前日の夜あたりから痛み出してきた左足の裏が良くなっていればいいなあと思いながら眼を覚ましましたが、全然治ってない……。
やっぱり軽い捻挫のような感じになっていたようです。土曜日の練習がまずかったのだとは思いますが、走行中に足をひねったとかいうことはなく、疲労性のものだったのかもしれません。

このコンディションでフルマラソンに挑むのはあまりに無謀とそこで止すのが、プロのランナーなのでしょうが、未だに自分のことがよくわかっていないので、結局それを押して、家を出ました。

日曜日、第10回荒川市民マラソンに参加してきました。
先頃行われた東京マラソンに話題性をさらわれた感がありますが、それまでは首都圏で開催される市民マラソンでは最多のランナーが集まる大会として知られていました。今年も15000人がエントリーしたとのこと。また、途中の給水・給食の充実ぶりや、ランナーを応援してくれる地元の和太鼓部隊など、楽しみもいっぱいです。
この大会への参加は、昨年に続く二度目になります。板橋区の荒川の土手をスタートして、川沿いの遊歩道を21キロ下って帰ってくるというコースです。景色の変化に乏しいものの、平坦な道が続き、かつ、荒川にかかる無数の橋を絶えず前方に見ながら走ることになるので、精神的な区切りをつけやすいです。
本大会の真の敵こそは、この時期吹き荒れる風です。冬型の天気か、初春の空模様になるかで状況は変わってきますが、遮蔽物のない土手では風の影響をもろに受けます。昨年は行き→追い風、帰り→向かい風でしたが、その向かい風の強さときたら半端ではなく、赤羽付近の水門では体が横に吹っ飛ばされるほどの台風なみの暴風に見舞われました。すっかり意気阻喪で、タイムもこれまで最も遅い、4時間32分でした。復路はほとんど歩いていたように思えます。
その時の記事


hj     


会場へ急ぐランナーの皆様。
樋口版「日本沈没」のワンシーンを狙って撮りました。雲ひとつなく、風がなければ最高の日和でした。

先月の東京マラソン終了後、更にタイムの向上を図るべく、仕事が終わったら13~15kmを走って帰るとか、日曜日はハーフマラソン相当の距離を走るなど、この三週間、フルマラソンに対応するための練習を重ねてきました。
天気は冬晴れ。その成果を存分に発揮する……はずでしたが。

20kmジョグっても筋肉痛ひとつ残らなくなったのに加えて、仕事帰りのジョギングでは背負わざるを得ない10kg近い荷物からも解放され、最初の10kmは息も弾まぬくらいに楽々モードでした。風も追い風、非常に軽快なペース。
ところが、10数km経った頃から、左足の痛みが徐々に深刻になってくる。体重をかけると、イタタイタタとなってしまいます。それでも、だましだまし行けるだろうかと恐る恐る歩を進めていましたが、18km地点でこれはもうヤバイと思い、立ち止まって靴を脱ぎ、マッサージを試みました。これがいけなかったのか、履き直して走り出そうとすると激痛が!
とても走れる状態ではなく、歩くのもキツい状態になってしまいました。
あと24kmもあるのにどうしようと、これまで軽快に抜いてきた他のランナー様方に次々と越されながら、途方に暮れました。しばらく行くと救護所も見え、諦めて棄権しようかと本気で考えました。
しかし、そこで最後の見栄が顔を出す。この大会には職場の上司も参加しているのですが(昨年も対決しました。一時間以上の差をつけたように覚えています)、ここで棄権したなんて言ったら嘲笑われるに違いない。
足を引きずってでも、行けるところまで行ってみようと思い直しました。
左足は後からついてこいとばかりに右足に体重を掛け、腕の振りを非常に大きくして、身体全体を使って前に進むようなフォームに切り替えました。東京マラソンの中継で見た、デリマ選手の走り方をイメージしました。
往路21kmを1時間54分ほどで通過(それでも、去年より早いペースなのは練習のたまものでしょうか)。

