金沢にいる。
雨の金沢。
もしかしたら初めての親子3人の旅。
予報に反し、昨日は雨を逃れた。
昨夜は母の誕生日で、美味しいお寿司に舌鼓を打った。
でも今日はおあいにくさま。
雨音の聞こえる静かな部屋で父は新聞を読み、母はTVを見ながら
ベットで横になっている。
穏やかな朝。
この穏やかな朝が明日は確約されていないことに気づきもしないで
私たちは日々を送っている。
世の中に起こることに偶然はなく、全てに肯定的な意図がある。
そう思うことに慣れて生きてきた。
ここ最近、そういう解釈がすぐには通用しない出来事に
向き合わされることがある。
月曜日、クライアントさんが急逝した。
事故死。30歳にもならない若さで。
私が顧問をしている会社のマネージャーで、私も月に1-2回は
個別にコーチングをさせていただいたり、マネージャーのためのゼミで
ヒアリングをしたり、という間柄。
彼のことは、色々なことをわかっていた・・・つもりだった。
ものすごいハンサムで、賢くて、なのにぬけっぱちで、ついこの間も
転んで、その白く端正な顔に大きなけがをして、ゼミに出てきた。
「どうしたの~?!」
「・・・はぁ・・・ちょっとその・・・転んでしまいまして・・・」
いつもの、肩をすくめながらの、ちょっと困ったようにすまなそうな笑顔で
彼は言った。
帰り際に、私が持っていた化粧品を傷にぬって、その赤く大きな傷を隠して
あげた。まるで小学校の保健室の先生みたいに・・・。
「コンシーラーって言うのよ。こういう便利なものが売られているから、
薬局で買って帰りなさい」
したり顔で教え、その後、「コンシーラー買えたかなぁ?」とぼんやり思って
いた。そういえば余っているのがあるから近いうち持って行ってあげようか、
などと・・・。
あれが最後になってしまった。
「彼は永遠のピーターパンです」
彼の同僚が言っていた。
全くその通りだ。
純粋な、純粋な人だった。
どうして逝ってしまったのか。
どうして。
そこにはなんの理由も、意味も見つけられないでいる。
「肯定的な意図」が見つけられずに。
事情を話したら、私のメンターが、インドからメールをくれた。
「若くしてその肉体を脱ぎ去る魂は、
この世の宿題を終えたということなのでしょう」
彼のこの世の宿題とは何だったのか。
私が彼に関わった意味は何だったのか。
また別の世で巡り合うことがあるのだろうか。
知る由もない。
私は精一杯のことをしてあげたのだろうか。
自分に問い続ける。
わかっていたはずだけど、こういうことが起こってみて、あらためて感じる。
人の命は、はかない。
できるだけ、目の前の人によいことをしてあげよう。
あとで「ああすればよかった」「こうすればよかった」と後悔しないですむように。
「また今度」や「近いうちに」が果たせない約束にならないように。
穏やかな朝がまた明日も迎えられますように。
目の前の両親と今日を楽しもうと思う。
だって明日の穏やかな朝などけして確約されていないのだから。
日曜日に、彼に最後のお別れを言いに行く。
彼にバカヤロウと言いに行く。
立場も体面も関係なく、私は激しく泣くだろう。
もっと悲しい人たちがいることを思い、私は泣くだろう。
意味が見つけられないまま残された者の、最後のわがままを許してほしい。
どうか彼が安らかに眠れますように。
そしてどうか、彼の残した愛する人々が、彼亡きあと、幸せを見つけることが
できるよう、見届けてくれますように。
残された者たちに、一日も早く穏やかな気持ちで眠れる夜が訪れることを
手助けしてあげてほしい。
ありがとう、Mくん。
あなたはほんとうにバカヤロウだよ。。
合掌。