【ふくしま集団疎開裁判】裁判官はすがる思いで訴訟起こした母親の想いを聴け~申し立ては却下の公算
【被曝の実態と向き合わない仙台高裁】
弁護団によると、この日の審尋も約20分で終了。高裁側は次回期日を設けず、結審。郡山市側の反論は今回も無し。弁護団が新しい証拠の提出をしたいと求めると、「3週間以内に提出するように」と期限を設定したという。年度をまたぐと高裁での担当裁判官の顔ぶれが異動で変わってしまう可能性があることから、弁護団は3月末にも高裁が決定を下すとみている。これまでの審尋の流れからは、福島地裁郡山支部同様、却下される公算が高い。その場合、最高裁に舞台を移すか否かは決まっていないという。
仙台市内で開かれた記者会見で、井戸謙一弁護士は「一回も反論をしてこない郡山市は、反論などしなくても司法が救ってくれると確信しているのだろう。そう思われている裁判所も情けない限り。決して楽観はできないが、希望はゼロではない」と話し、光前幸一弁護士も「裁判官は悩んでいる様子はない」と、福島の子どもたちの被曝と正面から向き合っていない仙台高裁の様子を口にした。柳原敏夫弁護士は「裁判所の態度に落胆することに慣れてしまった」と苦笑。「不承不承ながらも、高裁が妥協や譲歩をする決定を下す可能性は大いにある。一部救済でも勝ち取りたい」と望みを語った。
弁護団としては、残された3週間で新たな意見書を提出する予定。南相馬市のグループ「安心安全プロジェクト」が郡山市内の子どもたちの毛髪や衣服の放射線量を測定した結果、非常に高い放射線量を計測したことなどを書面で提出する。また、昨年秋に郡山市民を対象に実施された福島県の甲状腺検査の結果が、間もなく公表される。柳原弁護士は「私がつかんでいる情報では、ほとんどの子どもがA2判定(5ミリ以下の結節や20ミリ以下ののう胞が見つかる)と聞いている。裁判官は子どもたちの置かれた状況が分かるだろう」と話す。
しかし、これまで弁護団が提出してきた膨大な意見書から、福島の子どもたちを取り巻く環境がいかに危険かは十分に推測できる。どれだけ緻密な意見書を提出しても被曝の実態と向き合おうとしない仙台高裁の裁判官。彼らが決定の中で被曝の危険性が存在すると明記するとは到底、思えない。
弁護団からは「仮に却下されたとしても、司法が一定
の危険性に言及してくれれば画期的なこと」との声も
=仙台市青葉区の教会
(下)原告の母親が弁護士に託した手記。「皆で郡山
から避難し、皆で郡山に帰って来れるでしょう。だから
こその集団疎開なんですよ」と訴訟に踏み切った想い
を綴っている(集団疎開裁判HPより)
【すがる思いで「集団疎開裁判」に踏み切った母親】
昨年11月、原告の母親の一人が弁護団に託した手記がある。長男が受験を控えていたことや子どもたちが転校を嫌がったことなどから自主避難できなかった苦悩を綴っている。
「決断できない自分の弱さも、説得しきれない夫や親族の反対も、集団疎開なら全て解決してくれると思ったのです」
「郡山市内の小中学校を総移動させるなんて非現実的であると思いながらも、自分では解決できないから集団疎開にすがりついたのです」
柳原弁護士は「却下されるのではないかという覚悟はあると思うが、もはや自分の子どもだけでなく福島の子どもたちが置かれた状況に『こんなおかしなことが許されて良いのか』という思いが強くなっているのではないか。私たちは正しい情報と正しい正義をつかんでいると信じている。まだまだ〝脱被曝〟の声が高まっていないので、市民の皆さんに声を上げてもらって、母親たちを後押ししてほしい」と話す。
