名言:そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。 | 生き方を真剣に考える

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そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。
我々は人生に問われている立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです。
ー ヴィクトール フランクル
略歴: オーストリアの精神科医、心理学者。著作『夜と霧』で知られる。家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、父親はここで死亡し、母親と妻は別の収容所に移されて死亡。フランクルは1944年にアウシュビッツに送られたが、3日後にテュルクハイムに移送され、1945年4月にアメリカ軍により解放された。

1940年~1945年のナチスの強制収容所における大量虐殺の犠牲者は800万人から1200万人とも言われています。自然災害は恐るべきものですが、人間が人間を虐殺することによる犠牲者数は、時にそれをはるかに上回ります。犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り致します。ユダヤ人として強制的に収容されたフランクルは、そこで日々、人間の極限の姿を見たことでしょう。
収容所で非業の死を遂げた人たちは、人生の意味を考える余裕もなかったのかもしれません。今私はこうして精神的にも肉体的にも自由な状態で物事を考えることができます。本当に有り難いことです。「人生の意味は何なのか」と私たちは時折自らに問うてみますね。あるいは、家族や友人に問いかけることもあるでしょう。この問いについてのフランクルの考えは、「我々が人生の答えを出さなければならない」ということ。
そもそも「人生の意味を問う」ということは、どこかに正解があると暗黙のうちに期待しているということでしょう。昨今は「自分探し」という言葉がよく使われますが、「人生の意味を問う」ことに重なるところがありますね。どこかに本当の自分がある、といったニュアンスを感じます。フランクルの見方は、そういう決まった正解はない、ということだと思います。答えは自分で考え、作りだすものなのだ、と。
私たちの多くは、家族がいて、何がしかの仕事をしているでしょう。また、地域活動やボランティアに携わる人もいます。各々がその立場立場で、世の中の役に立っているはずです。その役割・立場をしっかり掘り下げ、極めて行くというところに、人生の意味があると考えます。プロ意識を持って、自分の役割に徹するということです。専業主婦であれば、自分は夫にとって最高の妻であり、子供たちにとって最高の母であるのか否か。企業に勤める課長であれば、自分は部長にとってなくてはならない右腕であり、課員にとっては厳しく・優しく導いてくれる上司であるか否か。自らに問うてみましょう。素直に「その通り」と言えないのならば、まだまだ道半ば、人生の伸びしろがあるということです。足りないところがわかれば、これから為すべきことも見えてきましょう。
人生の答えを出すのは、私たちなのですね。どんな答えを出すかは、私たち次第です。それは言葉を変えれば、人生を自由にデザインしても良いということです。こんなに面白い、やりがいのあることは、ないのではないでしょうか。