瀬長(せなが)グスク | 沖縄の裏探検

瀬長(せなが)グスク

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豊見城(とみぐすく)市 瀬長に瀬長島と言う無人島があります。かつて昔は有人島でした。現在は橋が架けられて自由に行き来できます。
その瀬長島の丘陵地の大部分が瀬長グスクです。
築城年代ははっきりしませんが、察度(さっと)王統の時代に増築されたとされている為に、13世紀には存在していたかも知れません。南山王国の領土とされています。

琉球の祖神であるアマミキヨ神は本島南部にある久高(くだか)島に上陸したという話があります。不思議な事に瀬長島もアマミキヨ神が上陸した話があります。
この神話にあやかってなのか、周囲1.8キロの瀬長島の頂上にグスクを築いたと考えられてます。

歴代の瀬長按司(あじ)は王族の血を引く人物の子孫とされていますが、村史や各系統図、先祖宝鑑をみても諸説が多くはっきりしません。
それでも、出土物の内容からは貿易の為の拠点か、中山軍への防御に使われたものと思われます。

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グスクの頂上からは、那覇市の具志(ぐし)部落にあった白城(フィリグスク)が見えたものとされています。現在、白城は破壊されて痕跡もありません。

グスクの興亡については、尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされた話があります。

尚巴志は南山軍を攻撃すべく、瀬長グスクへも兵船を派遣しました。だけど思いの外、グスクは堅固でなかなか落ちません。
でも、瀬長グスクの池には籠城に耐えられるだけの水量がありませんでした。
瀬長按司はグスクの頂上に馬を連れていき、白米を水に見立てて馬の背中に掛けて水の不足が無い事を敵へ見せつけました。しかしその甲斐も無く、とうとう水が尽きた為に落城したとの事です。

瀬長島は『トゥイナカンシマ』とも言われてました。直訳すると『鶏の鳴かない島』です。昔はハブの多い島で鶏を飼うと必ずハブに食べられたので、鶏を飼わなかったといいます。

また、『アジシナジマ』とも言われ、砂島の上に丘があった様に見えたそうです。

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現在、島の南側に位置する場所に子宝岩があります。各地から多くの参拝者が訪れたとの事です。

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