●鍋割山・櫟(くぬぎ)山 晴れ
神奈川県松田町 2011年3月6日(日)
鍋割山(1272m)・櫟(くぬぎ)山(810m)
<参考コースタイム)
新松田駅→(バス25分)→寄バス停→(30分)展望台→(20分)道路出合い→(40分)櫟山山頂→(20分)栗ノ木洞→(15分)後沢乗越→(1時間)鍋割山頂→(30分)二股分岐→(30分)金冷シ→(15分)花立→(45分)駒止小屋→(35分)大倉バス停
参考歩行時間:5時間40分
参考歩数:30,000歩
日帰り温泉:「弘法の湯 」鶴巻温泉
これまでに丹沢山系の主峰はいくつか登っているが、なぜか山頂からの展望に恵まれたことがない。相模湾による海洋性気候の影響を受けて、丹沢山系が多雨、霧が多く発生するのが原因のようだ。
登るなら、ギリギリの季節だが、冬型の気候のいまのうち。・・・というわけで、3月3日に鍋割山に雪が降ったので、このまま気温が上がらず、山頂付近で、樹氷が見られないものか、という淡い期待も・・。
今回の登山口は、ポピュラーな大倉からの登山道を避け、新松田駅からバスで「寄(よどろぎ)」に行き、櫟山、栗ノ木洞を越えて、後沢乗越(のっこし)から鍋割山を目指すことにした。
このルートを登りに利用する登山者は少ないようだが、麓の土佐原集落は茶畑に囲まれた里山の景色、櫟山は眼下に相模湾の景観が楽しめるとか。
寄(よどろぎ)行きのバスには、5組10人ほどの登山者が乗り込み、皆、終点の寄バス停で下車したが、ほとんどが「ジダンゴ山」(758m)を目指すらしい。
鍋割山に向かうのは、われら二人(今回Kさんは欠席)だけ。それもあって鍋割山への道筋がよく分らない。(いつもは無精をして、先頭のあとをついてゆく)
ルートは、いま来たバス道路を数分戻ると、左側の石垣に道標があり、あとは要所要所の標識を辿ればよい。
地蔵の祠を左折
民家を離れ、勾配のきつい舗装道路を辿り、茶畑を縫うようにして登ると、徐々に里山の景色が広がってきた。このあたりが土佐原の集落で、しだれ桜の名所だそうだから、このコースは4月上旬が適期のようだ。
白梅や蝋梅、数本だが河津桜も見ごろを迎えている。
バス停から20分ほど歩くと、しだれ桜のある見晴らしの良い場所に出た。
まだ蕾すら見えない裸木だが、桜の咲くころは格別の眺めだろう。
この高台から、後ろを振り向くと、なだらかな渋沢丘陵の稜線が見渡せる。
空気が透き通って、スガスガしい朝の景色。
金網の柵を2つばかりくぐると、今日初めて山の端に富士山が見えて来た。
頭上にポッカリ笠雲を被っているが、今日一日の天気は持ちそうだ。
*富士山に笠雲が被っていると翌日の天候が崩れるというが、やはり翌日は雪。
この辺りから傾斜がきつくなり、バス停から50分ほどで林道に出る。
途中古い石仏を見たから、この辺りの山道は、村人や修験者が行き来していた古道なのだろう。
バス停から、1時間半歩いて、櫟(くぬぎ)山山頂(標高は810m)に着いた。
広い山頂で、きょう初めての登山者に会う(老夫婦が二人)。車で来たそうだ。
南側の斜面が開けているので、枯れ枝のあいだから、相模湾の海が見渡せる。小田原の街、その向こうに湾曲した真鶴半島、足下にジダンゴ山の稜線が連なっている。丹沢山塊の端が、海からわずか20kmしか離れていないことを実感する眺めでもある。
鹿の糞が無数にあるから、麓に近いこの辺りに頻繁に出没するのだろう。
中央がジダンゴ山
櫟山から、再び20分ほどの登り坂が続き、栗ノ木洞山頂(908m)に着。”栗ノ木”と名前がついている以上、栗の木が林立していたようだ。
そういえば、寄バス停のそばに、消えかかった古い案内板があり、そこに沢山の栗園の文字が書きこまれていたから、むかしこの山中一体が栗林だったのだろう。
山頂は見晴らしが効かないので通過点。
少し登ると、雪を被った搭ヶ岳の山頂と山荘が見えてきた。
さらに10分ほど歩いくと、鋭く切れ込んだ山の左斜面に、真っ白な富士山が垣間見える。
このわずかに、肩肌を脱いだような富士山の眺めは、他では見られない貴重な姿。白く、何となく、なまめかしく見えるのは自分ひとりの妄想か。
徐々に、大倉からの登山ルートと合流する後沢乗越(のっこし)に近付いて来た。行く手を見上げると、鍋を逆さにして、真ん中を割ったような鍋割山も間近に見えて来る。