「確かに原告の親たちは疲れてきてはいるが、決して後ろ向きにはなっていない」と話すのは井戸弁護士。「私憤から公憤へ怒りの質が変わってきているのではないか。福島に残った人たちからは『行政は安全だと言うばかり。危険だとひと言言ってくれたら良いのに』という言葉を耳にする。申し立てが却下されたとしても、一定の被曝の危険性に言及してくれたら画期的なのではないか」。
弁護団の一人は「国も地方公共団体も安全だと言っている中で、裁判官が避難に前向きな決定を下すのは難しいのが現実。日本の司法制度の中では、裁判官の独立が実現していない」と指摘する。「訴訟はあくまでも手段の一つ。裁判という旗が立っていることで、能力のある人や情報が集まる。原告の親の中には、今回却下されたら別の形で訴訟を起こしたいと話している人もいるんですよ」と裁判の意義を説いた。
母親の手記は、こう締めくくられている。
「どうか子どもたちのために、思いやりのご判断をお願いします。遅すぎたなどということがないよう、一刻も早く結論が出るよう祈っています」
2011年6月から始まった母親たちの闘いは、原発事故から丸2年の今年3月、一つの区切りを迎える。今日も、子どもたちは被曝を強いられている。
(上)地元宮城県の和太鼓集団「3D-FACTORY」
の有志たちが、和太鼓の演奏で裁判を支援
=勾当台公園
(下)一番町や青葉通りなどを歩いたデモ行進。福
島の被曝、裁判の存在を知って欲しいと声をあげた
【わが子の被曝に苦悩する母親を描く画家】
審尋後に行われた交流会では、福島県伊達市霊山町に生まれ育った画家・渡辺智教さん(38)も「絵を通して、ありのままの福島の実態を伝えたい」とマイクを握った。
原発事故以来、高線量が続いている同町。小国小学校には毎日、子どもたちが通う。通学路の放射線量は軽く、1μSVを超す。地元産の食べ物を通した内部被曝への不安など、母親の苦悩を見続けてきた。
「福島の実態が全国に伝わっていません。『わが子を守りたい』と大きな声で言えない母親たちの想いは〝見えざる福島〟です。私の絵を通して、福島の声を知って欲しい」
昨年は全国を回り、福島の現実を話した。4月にはスペインに渡り、チェルノブイリ原発事故の追悼行事に参加し、「福島の証言者」として6都市9会場で講演をした。しかし、まだまだ福島の実態が全国に伝わっていないという。
「福島の声が届けば動いてくださる方は全国に多くいます。私の絵を拡散していただいて、福島の子どもを対象にした保養プログラムなどの動きがさらに広がるとうれしいです」。作品「梅雨~夏の時期に」では、マスクをした母親が、やはりマスクをした息子の頬に両手をあてている姿を、「がんばろう福島・復興の陰で」では、復興の名の下に被曝を強いられている子どもたちの様子を描いている。「除染の実態」は、除染特需にほくそ笑む大手ゼネコンへの批判を表した。いずれもオブラートに包むような描き方でなくストレートに現実を表現している。
デモ行進に先立って勾当台公園で開かれた集会では、即興で筆を走らせる「ライブペインティング」でわが子を胸に抱く母親の姿を描いた。やや前傾姿勢で、両腕でしっかりと愛おしそうにギュッと抱きしめる姿は、わが子を被曝から守りたい、安全な環境で学ばせたいと立ち上がった郡山の母親たちと重なる。
2月からは、自らの被曝回避と情報発信を兼ねて兵庫県明石市の民間借り上げ住宅に移住する。福島から関西に避難した家族とも交流しながら、大手メディアだけでは伝わらない福島の実態を描き続ける。
「子どもを守りたいと大きな声で言えない母親の苦悩
を知って欲しい」と描き続ける渡辺智教さん。デモ行
進前の集会では、即興でわが子を胸に抱く母親の姿
を描いた。今月末に伊達市から兵庫県に移住する
(了)