久しぶりにブログでも書こうと思う。

年を取るにつれて色々なことがどうでもよくなっている。

例えば被害妄想やら加害妄想なんてものは無意味とは思わないが、考えなくてもいいものである。

自分の主観評価と客観評価が近ければ近いほど、自分はとてもいい事だとは思うのですが、人間多少なりずれは生じる。

自分がやっぱりかわいいものですからね。

自分を低く見積もるのも良くないし、過大もよくない。

それじゃあどこにものさしを置けばいいのかと考える。


きっと自分が敬える人全てをごちゃまぜにしてその人たちと自分はどうかと考えればいいのだと。








BGMはビートルズ/アビーロード

日差しが気持ちいい午後。



2011年は環境ががらっと変わった。

顔が笑っている、そして笑顔がチャーミングな人たちといっぱい知り合えた気がする。


汚されたり、傷つけられるのも人間ですが、自分の足りなさ、そして+になるのもまだ出会えてない人間なんだよね。


十人十色とは言ったもので、自分と正反対の色でも得れるものはあるし、知ることで、その色の対策が取れる。

似た色なら、もっと鮮やかな色になるにはどうしたらいいのかなと人から学べる。



転職という大鉈はいまのところ、成功だとは思っている。しかしもういちど、大鉈を振るいたい。果たして次のサイコロはどういう数字が出て、自分をどこに導くのでしょうか?


昔は人生は綱渡りをしてる感覚でしたが、最近は綱渡り+世界を大きく見れてる気がする。


下見ても、地面しかないけど、上には空やら果てしない生き物の残像が見える。

それだけでもとっても素敵なのに、手に入れれる可能性だってある。


そう考えるとまだまだこれからで、色々やるしかないとは思う。

何歳だから無理だよね?とかじゃなくてさ、

無理は無理でも色々やって降参しよう。


やる気があるうちに鉄を叩け、なくなったらそんなものは捨ててしまえ。


自分に見合った形で物語りは進む、気が付いたら色々落っことしてきてしまったとかはなりたくないんだ。


落としてもまた拾おう。







久しぶりにこっそり更新・
最近の暮らしはというと、よく遊び、よく働いてよく寝るの繰り返しである。
人は何かを失うと何かで埋めたくなる生き物である。
最近は会社での昇格というものに遭遇してしまい、切磋琢磨に生きている。
感じる責任がどこか心地よく懐かしい。

ふと窓を開けてタバコを吸って何も考えずぼーっとできる時間がとても好きだ。

何かを伝えるにはとても難しすぎる。

誰かと対話するには余裕がみんなには無い。








明日はレディヘのイベントに行ってきます。

イベントにはいろんな人がいて会話をすることがとても好きだ。

誰かに出会って、誰かと別れ、傷つき、傷つけられ、人は日常に帰っていく。

それにはいつか終わりがあって、終わりがあるのを知っているようにとても儚く終わりを告げる。







日々の雑感を感じれなくなる。敏感から鈍感へ。鈍感になるほど、なんだか遠い気持ちが消えていく感じ
はするが、心地よい。

生きることは生産と消費の繰り返しで、幸せをふと感じる。


僕らが描いて必死に築こうとした未来は未来のままだ。

現在を愛して身を焦がし私は生きて生きたい。


生きて生きて生き残ったとき何を思うかな?それを考えるとすこしわくわくするが。



なんやかんやいって日々が色とりどりでとても楽しいです。

鮮やかな一瞬なる光景を垣間見ることが生きがいではある。





さあ頑張ろう。また朝が来てすべての万物が飛び立たなければならない。

時間はいつも後ろにいて気がつけばあっというまに追い越している。


多大なる時間の中で人にどれほどのものを与えれるか?

その疑問が至上命題だ。


わかる人に感じ取ってほしい。


強く祈る。


桜が芽吹くとき私はいつも何かを考える。変わらないことが心地よい。いつか終わりが来たっていいとおもう。


焦がれていたい。
自分の書いた音楽レビューが掲載された。

最近心が消えてしまうほど痛く切ないまでの出来事を体感した矢先だったから余計に嬉しかった。

報われない恋、少し届かない。心のドアは一生開かない。

諦めてしまうのはとても簡単だけれど、信念を持ちいつまでも待てる人はとても素晴らしく美しいとすら思う。

しかし自分には出来るかと問うと正直怖いっていう感情が出てしまう。

貫けなかったときの自分が痛く、そして醜く感じてしまうのでないかと。

私はmixiにも日記を書いていますが、こっちはなるべく正直に書いていきたいと思う。自分が暗いとき、悲しいときもそうね。

楽しいとき、嬉しかったとき、もそうね。

人間はね匂いや景色にとても敏感であり都合のいいようにキヲクを書き換える動物ということを知っているかな?

あの人の匂い、一緒に見た景色、1人で見た鮮やかな世界。

人間は死まで一生孤独かもしれないが、結局は誰かに頭から足のつま先まで理解してほしいというエゴがある為
まだ見ぬ自分と少し似ている人間を探すのだと思う。

一寸先は闇なんて言葉は実は真理ではなくて、一寸先は闇であり、光でもあるんだと思う。光か闇か、それはあなた次第だと思っているよ。