ミホ之御嶽(みほのうたき) | 沖縄の裏探検

ミホ之御嶽(みほのうたき)




南城(なんじょう)市玉城百名(たまぐすくひゃくな)という地域を通る国道331号の傍らに細い獣道の様な道があります。
案内板の通りにその先へ降りて行くとミホ之御嶽という拝所があります。
ここはミフス御嶽やミクシヌ御嶽とも呼ばれていますが『ミフス』とは臍の事で、安産や子宝祈願、戦前には子供が誕生した際には臍の緒を持って行って拝したとの事です。



道をどんどん進むと木々の間から海が見える所まで来ます。
その場所から崖を降りる様な直下な道に変わります。



その道の途中にたくさんの古墓が点在しています。



至るところに古墓がありますが、木々の深い地にある割には落葉や枝の類いは少なく、普段からかなり清掃されている様子がうかがえます。
この辺りの古墓は県内で見られる崖葬古墓群の一つとされています。



道をひたすら下って左右に分かれる道を左手に進むと大きな岩が置かれた拝所に着きます。
この拝所がミホ之御嶽です。
岩のすぐ後ろに二つの石碑があり、右の石碑に『美生之御嶽(みほうのうたき)』とあります。左の石碑には『生元(うまれもと)』と銘があります。



ミホ之御嶽から更に下に進みます。



すると最後は舗装された平坦な道の途中に出る事ができます。

琉球開闢の祖神とされるアマミキヨは下方にある百名海岸のヤハラヅカサという場所に第一歩を記しました。
その後ヤハラヅカサの前にある浜川御嶽(はまがーうたき)で仮住まいをして、更に陸を目指してミントンという場所へと安住の地を目指しました。
その時に通った場所がミホ之御嶽へ通じる崖道で、ミホ之御嶽は懐妊中であったアマミキヨの妻が体を休めた場所という話です。
それが安産や子宝祈願の由来にもなっているのだと思います。
現在は上から下へ行く道になっていますが、元々のルートは下から上へと進んだ事になります。

アマミキヨは海洋人という説もあり、太古の琉球にたどり着いた海洋人がミントンで生活を始めたともされています。
古代人も子供の誕生は嬉しい出来事であったかもです。
戦前まで百名にあったという臍の緒を持参してミホ之御嶽を拝したというのは、昔から子の誕生を大事にしていた名残であったとも思います。

神話であっても古代人であっても新たな命の誕生を拝所の由来と一緒に大事にしたいものです。