危険性を伝える仕事したい」】

 「もっと早く福島県外に行くべきだったということは、よく分かっています。そういう声は当然あるでしょう。ここまで決断できず、娘には本当に申し訳ないと思っています」
 これまで何度も避難を考えた。でも、できなかった。震災後、父親が三度の手術を受けるなど入退院を繰り返した。夫の緊急事態にうろたえる母親の姿を目の当たりにし、一人娘としては両親を残しての県外避難を決断できなかった。取材中、何度も娘へ詫びる言葉を口にした。その目は真っ赤だった。
 9月で14歳になる娘は「福島と兵庫では言葉も文化も違うから少し不安かな」と話すが「ママが活動をしている姿を見て、いろんな人の話を聴いて、放射能が危険だと知った。福島は住んではいけない所だと思う」と避難を前向きにとらえている。

 保養先では、デモ行進にも参加。クラスの男子に「脱原発派だよね」と尋ねられると「うん」とはっきり答える。その男の子は「僕のお父さんは原発で働いている。原発のおかげで得た給料で僕ら家族の生活が成り立っているんだから、僕は原発に賛成だ」と言ったという。
 「ももクロ」が好きで、将来の夢はアイドル。だが「放射能の危険性を多くの人に伝えられるような仕事もしたい。アイドルはそういう発言が許されないから」とも。もちろん、母親を恨む気持ちなど、無い。

 いよいよ始まる新天地での生活。福島県外への単身赴任が多い夫も、快諾してくれた。だが、さっそく課題が浮上した。福島県内は18歳未満の医療費が無料。住民票を移してしまうと将来、娘に健康被害が生じても自費負担になってしまうため、住民票は福島に残して行く。その場合、兵庫県内の公立高校の受験資格を得られないのだという。娘は来年、3年生。高校受験は目前だ。

 「引っ越しがひと段落したら、兵庫県に制度改正を申し入れる予定です。私たちは原発事故がなければ避難する必要がなかったんですから」

 母親の言葉を、娘は頼もしそうに聞いていた。

(了)