【浪江町ルポ(上)】除染は本当にできるのか~再編しても変わらぬ高線量 | 民の声新聞

【浪江町ルポ(上)】除染は本当にできるのか~再編しても変わらぬ高線量

半年ぶりの浪江町は、何も変わっていなかった─。今月から放射線量に応じて3区域に再編された浪江町。しかし、町の山側は高濃度汚染が続き、とても除染など効果を発揮するとは思えないのが実情。比較的線量が低いとされる浪江駅周辺も軒並み1.0μSVを上回り、とても安心して立ち入れる状態ではない。町民の一時帰宅に同行し、原発事故から2年以上が経過した浪江町を取材した


【高線量続く津島地区、100μSV超も】

4月1日から町が3区域(①避難指示準備区域②居住制限区域③帰還困難区域)に再編されたことで、皮肉にも国道114号の通過が可能になった。取材に協力してくれた男性は、避難先の伊達市内から旧月舘町を経て、川俣町へ向かった。114号を走るのは、震災で町を脱出して以来のことだ。

2年以上も通過が認められなかった走り慣れた道。しかし、いまだ高線量であることも分かっている。再編が生んだ矛盾。計画的避難区域に指定され住民が避難を強いられている川俣町山木屋地区では、高さ1㍍で2.5μSV超、地面真上では10μSVを超した。

検問所で町発行の通行証を提示し、津島地区に入る。通行証はこれまで、一時帰宅の度に発行されていたが、再編後は3カ月間有効の通行証になった。2年超ぶりの津島地区。だが男性は、感慨に浸る間もなくマスクを着用した。車内にいても線量計の数値が上がっていく。県立浪江高校津島分校の入り口付近で車を止めて降りると、高さ1㍍で5.0μSVを超した。

原発事故直後、逃げる町民の車で大渋滞となった国道114号。男性も川添地区の自宅を出て、母親と共に津島地区の農機具店に身を寄せた。避難町民であふれる店内。原発から少しでも遠くへと、町も津島地区への避難を呼びかけていた。1時間ほどが経ったろうか。国道は相変わらず車で埋まり、反対側の駐車場も混乱をきたしていた。情報は届かず、時だけが過ぎて行く。「ここにいても駄目だ」。男性は再び車に乗り、国道114号に合流した。二本松市内の親戚宅を目指した。あのまま津島地区にとどまっていたらどれだけ被曝していただろう。津島地区の高濃度汚染が表面化したのは、ずっと後になってからのことだ。この日も、県酪農業協同組合津島事業所では、雨どい直下で100μSVを超した。

「あの時、津島地区で被曝した人たちは大丈夫なのかな…」。心配と、自分だけ逃げたという罪悪感と複雑な感情が交錯する。

赤宇木地区を過ぎ、小倉沢バス停付近では、林道入り口で12μSVを超した。もはや、測定すら虚しくなるほどの高線量。静かな森に、ウグイスの鳴き声がこだました。
民の声新聞-津島分校
民の声新聞-27μSV超
民の声新聞-100μSV
(上)高線量の国道114号。県立浪江高校津島分

校の入り口では5.0μSV超。

(中)国道沿いの地面は、地表真上で27μSVを

超した

(下)県酪農業協同組合津島事業所では、雨どい

直下で100μSVを超す高濃度汚染を計測した

=浪江町赤宇木字塩浸


【依然として20μSV超の昼曽根発電所】
国道114号をさらに南下する。昼曽根地区。前回、津島地区への出入りを制限するために設けられていたバリケードは解除されていた。請戸川のせせらぎを利用した東北電力の昼曽根発電所周辺は、依然として20μSVを超す高線量。地表真上では50μSVを上回る個所もあった。請戸川の汚染はどれほどか、想像もつかない。この水が、町の東側まで流れていることを忘れてはならない。

徐々に男性の自宅が近づく。半年前は3.11のまま時間が止まっていたコンビニは、きれいに片づけられていた。男性が自宅前で車を止める。降りると、線量計は4.0μSVを超した。男性の表情が曇る。頭では分かっていても、数字を見ると哀しみが募る。男性は自宅に入る前に、大切にしていた庭の草木を丹念に見てまわった。ため息をつき、そしてまた眺める。その繰り返し。住めないわが家を目の当たりにした悲しみはいかほどだろうか。
民の声新聞-バリケード①
民の声新聞-バリケード②
民の声新聞-バリケード③
(上)地上1㍍で7.0μSVを超す東北電力昼曽根

発電所前のバリケードは解除。その手前、津島

地区で通行証の有無を確認される

(中)(下)町内の数カ所に、新たな検問所が設置

された。ただし、通行証を確認しているのは警察

官ではなく民間の警備員


【先の見えない避難生活、募る不安】

男性の目は真っ赤だった。

「お先真っ暗だよ。放射能と同じで。全く先が見えないんだから」

原発事故で避難を強いられて以来、自らも建築作業に加わった自宅での安眠は叶っていない。前回の取材から半年が経過したが、状況は何も変わらない。「原発事故のこと、避難生活の不安は片時も頭から離れないよ。こういう気持ちは、実際に味わった者でないと分からないだろうね。どれだけ言葉を尽くしてもね」。酒もタバコもやらないのに、血圧は140を超すこともある。「両親とも高血圧だから遺伝かな?」と笑ってみせるが、先の見えない避難生活が与えるストレスは、想像に難くない。

川添地区の自宅には月1回ほどのペースで訪れているが、その度に室内は荒れている。この日も、ネズミの糞やかじった跡が至る所で見られた。「片付けてもしかたないよね。もう住めないことは分かっているんだ」。先日、東電から不動産賠償手続きの書類が届いたが、記入は進んでいない。「誰が被害を査定するのか。東電側の人間がやれば、低く査定するに決まっている。信用できないからね。で結局、長引けば長引くほど東電が有利に事は運ぶ。亡くなってしまう人もいるだろうし、妥協する人も出てくる。悔しいな」。現在、東電からは精神的苦痛への賠償名目で、月に10万円が振り込まれている。母子2人で年間240万円。避難によって通信費やガソリン代などがかさみ、生活費もあがった。〝原発成金〟などと揶揄する声もあるが、程遠い生活だ。
「今後、除染が行われて放射線量が下がったとしたら、再びこの家で生活しますか?」

私は自宅の前で最後に尋ねた。

男性の表情が歪んでいく。

何秒かが過ぎ、男性は言葉を振り絞るように話した。

「難しいところだなぁ。高濃度に汚染されて本当に除染が出来るのかどうか疑問。よほど除染の技術が済んでいるのかね。それに、これだけ荒れ果ててしまって、住み直すとしたら修繕費用も莫大なものになるだろう。答えは出ないな…。もちろん、ここで生活したいよ。自分で建てた家だもの。でもね、100%無理なんじゃないかな」

庭ではツバキが美しい花を咲かせていた。スイセンやボケなどの草花を愛おしそうに眺める男性。「これ何だか分かる?」と指さしたのはウドだった。ミョウガもニラも庭で作り味わってきた。

「ボケは実のなる品種でね、美味しいらしいんだけど結局、放射能汚染で食べることができなくなってしまった…」

男性は来年、還暦を迎える。
民の声新聞-立て看板①
民の声新聞-立て看板②
「放射能は高レベル、補償は低レベル」。幾世橋

地区の立て看板には、いまも住民の怒りが渦巻い

ている。安倍首相は、この看板こそ目に焼き付け

るべきだ


(了)