※2009年5月31日にUPした記事ですが、画像サイズの調整を
行ったため再度本日の日付でUPしました。
三浦の海岸は複雑に入り組んでいるところが多く、ここ油壺はその代表格。
海水も結構きれいなので、ついついシャッターをどんどん押してしまいます。
今日は三浦の油壺の海岸で三浦道寸祭りが行われました。
三浦道寸とは後北条氏に滅ぼされた相模の名門武家三浦氏の
最後の当主で、中々の器量の持ち主だったといいます。
当時日の出の勢いだった後北条氏も三浦氏攻略には手こずり、
油壺にある新井城攻防戦は3年の長きにわたったそうです。
しかし最終的には後北条氏の前に屈し、この地の海は
三浦方の兵が流した血で真っ赤に染まったといいます。
ここ油壺の地名はこの出来事が由来とされています。
参考資料 三浦義同wiki
参考までに言っておくと、後北条氏と書きましたが、
三浦氏を滅ぼした時点ではまだ所謂北条早雲は健在でした。
しかし彼の代では北条とは名乗っておらず、元々の名乗りであった
伊勢氏のままであり、2代目の氏綱の時代から北条氏を名乗りました。
歴史的には鎌倉時代の執権北条氏と区別する意味もあって
後北条氏と通常呼ばれていますので、私も混乱をなくすため
以後は後北条氏で通します。
参考資料 後北条氏wiki
毎年五月の終わりに三浦氏の終焉の地であるこの油壷で
開催されるのが三浦道寸祭りで、その目的は
三浦道寸をはじめとする三浦一族の霊魂を慰めること。
その一環として三浦氏は弓馬の道に優れていたことから
笠懸が開催されているのです。
ここで笠懸を披露するのは武田流の面々ですが、
詳細は以下のHPでご確認ください。
写真を撮るにも一苦労。鎌倉時代や室町時代、戦国時代の
馬は今のようなサラブレッドではありませんから、おそらく
今の射手達は当時の武士達が行っていたよりも難易度が
高い状態で騎射を行っていると思われます。ですから
「今の射手達はある意味往時の武士達よりも技量が高いかもしれず、
見物人に与える迫力も今の方がずっとあるのでは」
というのは素人考えではありますが、案外良い線いってる気がします。
猛スピードのため写真撮影にも苦労しましたが、ここで役立つのが
連続撮影機能。シャッターを長押しすれば連続撮影出来るので、
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ということで、いい写真が撮れる
確立も高まるってもんです。あれこれ言う前に成果をご覧ください。
笠懸は一射目で達した場所からスタート地点に戻る際にも
騎射を行うので、同じ場所から後姿と前姿の
両方が確認できるのが利点。
今回は後姿の場合は通常レンズ、前姿の場合は望遠レンズを
使用して撮影しました。少しでも迫力が伝われば幸いです。
また笠懸ではありませんが、同じ騎射競技である
流鏑馬は4月と9月に鎌倉の鶴岡八幡宮でも開催されます。
しかしこちらは見通しの悪い場所での開催である上に、
いい席は関係者用にあらかじめ占拠されているので、
見物するには今回のような海岸が適しています。
武田流のHPに今後の予定が記載されていますので、
現地に赴くことが可能なら是非現地でその目で見てみてください。
きっとその迫力に圧倒され、また何度も見たくなることでしょう。
何故そう言えるかって?私がそうだからですよ。
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