しかし、ここから後沢乗越までは急坂で、当然そのあとの登り返しがきつくなる。
鍋割山
後沢乗越沢の手前に、西側に鋭く切れ込んだ崖沿いに、やせた馬ノ背があり、そこを渡れば鍋割山への合流点。
鍋割山お馴染のボランティアのボッカ(歩荷)の人が、重そうな背負子を担いでいる。
むかしは、歩荷専門の”強力”の人を見かけたものだが、最近は珍しくなったようだ。
白馬岳の強力が、50貫目(約180kg)の風景指示盤を運んだ話は有名だが、むかし実際に見た強力も1升ビンを6本、米、ジャガイモを木の背負子に括りつけ、雪渓を登っていた。休むときは、背負子の下にある木の棒を支えにするほどだから40貫めは超えていたのだろう。
山頂への厳しい坂を1時間かけて登り詰め、12時、やっと鍋割山山頂に着。登り始めてからちょうど3時間30分。
鍋割山山頂から
さすがに山頂には大勢の登山者がいて、鍋割山荘
の鍋焼きうどんの売れ行きも良さそう。
富士山の頭上を覆う笠雲が、山頂に黒い影を落としているのが良くわかる。
右隣に、冠雪した北岳、農鳥などの南ア連峰、東側の太平洋に目を向けると、海につき出た江ノ島、反対側の真鶴半島の先に初島、ぼんやりとだが海に黒い影を落としたような大島までも、肉眼で見渡せる。
真鶴方面
江の島方面
今日は気温が上がり過ぎて、またもや山頂からの展望を心配していたが、どうやら目的を達成したが、半面、花粉のせいか、朝からくしゃみと鼻水が止まらないのは困りもの。
バーナーで味噌汁を温め、相棒持参の赤ワインで軽く一杯。
のんびり1時間過ごして1時に出発。
今日は、念のためにアイゼンを持参したが、どうやら必要はなさそうだ。
しかし残雪がところどころにあり、ぬかるんだ地面を突くと下は固く凍っている。
山頂からの下山コースは、搭ヶ岳下の金冷シまでブナ林の鍋割稜線を歩く。
この道を初夏に通った頃は、二人静の花やブナの青葉で覆われ、快適な稜線歩きだったが、冬枯れのこの季節に歩いてみると、結構なアップダウンがあるのを思い知らされる。
しかし、すっかり葉を落としているので、残雪の蛭ヶ岳や檜洞丸の美しい丹沢主稜が見渡せるのが良い。
新緑(6月)のころのブナの森とは様変わり。
6月の鍋割山稜
3月の鍋割山稜
山頂から上り下りを繰り返し1時間で金冷シの分岐に着。
ここから25分ほど踏ん張れば、搭ヶ岳(1491m)の山頂に立てるが、この登りがきついので、パス。
金冷シからは大倉尾根となり、イッキに大倉バス停までの長い下りになる。大倉尾根の標高差(搭ヶ岳と大倉バス停)は1200mもある。この尾根を誰が名付けたか”バカ尾根”と言う。由来はいろいろあるようだが、ようはジグザグの道を作らず、ひたすら搭ヶ岳まで一途に直登の道を拓いた”バカ正直さ”に因があるのは間違いない。
記録によると、このバカ尾根を博徒が賭場を開帳するために上り下りしていたという。
搭ヶ岳の山頂には、むかし、尊仏岩(お搭)という大岩があり、雨乞い祈願の対象とされてきた。
毎年5月15日に山頂で祭りが開かれ、それを当て込んでか関東一円から、博賭がこの山に集まって、山頂で賭場を開いていたという。
搭ヶ岳
金冷シから花立まで、イッキに視界が開けてくるので気持ちが良い。
花立とは、信者がここで花を供えていたことに由来するとか。
花立小屋では、名物のかき氷が有名だが、この季節、小屋は閉じている。
ここから見る富士山も圧巻だが、すでに霞んでその輪郭はおぼろ。
花立から富士山が霞んでいる
大倉尾根の下りは、ゴツゴツした石道で歩きにくいが、モタモタ歩くのも却って疲れると、速足でイッキに大倉まで。途中、駒止茶屋で一服したが、金冷シから大倉バス停までは約1時間半。
バス停に着く前に、野菜の無料販売所があるので覗いてみると、ロマネスクという見慣れない野菜がある。カリフラワーの一種で、突然変異で生まれた野菜とか。
大倉バス停には、15:45分着。スタートしてから、7時間15分。
このあとバスで渋沢駅に出て、小田急線の鶴巻温泉で途中下車して、「弘法の湯 」へ直行。
今日は一日気温が高く、ことのほか生ビールも旨い。
顔を洗っていると、鼻の頭が少しヒリヒリするが、その原因が、日焼けのせいか、花粉のせいかは分らない。
本日の総登山歩数は約30,000歩なり。