為朝岩(ためともいわ) | 沖縄の裏探検

為朝岩(ためともいわ)




浦添(うらそえ)市仲間(なかま)にある浦添グスクの東端にひょっこりと立ちそびえる岩があります。それが為朝岩です。
標高約148メートルの位置にあり、よく目立つ存在です。

地元ではハナレジー(離れ岩)やワカリジー(分かれ岩)とも呼ばれています。
沖縄戦時には米軍からニードルロック呼ばれて攻略地点の目標にもされました。



浦添グスクの東へ向かうと為朝岩へ行けます。
崖道みたいな道を進んで行きます。



そこを真っ直ぐ進んで行くと崖の行き止まりで少し広場になっています。その先に為朝岩を見る事ができます。
高さは約13メートルです。高台の上にあるのでとても威容のある姿です(^_^)。



ここから戻って途中で下へ降りて行く小さな道を進みます。
この下には階段があって丘陵の下へ行く事ができます。



階段を降りてすぐ横には前田高地平和之碑という慰霊碑があります。
戦時中はこの辺りで激しい戦闘がありました。



慰霊碑の前は広場になっていて、そこから丘陵を回り込む様に進みます。周囲は墓地になっています。



暫く歩くと為朝岩が見えてきます。
為朝岩は崩落の恐れがあったので、最近まで補強工事がされていました。



回り込んで下から見るととても大きく見えます。
戦前の為朝岩はもう少し高かったらしいのですが、戦争で破壊して小さくなったとの事です。手前に岩がありますがこれが上にあった岩かも知れません。



為朝岩の下には拝所と石灯籠があります。



拝所の正面にある岩の裏には木の下にも拝所があります。
為朝岩の拝所やこの拝所がいつ頃、何を目的に設置されたのかは不明です。

沖縄には源為朝(みなもとのためとも)が来琉して来た伝説があって、各地にその話があります。
浦添市にも為朝が妻子を残して大和(日本)へ帰って行く話があります。

為朝岩も為朝がこの岩から矢を射って下の牧港(まきみなと)という場所まで矢が届いたという話があります。
実際には牧港まではかなり距離があるので、やや誇張した話だと思います(^_^;)。
こうした昔話から大正時代に『為朝岩』と名付けられたとの事です。

同様の話で伊豆大島から鎌倉に矢が届いたり、奄美では海上から陸に矢が届いた話もあります。
源為朝が弓の名手であったという事がうかがえます。

昔話の為朝は本島北部で大舜(たいしゅん)、本島南部では舜天(しゅんてん)という二人の子を残しました。
大舜は今帰仁(なきじん)の領主となり、舜天は初の王統を築いた人物とされています。
これらの話にどれだけ信憑性があるか分かりませんが、各地に残る為朝伝説は為朝岩の話も含めて興味深いものです(^_^)。