復路は当然、向かい風に。昨年ほどではなかったように思えますが、それでもレース後半に至ったランナーの足を鈍らせるには十分な暴風です。
ところが、こと我が身に関しては、それほど負担には感じませんでした。癌の左足は、再開した直後こそはほとんど重心を移せませんでしたが、そのうちにアドレナリン効果か、我慢できないレベルではなくなってくれました。
不思議だったのですが、序盤の余裕を持たせたペースの維持や、更に足を気遣ってか、はたまた練習の成果か、これまで出場したフルマラソンの中でも、最も心身に負担を感じませんでした。
普段ならグダグダになっている30km突入後も、それほどペースを乱さなかったと思います。
これが怪我のせいだとしたら、皮肉な話ですが。

37~38kmまで来ると、さすがに疲労や左足の負担も顔を出し始め、苦しくなってきました(ちょうどこの辺り、上に記した大風ポイント水門が現れる)。
毎度のことですが、ここに至ると体力的な問題よりも、精神力や集中力が物を言うのだろうと思います。
あと5km、あと4kmと足をなだめながら、口では「focus,focus」と唱えながら。気分はさながら、「マトリックス」で高層ビルを飛び越えようと意気込むネオ、もしくは「ドラえもん」の「さとりヘルメット」の回で、「心をからっぽに…心をからっぽに…」と念じながらジャイアンに接近するのび太の如し(てんとう虫コミックス第39巻収録)です。
30km地点で配給される名物のおにぎりは今回もゲットできましたが、その数キロ先の第二の名物シャーベットは、余裕がなくスルー。終わった今では、少し後悔していますが。

沿道で応援に立つ皆々様の声援にも背中を押され、何とか完走できました。
タイムは、3時間45分台だったと思います。
東京マラソンから、8分も短縮することができました。ちなみに、昨年の大会比では、47分短縮という素晴らしい記録です。
号砲からスタートラインを踏むまでには7分かかっており、それをさっ引いた実質的なタイムは、3時間38分。
フルマラソンで3時間40分を切れることが実証された形です。


c   d


これまでのフルマラソンの戦績は以下の通りです。

2004年つくば・・・・・・・・・3h57m21s
2005年つくば・・・・・・・・・3h56m30s
2006年荒川市民・・・・・・4h32m
2006年つくば・・・・・・・・・4h11m08s
2007年東京・・・・・・・・・・3h53m21s(実質3h48m)
2007年荒川市民・・・・・・3h45m(実質3h38m)

2004年の初挑戦から、20分近くタイムを縮めています。
少しずつですが、着実にレベルアップできているようで、嬉しいです。


走り終わったら緊張の糸がブチブチと切れ、左足が使い物にならない。
最寄りの駅までの道のりも地獄のようでした。
更に茅屋に帰ったその足で、引っ越しの手伝いが待っており、重い段ボールをヒーヒー言いながら運ぶことに。
引っ越し先までの車の運転往復2時間、全てが終わってベッドに倒れ込んだのは日付が変わった午前一時。
それから正体をなくすように眠って、現在に至ります。
足はどうなったかというと、筋肉痛はそれほどでもないですが、左足は重傷。
階段を下りるのにも一苦労しており、しばらくジョグはお休み……。

次回の大会は、4月1日に青梅市で行われる30kmトレイルラン。
久しぶりに山の中を走るレースになりますが、それまでには本調子に戻したいです。


e


選手の皆々様、給水・給食のボランティアの皆様、寒い中、笑顔で応援に立っていた皆々様、運営・主催の皆々様、おつかれさまでした。
いつもながら感謝しています。


a    b   


スタートから5時間半頃、帰りの電車の中から撮影した29km地点手前の千住大橋下ですが、もうランナーの姿は見えませんでした。
制限時間は7時間。仮にここにいたとしたら、あと1時間半で約14km。さすがに、ここにいては厳しいか。