破壊と創造。
『「先進国」でなんの不自由もなく生活をしてきた人間が、
少数民族の住む山岳地帯に踏みいると、なにかが突然こわされ
思いがけないものが体から流れ出てくるような、
そんな暴力的といえば暴力的な経験を味わうこともあるらしい。』
とある小説の解説部に書かれていたこの記述が全ての始まりだった。
その本をバンコク近くのリゾートアイランド・サメット島で読み終えた私は、
次の進路をチェンマイに決めた。
ま、もっとも次の予定などなかったのだが、
とりあえずバンコクに戻ってから、次の行き先を決めようとは思っていた。
アユタヤーか、
カンボジア・アンコールワットか。
必要ならば旅行会社にいかなくてはならないし、
どちらにせよバンコクに一泊して決めたらいい、と思ってた。
が、突如頭の中でチェンマイ行きが決まったので、
島からバンコクへ戻る途中のバスの中で、
今夜のバンコク発~チェンマイ行きの夜行バスに飛び乗ることにした。
「いてもたってもいられない」
とは、このことだった。
とにかく私はそこに行かなくてはならないような気がしていた。
ガイドブックを観て、少数民族の村々を訪れるツアーがあることをしった。
「あ、これだ」
「これに参加しなくては」
ワクワクしながら夜行バスに飛び乗った。
バスに乗ってもなかなか寝付くことはできなかった。
その小説にはこうも書かれていた。
『「先進国」で信じさせられてきたあらゆる価値観が崩れ、
ただひとりの裸の若い女性として存在したくなる、
そんな誘惑。
男性だって、それは同じことなのかもしれない。
学歴とか、社会的な約束事とか、
そんなものはどうでもよくなって、
ひとりの、
男という性を持つ人間になりきってしまいたくなる。』
そこには何があるんだろー、
そこでは何をしているんだろー、
そこはどうなってんだろー、
想像は尽きなかった。
私も、
何かが突然こわされ、
思いがけないものが体から流れて、
そして、
『暴力的といえば暴力的な』
と形容される経験を味わうことができるのか。
もし味わえるとするならば、
それは一体どういう経験なのか。
もし私の価値観を破壊するというのなら、
破壊すればいい。
どっかのラグビーチームのスローガンだったっけ、
アルティメットクラッシュ。
『究極の破壊』
そう、中途半端じゃ困る。
日本の高度経済成長期終盤に生まれ、
バブル期に幼少を過し、
その後訪れた未曾有の不況も学生だったために特に感じなかった。
そんな先進国の化身のような男の価値観を、
文字どおり破壊してほしい。
などと考えてたらいつの間にか寝てしまって、
気づいたら朝になってて、
チェンマイに着いてた。
市街地についたはいいものの、
さすがに10時間バスに揺られて体はガタガタで、
ゲストハウスにチェックインするなり、
ベットに倒れこんだ、
どーも、僕でした。
それすなわち大宇宙の法則なり。